ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー

【短編】

 何故こんなことになったのだろうか。首元にある太い腕が気管を締めつけ私の呼吸を僅かに妨げる。顔の横には血に濡れた剣。私たちを囲む海軍たちは、その白い軍服に赤を滲ませていた。


「グッハッハッハッ!!海兵なんてそんなものか!!」 


 名も知らない海賊の船長が笑う。今日は天気がいいからと出かけるんじゃなかったと後悔してももう遅い。

 たまたま買い物しようと外に出かけて、たまたま見つけたマグカップに引かれて店内に入ろうとしたところ、たまたま私がこの海賊たちの傍を通ってしまったから捕まった。自分でも意味がわからない。どれだけ運が悪かったんだ。

 海賊には良いイメージがない。金目のものは盗んでいくし人を傷付けるし臭いし下品だ。食べ方も汚い。今までこの島に来た海賊はそんな奴らばかりだった。


「ぐぇっ」

「てめぇら、それ以上近づくな!!こいつを殺すぞ!!」


 この私を捕まえている男の腕に力が更に入り首が締まる。海兵たちは海賊と一定の距離を開けて様子を伺っている。私という一般市民が捕まえられているから迂闊には動けないだろう。捕まってしまって申し訳ないけども早く助けて欲しい。

 私は死にたくない。今までちょこちょこ海賊を見かけたりはしたが、関わらないようにして平和に生きてきたのだ。死ぬのは怖い。痛いのも嫌い。ただの一市民が恐怖に強いわけないのだ。

 何とかして息を吸おうと男の腕に手をかけ隙間を作ろうとするも、頭上から見下ろされギッと睨まれた。震えが止まらない。すぐに目を逸らして俯く。


「逃げっ......」


 男の途切れた言葉とザシュッと何か切られた音が耳元で聞こえた。生暖かい液体が大量に頭からかかり髪の毛を伝ってぽたぽたと垂れる。力が抜けた男の腕が私の首元からずり落ち、真後ろにあった人の熱が急激に冷めたように感じた。

 野次馬の悲鳴がまるで膜を張ったようにくぐもって耳に届く。四方八方に散って逃げていく人々の姿は、蜘蛛の子のみたいだ。どこかの映像を見ている気分だったが、それも頭上から垂れてきたものによって目を閉じざるを得なかった。


「汚れてしまったなァ」


 どさりと倒れる音に顔を袖で拭って瞼を開けば、目を見開いて血を流す海賊と目があった。瞳孔が開いた真っ黒な目に血まみれになった私が映る。首から下は無く、赤い水溜りが拡がって私の靴を濡らしていた。


「大丈夫か?」


 力の入らない体を何とか動かし声をかけてきた男を見る。目元の傷が印象的ではだけたシャツはところどころ赤黒く染まっている。

 なぜこの男は人を殺して笑っていられるのだろうか。

 返り血がついたままの手を差し伸べて微笑んでいる赤髪の男を、私は一生忘れることが出来ないだろう。





 気がつくと私は血溜まりの中に立っていた。家族や友人や顔見知りの人まで、頭部だけが転がっている。思わず喉を引き攣らせると鈍い音を立てて動き、生気の無い全ての目が私へと向けられる。

 その場から逃げ出そうと後ろを振り返り走り出した途端、底なし沼に入ってしまったかのようにつま先から膝、太もも、腰と順に下半身が血溜まりに飲み込まれていく。暴れてももがいてもどんどん体は沈んでいき、胸元まで沈んだかと思うと目の前に誰かの靴が見えた。見上げてもその人の背後には光があり逆光で顔が見えない。しかし、体格から男だと言うのは判断できた。


「助けっ......!?」

「お嬢さん、大丈夫か?」


 光が消えて男の顔が見える。赤髪の男は全身血塗れで傷が複数ついているが、あの時と同じように赤く染まった手を差し伸べて微笑んでいた。はるか頭上から獰猛な目に見下ろされる。それが恐ろしくて、私は助けを求める声を飲み込んだ瞬間、どぷんと沈んだ。


「ぅあっ!?」


 落下感を感じ体がビクッと震えて目覚める。背中はじんわりと湿っており、嫌な汗が伝っていた。ベッドサイドに置かれた時計は23時。寝始めてからそこまで時間が経っていない。深呼吸をしようとするも心臓は苦しいほど大きく動いており、荒い息が部屋に響く。呼吸を落ち着かせる間、脳裏によぎるのは昼間の出来事。目の奥がカッと熱くなる。喉は乾き、歯は噛み合わずカチカチと音を立てる。手は白くなるほど握りしめて震える身体を抑えようと自身の肩を抱く。

 どのくらいそうしていたか分からない。体温が急激になくなっていくような感覚に陥って布団を頭から被るようにして潜り込んだ。暗く密閉された空間は私を外界から守ってくれるようで安心する。大丈夫、ここには私だけしかいない。そう自分に言い聞かせて目を強く瞑った。

 唐突に床に貼られている木の板が軋む音が聞こえる。等間隔にぎしり、ぎしりとまるで誰かが歩いているかのような。血の気が引くのを感じ目が冴える。心臓はバクバクと脈打ち、侵入してきたであろう者に聞こえるのではないかと思うくらい鼓動が大きく鳴った。

 布団に丸まり、息を殺し、足音が遠ざかって鳴り止むのを待つ。悲鳴をあげてしまいそうになる口を両手で塞ぎ、小さく身体を縮こめた。

 もしかしてあの場から逃げた私を殺しに来たのではないか。そんなわけないのに、と変な想像ばかりしてしまう。私は何も悪いことをしていない。悪いことをしていないのに何故私は赤髪にこんなにも追い詰められているのだろか。

 ふと我に返り布団から出ようと僅かに持ち上げた。その隙間から見えたのは昼間も見た3本の傷跡。


「また会ったな、お嬢さん」


 先程見ていた夢と同じく、人を殺したという罪悪感すら感じさせない笑みに耐えきれず私の意識は遠のいた。

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