ヒースの花に祝福を

 夢というのは自身の無意識の部分であり奥底にある心象風景を表していると言われている。過去にあった凄惨な出来事やストレスの原因となっているものなど、普段は意識していないものまで形を変えて夢に現れるのだ。だとしたら、自分の無意識の領域である空想の世界に紛れ込んだこの男は一体何を表しているのだろうか。

 艶やかな黒髪を後ろに撫でつけ、顔にある大きな傷跡は触るとでこぼこしている。黒のもこもことした肌触りのいいファーで見えていなかったが、左手には大きな金色のフック船長のような鉤爪がある。コートの肌触りが気に入って脱がせようとしてみたが、鉤爪が引っかかって抜けず右袖だけ引っこ抜いた。右手には趣味の悪いゴテゴテとした指輪が沢山ついている。骨ばった男の指を撫で、あまり好きでは無い指輪を1本ずつ外していった。


「貴方は誰?」


 幼い姿の自分が声をかけると男の瞼がぴくりと動いたような気がした。手の甲の血管が脈打ち、皮膚を通して青く見える筋は手首から上へと昇っていく。男の眉間のシワが深くなり、特に考えがあった訳でもないが手を伸ばしていた。



 アラームの音で目が覚める。寝る前に枕の横に置いておいたスマホを手に取って時間を見ると朝8時。起きるにはまだ早いと毛布を深く被り、冬の朝の寒さから逃げようと手探りで蹴飛ばしたであろう掛け布団を探した。足元に丸まっていたそれを毛布の上から掛けて再度眠ろうとするも、今朝の夢の内容が気になって目は冴えていた。

 夢というものは起きると忘れてしまうことが多い。今日は夢を見ていないという人もいるが、熟睡出来ているか全て忘れてしまったかのどちらかである。夢を見るのはレム睡眠と言われ脳は働いておりあまり休めていないのだ。そのため夢を見ている人は瞼は閉じていても眼球は夢の中で見ようとしているものと同じく現実世界でも動いている。

 疲れが取れた感じがせず怠い体を動かして、ベッドサイドに置いていたペットボトルを手に取る。暖房のせいでいつも以上に乾いた喉を潤した。そして両腕を前に伸ばして伸びをすると今日見た夢をスマホのメモ機能にざっくりと記入した。

『男、顔に大きな傷、黒いコート、鉤爪、金ピカ』

 寝起きで回らない頭と開かない瞼を冷たい水で洗い目覚めさせる。あまりの冷たさにびゃっと声を出して震え慌ててタオルで水分をふき取った。昨晩予め出しておいた服を布団の中でいそいそ着替えて、鼻の下を伸ばし半目にながらメイクをする。

 定期券や財布、資料、筆箱等持ち物を確認して家を出る。玄関の扉を開けるとこれまた寒く冷たい風が首元から服の中へと入り、ゾゾゾッと鳥肌を立てた。開けた扉をまた閉めてマフラーを巻いて、今度こそと外へ出た。

 夢の中に出てくる男としてはThis Manという架空の人物が思いつくが、全くもって似ていない。あんな典型的な顔の男ではなかったような気がする。夢に出てきた人は一体誰なのだろうか。


「__症の場合、遺伝子の数が……」
「次は生理的早産について話を……」


 講義室の前に映し出されたスライドを頬杖つきながら眺める。午後からの講義のみ取っているが昼間は暖かくて眠たくなる。しかし、今日はどうしても今朝の夢が気になってしまい、いつもはチャイムから10分で襲ってくる眠気が来ない。教授の解説をBGMに暗い講義室の中、スマホのメモに書いたキーワードを検索すると夢の中の男が検索に引っかかった。スマホの光が目立たないよう画面の明るさは1番弱くして確認すると、どうやらONEPIECEというアニメのキャラクターらしい。特徴が一緒だから恐らくこのキャラであっているはずだろう。検索で出てきた画像をタップするとキャラ紹介のサイトに切り替わった。



「おい、起きろ」


 バリトンボイスが耳元で聴こえる。どうやら眠ってしまっていたようだ。重たい瞼を何とか持ち上げて声の主を見るとすぐ横に座っていたようで、慌てて体を起こすと自分がベッドに寝ていたことに気づく。辺りは7畳ほどの部屋で、白を基調とした内装に黒を纏った男は酷く浮いているように思えた。

 私が寝ていたベッドと男が座っている椅子以外、窓もドアも何も無い空間に、ここは夢の中であると認識する。私は一体無意識下で何を感じているのだろうか。自身を見下ろせばやはり小さい頃の自分の姿である。


