「話し掛けないで」 彼女は黒い瞳に影を落とし、更に闇のように見せながらそう言った。そんな彼女は何も無い空虚な室内で膝を抱え、裸足で冷えたコンクリートの床に座っている。黒く、手首を覆い隠す程長い袖のワンピースは、袖の長さのわりに太股の中程までしか丈が無い。きっと彼女は今、寒さすら忘れているのだろう。そんな事をぼんやりと思考する。暗い思考に脚を取られて、感覚すらも。 「分かった」 返答は室内に波紋のように響き、消えて行く。彼女から何も発せられないのを確認してから、冷たい床に腰を下ろす。何も言わないという事は、出て行かなくても良いという事。此処に居ても良いという事。 俯き、膝をじっと眺めている彼女の、黒く艶やかな髪は、背中や肩や膝を伝い、床を這うように広がっていて、まるで彼女の周りにぽっかりと、闇が広がっているようだった。 カーテンを引いていない小さな硝子窓からは、柔らかな月明かりが差し込んでいる。けれど今はその優しい明るさが、とても頼りないものに見えた。この室内の闇を照らすには、あまりにも足りないくらい、月明かりが優しいから。 まるで人形のように、何も音を発しない彼女の肌は、月明かりに照らされ、ぼんやりとした白さを持って夜闇に染まった室内に浮かび上がっている。あまり生気を感じさせない、陶器のような肌、存在は、風が吹いたら消えそうだ。そんな事を思考して、ゆっくりと眼を閉じた。 眼を閉じている間に、彼女が消えることはないという確信があった。自分がここに居るから。自分が居るから、何があっても彼女は消えないという確信が。 しばらくして眼を開くと、やはり彼女は手足を動かすこともなく、人形のようなたたずまいでそこに居た。変わらず、月明かりに照らされ、消えそうなままで、そこに。 昔のものを発掘&再利用。 |