Reversible

 砂漠に囲まれた国、アラバスタには英雄が存在する。どこからともなく現れて、悪い海賊を一瞬で倒してくれる黒いコートを羽織った英雄。この国の人達はみんなその英雄を信奉している。雨が降らなくなり時折砂嵐が来て荒れ果てたこの地を復興してくれると信じて、老若男女問わず今日も彼を讃える。


「クロコダイル!!クロコダイル!!」

「また海賊を倒してくれた!!!」

「クロコダイルがいれば海賊に怯えなくていいの!!」

「この国の英雄が来てくれたわ!!」


 馬鹿みたいに英雄を心酔しきっている民衆は『海賊を倒す海賊』の登場に黄色い悲鳴をあげている。

 つい先程、海賊船が港に止まっていた。別段珍しいことでは無いが、まともに物資の補給をしていく海賊と強奪強姦殺人なんでもありの海賊がいるのだ。今回は後者だったらしい。


「海賊なんてやってるんだから、良い人なわけないのに......」


 悪い海賊が死んで民衆が盛り上がる中、隣の人に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた瞬間、こちらを振り向いた英雄と目が合った。英雄の眉間の皺は深くなり口角が上がっている。この距離では聞こえていないはずなのにと冷や汗が流れ心臓が大きく脈打つ。私はすぐに目を逸らして脱兎のごとくその場から逃げ出した。





 夜。雲はなく月が煌々と私の歩いている道を照らしている。どこか胸騒ぎがして眠れず、思い立って誰もいない大通りを散歩しようと家を出てきた。夜中に女が独り歩きするのは良くないことだとはわかっているが、砂漠の夜は寒く外套のフードもすっぽり被ってしまえば誰かは分からないだろう。

 母は既に寝ているし、父はしばらく家にいない。父は国がこうなった原因はコブラ王だと反乱軍へ行ってしまった。そのため今は母と2人で過ごしている。だから、母が起きる前に帰れば別に問題は無いだろうと考えていたのが甘かったのかもしれない。

 私のただ平和に暮らしたいという願いはこの場で崩れ去ろうとしていた。剣や銃を持った海賊が下卑た笑みを浮かべて私の行先を塞いでいたのだ。よく見ると昼間クロコダイルに処理されていた海賊のマークがついている残党だった。


「よう兄ちゃん。金目のものを置いていきな」

「こんな夜に1人歩きなんて格好の餌じゃねェか」


 海賊たちのしゃがれた笑い声が耳に障る。私を男だと勘違いしているみたいだが、声を出せば1発で女だとバレるだろう。そう思い口を噤んでいると海賊は何を思ったのかじりじりと近付いてくる。


「おうおうおう、ビビって声も出ねェのか?あ?」

「ボウヤは早く家に帰ってママのおっぱい吸って寝んねしな!!ぎゃははは!!」

「おっと、帰る前に身ぐるみ全部置いていけよ?じゃねェとこいつがうっかり切っちまうかもなァ」


 月光を反射しきらりと光る剣に冷や汗が垂れ、1歩また1歩と海賊から目を離さずに後ずさった。そして徐々に狭まる距離に焦ってしまい、私は海賊に背を向けて暗い街中を走り出した。

 塀や柵を飛び越え、路地をくねくねと曲がりながら進む。誰も住んでいない建物の外に取り付けられている階段をのぼり屋上へと到達する。海賊たちに追いつかれていないかと屋上の柵から身を乗り出して下を覗き込み、辺りを見回すと黒い影が2つ見えた。


「な、なんだろあれ......」


 目を凝らして見るとどうやら2つとも男の影のようだ。一瞬あの海賊かと思ったが違う感じがしてじっと見つめる。大きな影が小さな影に手を伸ばしたかと思うと、小さな影は木の枝のように細くなり最終的に見えなくなってしまった。一体何があったのかは分からないが小さな影が消えたことだけ察しが着いた。

 デジャヴを感じる光景にさらに身を乗り出したが、次の瞬間柵から乗り出していた身を引いてその場にしゃがみこんだ。あの大きな影がこちらを見た気がしたのだ。


「はぁ...はぁ...見つけたぞ」

「ひっ!?」


 肩を掴まれ顔を上げると私を追いかけていた海賊がいた。息を切らして目はギラギラとしている。その男の後ろには時間差で到着したであろう海賊2人が肩で息をしながら私を睨んでいた。