「……こんにちは」
「おいガキ、てめェは能力者か」


 挨拶すら返して貰えない。男は長い足を組み、座っていても自身の肩の下に頭がある私を見下ろす。眼光は鋭く大きな鉤爪を光らせていて威圧感があり今にも逃げ出したいくらいだが、私の夢のくせに思うよう出来ない。

 能力者というのはあのアニメに出てくる変な能力を持った人の事だろう。私はムキムキ美食屋と食材に愛される料理人が相棒となって冒険に出るアニメの前後にやってたことと、辛うじて麦わらの一味だけは分かる。しかしこの男は本当になんで夢に現れたのだろう。

 ベッドから降りて立ち上がると、男の前にソファーが現れてそこに座る。前を見れば男は訝しげな顔をしており、先程自身がいた場所を見ればそこにあったはずのベッドは消えていた。

 ここはカウンセリングルームの雰囲気に似ていると感じる。そう思った途端、私と男の前には木製のテーブル、自然光が入る窓に小さな植木鉢の観葉植物が創造される。夢の中ならなんでもありなはずだろうとドアを思い浮かべてみるが出てこない。やはり思いどおりにはならない夢である。

 私がため息をひとつ零すと、男は苛立たしげに足を組みかえた。この状況が落ち着かないのか視線はあちこち動き、指でとんとんとこめかみを押さえる仕草をしている。


「私は」


 男の視線が私の目に固定された。眉間に寄った皺は長年の物か無くなる気配は無い。


「海賊でも海軍でもないただの学生。ここは私の夢の世界なのだけれど何故あなたはここにいるのかしら」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねェ。お前みたいなガキが何を学べるってんだ」
「心理学を少し。夢の中だからかこんなナリをしているけれど現実世界では成人しているわ。お酒もタバコも買える年齢なの」


 こちらとしてはふざけてもないし冗談でもない。ごく真面目な話なのだ。なのに目の前の男は少しの沈黙の後、それを笑い飛ばした。


「馬鹿馬鹿しい。てめェの話が本当なら、さぞかし人が憧れるような裕福で平和な生活を送ってきたんだろうなァ。……虫唾が走る」
「そうね。私が住んでいる国ではみなが13歳になるまで平等に教育を受けられる権利があって、ご飯や着るものに困ることも無く生活できるわ。何らかの障害があっても働ける場所もあるし生きる上での最低限の保証もある。もちろん他の国では今日を過ごすことに精一杯で医療が進んでいなくて寿命が短いところもあるから、その国の人々に比べたら私たちは裕福であると言えるわね。貴方が住んでいる所はどういったところなの?」


 はっきり言えば2次元世界の人の営みなど想像もできない。しかしこの顰め面をしている男は2次元のキャラクターではあるが、意思を持って動いていて3次元の世界の住人と何ら変わりない1人の人間であるのだ。それは例えギネス記録を超える身長であろうとも。

 男は私と話す気は無いのか、こちらが問いかけても口を開くことは無かった。皮肉に対して真面目に答えられたからだろうか。裕福や平和に虫唾が走るということはあまり楽しいと言える幼少期を過ごしていないのかもしれない。虐待や貧困が考えられる。この男が抱えるものが垣間見えた気はするがなかなか闇が深そうだと天井を仰いだ。

 視界の端で黒が動く。高そうなコートに大きな宝石の着いた指輪。身綺麗にしているあたり、今はかなり稼いでいるようだが、高級なものを纏うことで昔の自身を消し去りたいのだろうか。顔は動かさず視線だけで男を追っていると、ソファーから立ち上がった男はおもむろに窓辺へと向かい鉤爪で殴りつけた。私は驚いてソファーからずり落ちた。

 かなり強く叩きつけたみたいだが割れる気配は無い。傷やヒビは入っておらず、透明なガラスの奥には森林が拡がっていた。どこか見知らぬ土地で人がいない場所というのは心を落ち着かせるのに丁度良い場所とも言えるだろう。まぁ彼は落ち着かずに荒れているようだが、と思春期という言葉が頭に浮かんだ。

 自我同一性の確立というものがあり、『自分が何者であるか』『自分の存在価値とは何か』という質問に答えられるようになることが思春期の課題である。簡単に言えば自分自身を受け入れてあげることが必要なのだ。などと抜かしてはいるが、彼がどんな人となりをしているのかは今はまだ分からない。今後もまた何回か夢の中で会える予感がしている。

 男が憤怒の形相で私に掴みかかろうとしていたが、私はソファーに背を預けたまま目を閉じた。

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