いつも隣に幽霊さん

「ゆ、幽霊......?」

「ねぇ名前なんて言うの?俺は杉元佐一」

 
 関西の大学を卒業し、就職するために私は北海道に引っ越してきた。今まで実家暮らしで、上の兄2人は既にそれぞれ家庭を持ち働いてる。やっと私も一人暮らしできると不動産屋さんに行ったのが1ヶ月ほど前の話だ。

 都会に比べれば、部屋の大きさの割にかなり家賃は安く水道光熱費も安い。1人で住むだけだし、掃除は嫌いなためワンルームでいいと言って進められたのがこの部屋だ。

 築20年ほどのそこそこ新しいアパートで、広さは8畳の1K。浴室にはシャワーしかないが湯船にはそうそう浸からないため、それでも構わなかった。

 ここにする、と決めて引っ越してきたのが昨日。まだ部屋の隅には未開封のダンボールの箱が山積みになっているが、必要最低限の荷物だけ出し昨晩は22時頃に就寝した。

 そして窓から射し込む朝日で目が覚めたらこれだ。布団の上に横たわったまま壁側の時計を見ると針は5時半すぎを差しており、二度寝しようと逆の方向へと寝返りしたら目の前には顔に複数の傷がついた男性。

 頬杖をついて、「あ、起きた」と笑う見知らぬ男性に私は咄嗟に枕を投げた。布団を跳ね除けて男性とは対角線上の部屋の端に移動する。


「だ、誰!?」

「驚かせちゃってごめんね?」


 しょんぼりと悲しげな顔をした男性を上から下まで見る。生地が厚そうな紺色の軍服に黄色地に赤の線が入ったマフラー、それに警察官が被っているような帽子もしている。

 右肩には歴史館等でしか見た事がない長銃をかけており、それを見て一気に血の気が引いた。男性は困った顔をしてどうどうと私を落ち着かせようとしているのかもしれないが、プルプルと震えていた私の視界には入らなかった。


「怖くないよー。俺、幽霊だから何も出来ないし」


 緊張が高まりすぎて普通に怖いわと心の中で冷静にツッコんだ。幽霊といえばと思い、自身を幽霊という彼の足元をよくよく見ると背景が透けている。私は生まれてこのかた1度も幽霊を見た事も感じた事も無い。まじまじと彼を見ていると視線に気がついた彼は目をきらきらとさせて近寄ってきた。

 そして冒頭に戻る。




「兵隊さんだったんですね。へー」

「そうそう。あれから100年くらい経ってるけど色んなものが増えてるよね」

「世の中便利なものが増えましたよねぇ。そういえば杉元さんはいつからここに?」

「分かんなぁい」

「そっかぁ」


 杉元佐一さんは本当に幽霊らしい。最初はあまり信じられなくてクイックルワイパーでつついてみたり、ティッシュを丸めたものを投げてみたりしたが全部すり抜けた。当然杉元さんには「人に物を投げるんじゃありません!」と説教されたが、実際に壁をすり抜けているところを見て、やっと本当のこと言っていたんだと理解した。

 1ヶ月経った今ではかなり話すようになった。そして分かったことは、案外この杉元佐一という男は乙女であるということだ。私が風呂に入る時に服を脱いでいれば、たまたまトイレと浴室の壁をすり抜けてきた杉元さんと鉢合わせ、杉元さんは顔を真っ赤にして「きゃー!」と言いながらいつもの部屋へ逃げていったのだ。厳つい顔して「きゃー!」とかギャップ萌え狙ってるんか。女である私でもそんな叫び方はせんぞ。


「裸を見られたとて所詮幽霊。触ることもできまい。はっはっはっ」

「せめて上着、着て!」


 自身の上着を脱いで、目を逸らしながら私に被せようとしてくれている杉元さんは紳士だが、なんせ幽霊の持ち物である上着は私をすり抜けてしまう。


「あっはっはっ」

「早く着て!!」

「はっはっはっ......ぇっくしょん、あ゛ー」

「風邪ひいちゃうじゃない!!」








「お前なんか◎△$♪×¥●&%#?!」

「申し訳ありません、以後気をつけます」


 朝からオフィスに響き渡る怒鳴り声。このハゲ散らかしたクソ上司はパワハラで有名らしい。気の弱そうな女性にばかりセクハラ、パワハラ、モラハラの三冠をしているらしいが、ほかの上司や先輩、同僚たちは見て見ぬふりだし、正直私もあの上司に関わりたくない。