「ほぅ、兄ちゃんと思えば随分と別嬪な女じゃねェか」

「は、なして!!」


 男の手を振り払った瞬間、深く被っていたはずのフードが落ちる。そのことに気付く前にゴツゴツとした自身より大きな手にまた掴まれ、力強く手首を握りしめられた。


「女なら船に連れていってマワすのもありだなァ!!」

「嫌だ!!離せッ!!」


 何とか手首から引き剥がそうともがいていると、強風とともに砂塵がこの場にいる全員の視界を曇らせた。肌を打つ砂の粒に目を細めて耐えていると、砂嵐は徐々に人の形を取り姿を現す。艶やかな黒髪を後ろに流し、柔らかそうな毛皮のコートを翻しながら。


「騒がしい夜だな、お嬢さん」


月明かりで逆光となり顔が見えないが、確かにその男は我らがアラバスタの英雄サー・クロコダイルだった。


「サー・クロコダイル......!?」

「クロコダイル!?し、七武海のやつかッ!?」

「こ、こっちは3人もいるんだ!!全員でかか」


 一人の男が話している途中でクロコダイルに頭を掴まれ枯れていく。肌は黒ずんで皺が寄り、眼球は飛び出し黄ばんだ歯が意図せず剥き出しになっている。クロコダイルは興味なさげに枝のようになった男を投げ捨てると、男であったものはパキリと軽い音を立てて粉々になった。

 喉を引き攣らせたような悲鳴が目の前にいる男の口から聞こえる。どうやら腰が抜けたのかその場で尻もちを着いて震えている。そんなことにも構わずクロコダイルはその手で砂へと還した。あと1人。

 男が掴んでいる私の手首は離されず、反対に離すまいかと力が入り指先が赤黒くなっていく。痛みで顔を顰めていると見窄らしい海賊は咄嗟に口を開いた。


「こ、こここここはアンタの縄張りだって知らなかったんだ!!す、すす、すぐに出るからころ、殺さないでくれ!!!」

「なら盗んだダンスパウダーを置いていってもらおうか」


 ダンスパウダー、人工的に雨を降らせることが出来るが、雨雲が風下にある場所に行くまでに消えてしまい風下に雨が降らなくなる。世界で製造や所持を禁止されたものではなかっただろうか。聞いてはいけないものを聞いてしまった気がする。


「わ、分かった。ぬ、盗んだやつは全部ふ、船にある」

「そうか」

「船長に命令されて仕方なくやったんだ!!俺は悪くない!!悪いのは船長だ!!!」

「どうでもいい。もう用済みだ」


 クロコダイルは鉤爪で私から離れ逃げる男を突き刺し、大きな宝石が彩る右手で首を掴むと目を見開いた男を跡形もなく消し去った。呆気に取られたまま英雄の後ろ姿を見ていると大きな黒い影は振り返った。


「......さて、お嬢さん」

「は、はいッ」

「お嬢さんにとって今のおれは良い人かァ?」


 昼間の事を聞かれていたんだ。サッと血の気が引き、きっと私の顔は青ざめているだろう。指先が冷たくなっていくのがわかる。解答を間違えれば死だ。目の前の海賊は顔を横切る傷跡を歪ませて笑い、答えを待っている。思わず顔を背ければ冷たい鉤爪で無理矢理視線を合わせさせされた。頬にあたる金属が私の体温を奪っているような気さえする。


「か、海賊はみんな悪い人でしょう」

「クハハハハッ!!そうだ!!海賊に良い奴なんかいねェさ。......優しいなんざ言われたら虫唾が走る」


 心底不快だというような顔で互いの鼻先が触れそうになる距離まで近づいてくる海賊に、足を必死で動かし背中が屋上の柵に当たるまで下がる。その姿がおかしかったのかクロコダイルは笑うとサラサラと形を崩して砂になり、私の目の前でまた姿取る。

 
「今日のことは誰にも話すなよ。賢いお嬢さんなら分かってくれるだろう?」


 べこのよう必死で首を縦に降ったのを見たクロコダイルは満足そうな顔をした。そして手を横に振ると私の顔を横切るように鋭い痛みが走り、手で抑えるとヌルッとした液体が付着する。私は目を見開き、大きく口を開けて笑う男を見た。


「これだけ言っていい。『この傷はサー・クロコダイルに憧れてつけました』ってな」


 アラバスタの英雄は風に乗って砂となり星が瞬く空に溶けていった。
 海賊はどこまで行っても海賊なのだ。









 朝、カーテンの隙間から光が差しこんで目を開ける。両腕を上にあげ伸びをすると欠伸がでてきた。大きく口を開けると傷がピリッと痛み顔を顰めてしまう。

 夜空より黒く恐ろしい砂塵を見てしまったばかりに付いたこの傷は、だいぶ治りかけている。まだ薄く瘡蓋は残っているが、あと一週間もすれば治ると町医者に言われた。


「にしてもお嬢ちゃん。いくら好きだからといって真似しようなんてことはしちゃいかんぞ。顔に傷跡が残るし嫁の貰い手もつかんくなってしまう」

「今のところ嫁に行く予定はないので大丈夫です」

「全く......」

「あはは......」


 大きなため息をついて肩を落とすお爺さんに空笑いを返す。いつもこの先生にはお世話になっているが、どうしても耳の痛い話をされるからあまり病院には来たくないのだ。診察室を出て受付の人から軟膏をもらい荷物を纏めると、私は病院からそそくさと出た。