 当たり障りなく過ごしていたが、今日は機嫌が悪かったようだ。普段通り上司がPCを叩く手を止めている際に書類の確認をしてもらおうと思ったが、上司的にタイミングが悪かったのかこの状況である。なぜ今なのか、確認は後でもいいだろう、前もそうだったがうんたらかんたらと理不尽に怒られている。締切がギリギリだったりいつもミスしてばかりなら怒られても仕方ないと思うが、突然怒鳴られているのである。

 私はお前がさっきキャサリンとかいう怪しげな女性におじさん構文LINE打ってるところ見たんだぞ。既読無視されているのも知っているぞ。

 頭が上司の言葉をシャットアウトし何を言っているのか分からない。脳内で家にいる乙女な軍人の銃を借り目の前の上司の頭を撃つ想像をしていると、横から声がかかる。


「佐々木部長、今お時間よろしいですか?」

「なんだ!って御堂か。どうした?」


 あからさまに態度を変えやがったぞ、このクソ上司。でも今のうちにともう1度謝罪をしてからその場を気配を消して立ち去る。今日は最悪だ。自分のデスクに戻ると隣の席の同僚から哀れみの目を貰う。思い切り顰め面をして返すと苦笑された。ちくしょう。

 1日の始まりがそれだったためあまり集中出来ずイライラしたまま退勤時間になった。帰りにコンビニ寄って帰ろう。こんな日は酒だ、酒。呑んでやる。退勤時間ぴったりにカバンを持ちタイムカードを切って帰宅する。

 未だにこの北海道の肌寒さには慣れない。腕をさすりマフラーに顔を埋めながら、街灯が照らす道をとぼとぼと歩いた。


「そういえば杉元さんは呑めるのか......?」




 両手にチューハイ、ウイスキー、焼酎、日本酒、ジュース、おつまみ等が入った重たい袋を肩に提げ家の扉に鍵を差し込んでガチャリと回す。「ただいまぁ」と言うと「おかえりぃ」と返ってきた。リビングの扉をすり抜けて杉元さんが玄関へ飛んでくる。


「あ、なんか買ってきてる」

「今日は呑むぞ!」

「おぉ!」


 切れ長の目を丸めてぱちぱちと手を叩く可愛い彼との生活にはかなり慣れた。袋の中をのぞきこんであれはなんだこれはなんだという疑問に答えながら部屋の中へと足を進めた。

 部屋の真ん中にある折りたたみテーブルの上に買ってきたものを並べて、おつまみの砂肝やチョリソーは電子レンジでチンする。杉元さんはポルターガイストを使いこなせるようになったみたいで、お酒の缶をふわふわ浮かせていた。

 我が物顔でラグに寝転んで寛ぎながら大の字になる軍人の体をまたいでコップを取りに行くと、杉元さんも着いてきた。


「笹本さん」

「どしたの?」

「なんでもない」

「めんどくさい彼女か」


 眉を下げてへにゃりと笑いながら私の名前を呼んでくるとかあざといな、と真顔で思いながら食器棚の上にあるはずのお酒飲む時用のコップを探す。ここに置くのはいいが背伸びをしないと取り出しにくいなと引越し直後の私を恨んだ。

 必死に腕を伸ばしていると後ろにふと気配を感じ、紺色の袖が頭の上に伸びる。そのままコップを取ってくれた。


「はい。これで合ってる?」

「杉元さん......しゅき......」

「な、笹本さん!女性がそんなに軽々しく男に...きとか言わないの!!」

「今の一瞬で私の持ちうる語彙力全部消えちゃったわ」


 身長差を感じてはわわとなった。精悍な顔つきのイケメンに近距離で見られたら倒れちゃう。好きって言われてぽぽぽっと真っ赤になっちゃう杉元さんかわよ。好きをはっきり言えずに小声なのてぇてぇ。

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