 やはりこの傷は残ってしまうらしい。薄い皮膚の所々に存在する赤褐色は徐々に面積を狭めていっている。薄ピンクに膜を張っている部分はもう痛くは無い。しかし、ふとした瞬間鏡やガラスに写った自分の顔を見ると、あの夜を思い出させるかのように傷跡は傷んだ。

 今日も街のどこかで善人のフリして命を奪っているのだろう。遠くで聴こえる人々の歓声に耳を塞ぎ帽子を深く被りながら、人目を避けるようにして裏道へと歩き出した。

 度重なる砂嵐によって崩壊した家々の間を進んでいると、赤ん坊の泣き声のようなものが一瞬だけ聞こえた。辺りを見回すと左耳が欠けた猫と右目に傷がある猫が寄り添うように座りこちらを見ている。

 にゃぁお。まるでこちらを憐れむかのような目で見つめられ、どこか居心地が悪い。何も悪いことはしていないはずなのに後ろ指を刺されている感覚だった。お互いに毛繕いをしあう猫たちを横目に通り過ぎる。


「ご機嫌はいかがかね、お嬢さん」


 痩せこけた2匹の猫がにゃあと鳴き、その場から消えていく。道端に積み上げられた瓦礫の隙間を縫うように私は砂塵に背を向けて走りだした。


「人の顔を見て逃げるとは失礼だとは思わねェか?」


 男から離れられたと思った瞬間、背後から顎を掴まれ喉の皮膚が突っ張ってしまいそうなほど上を向かされる。青い空に重なる逆さまに写った悪党顔に腰が抜けそうになるが腹に冷たく輝く鉤爪に支えられた。

 するりと首筋をなぞるカサついた指に喉仏の下を軽く押され、死への恐怖に鳥肌が立つ。何故こんな所にいるのか。何故また私に声をかけてきたのか。疑問が浮かんでは消え、男と視線を合わすことさえままならないくらい息がし辛い。


「おれが恐ろしいか」

「こ、この傷を残しておいて......恐ろしくないとい、言うでも?」

「......クハハハハッ!!正直なやつは嫌いじゃねェ」


 次はこっちの手も揃いにしてやろうか、と私の左手に鉤爪をかけて意地の悪い笑みを浮かべた男に背筋が凍った。気を抜けば地面に崩れ落ちそうになる自身を奮い立たせて走り出す。

 無意識のうちに嫌だ、嫌だと口から零れ出る。走っているせいか畏れのせいか、心臓は今までにないくらい早く脈打っている。息は次第に荒くなり、肺が痛くなる。

 ただひたすら逃げることだけを考えていたからか、足元に転がっていた煉瓦に気付かず躓き、前のめりに倒れた。額と鼻を地面に強く打ち付けて涙が出る。地面にできた水玉模様をかき消すように爪を立てた。


「折角あの夜のことを忘れて、この傷以外いつも通り過ごせるかと思ったのに。なんで私なの。私がなにか悪いことしたの......?」

「......どうやらお嬢さんは分かっていねェようだ」


 鼻につく煙の匂いが思考能力を奪っている気がする。顔の横から砂を踏みしめる音が聞こえた。頭上からは葉巻の灰がチラチラと雪のように降るが、それは走って熱くなった私の身体を冷ましてくれる訳もなかった。


「あの時おれと目が合ったことも、雑魚に追いかけられたのも、お嬢さんは何も悪ィことはしてねェ...」


にゃぁお。どこからか鳴き声が聞こえた。ハッと顔をあげれば、男の足元から見える奥に耳欠けと片目の猫がこちらを見ている。


「お嬢さんはただ運が悪かった」


 嫌だ、やめて、それ以上聞きたくない。言葉は喉奥で詰まり、嗚咽となって少しずつ溢れ出る。力の入らない手で耳を塞いでも、男の声はどろりと蜂蜜のようにまとわりついて離れなかった。


「おれが興味を持ってしまったことが最大の不運だったなァ」


 なぁう。一体どちらが鳴いたのか。男の笑い声に驚いて逃げ出した猫達は、1度だけ立ち止まり此方を見て尻尾を揺らす。私を見据えるその目は先程と変わらず憐れみを含んだ目をしていた。

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