冬島が近付くにつれ、風が突き刺すような冷たいものになっていく。上陸準備を終えてしまうと、身体を動かしてたことにより上昇していた体温が、身体の末端から下がり出す。船内ならまだしも、壁や扉に守られていない甲板では、いくら防寒をしていても寒い。それでも船内に戻らないのは、久しぶりの冬島が楽しみで、待ち遠しいからだ。

「でもやっぱさみい!」

シャツと上着を羽織った腕をさすりながら、何度か寒い寒いと叫んでいたら、うるせえ! と右隣に立つマルコに一喝されてしまった。
準備が終わると、寒いのをいやがって皆早々に船内へ戻ってしまったけれど、結構な寒がりの彼がまだここに居るのは、自ら俺に付き合ってくれているからだ。それが少し嬉しい俺は、軽く笑って、ごめんと謝る。するとマルコは、いつでも眠そうに見える目で、ひどくゆっくりと瞬きをして、それを返事の代わりとしたらしかった。

「頷くぐらいしろよ!」
「めんどくせえ」
「こんな返事はするくせに、頷くのが面倒ってどうなんだ……」
「喋るのもめんどくせえよい」

まったくこの大人は、と少し呆れる。けれど、そうだな。喋るのが面倒という気持ちは、わからないでもない。

「確かに、喋るのも面倒になるくらい、さみいよなァ……」

海を見遣ってから返し、またマルコへ視線を戻す。寒さに背を丸め、ぐるりと巻き付けたマフラーに鼻先をうずめるている様は、とても白ひげ海賊団一番隊隊長のようには見えない。鳥って寒がりだったか。
そんなことを思われているとも知らず、彼は凍てつく海に目を向けながら、マフラーを少しずらして、ひとつ、深い息をした。

「全部が面倒になるぐらいさみい。けど、冷たく澄んだこの空気が、俺はわりとすきだよい」

遠くの海を眺めながら白い息を吐く。そんな彼の横顔が、なぜだかとてもきれいなもののように思えて、俺は瞬きでシャッターをきる。潮風にさらされて痛んだマルコの金髪が、寒空の中、乾いた音を立てて揺れた。俺は色素の薄いこの髪を見ると、遠い記憶の中、欠けた歯を見せて笑う少年を思い出す。左腕に刻まれた幼い彼との日々も、右隣にいるマルコとの今日も、絶対に、忘れたくねえな。ふと浮かんだそんな気持ちに、俺はこころの内で頷く。忘れるわけがねえよ。
マルコを真似て、すう、と深く空気を吸い込めば、外界が自分に入り込んで来るような感覚がした。温められた体内に、冷たい空気は馴染まない。自分が閉じたちっぽけなものであると実感させられ、吸い込んだばかりの息を吐き出す。鋭利なほどに澄んだ空気は、肌を、内臓を、氷のような冷たさで刺す。それでもこの空気は、俺もわりとすきだと思った。自分が研ぎ澄まされていくような気がする。

「なんとなくわかる」

マルコの先の発言に、素直に同意をとなえると、意外そうな顔で振り向かれた。なんだよ、と少しの照れを含んで睨めば、なんでもないよい、という言葉と共に、にやりと一笑された。けれど見上げた瞳には穏やかな色が見てとれたので、俺も笑みを返す。その途端、マルコの目には違う色が滲んで、ゆっくりと笑みが消えた。
ああ、彼の次の行動が、まるで手に取るようにわかってしまって、そんな自分が俺はいやだ。
眉を寄せて少し息を吐き出すと、予想した通り、雀斑の散る冷えた頬に、それよりも冷たい手が触れた。思わず目を細める。

「いやかよい」

俺の目の縁を親指で撫でながら、マルコは静かに問う。細めた目と、寄せた眉を見て、その気でないと思ったのだろう。けれど俺は決して、マルコに触れられるのがいやなのではない。彼の次の手を読んで、期待をしてしまう自分が、悔しくて、情けなくて、いやなのだ。与えられるのを待っているだなんて、柄でもないのに。
そんな考えを消し去るように、ゆるく首を振ると、左の頬に触れていたマルコの右手が、するりと、まるで溶け落ちるように、首の付け根まで下がった。その手の冷たさは、マフラーに阻まれてもうわからない。どうしようもなく、マルコの体温に触れたいと思った。触れられたいのではなく、触れたい。
ほんの少し、息を吸い込んだ。

「マルコの手が、すげえ冷てぇから、」

それだけ言って、ぐいと頭を引き寄せ唇を合わせれば、マルコは最初こそ驚いた顔をしていたけれど、ずるい大人の笑みを浮かべ、すぐに深く口づけてきた。呼吸を奪われる。苦しくなって、マルコの胸をとんと叩くと、すぐに解放され、じっと目を覗き込まれた。彼はまだ笑っている。

「冷たい俺の手はいやかよい」
「いやじゃあねえよ。この空気みたいで」
「まあ、冬の空気も冷てえからな」

それとはまた違ぇんだけどな、と思ったけれど口には出さず、冷えた彼の手を取り、やはり冷たい手の平に口づける。

「わりとすきだ」

本音も全て、研ぎ澄ましてしまう、この冬のような、冷たい手が。



冷たい風は雪をはらんで、冬島まで、もうすぐであると知らせている。久しぶりの冬島だ。雪景色も、厚手の服も、温かい料理も、酒も、存分に楽しみたい。島に着いてからのことを考えながら、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、目を閉じた。感じるのは、波の音、風の音、自分の心臓の音、突き刺す空気、時折肌に触れる雪。それから、繋いだ手のぬるくなっていく温度。
目を開いて右隣を見る。
今、彼の双眸は海を見ることなく、ただじっと、俺を静かに見ていた。その瞳に浮かんだ色は、冷えた空気とは正反対の温かいもので、その正体を俺は知っている。これは、愛しさだ。俺の目にも、その色が見て取れることだろう。けれど沈黙を保ったままでは、全てが真剣味を帯びてしまう気がして、俺は明るさを意識して笑った。

「なあマルコ、島に着いたら宿取って、一緒に湯舟につかろうぜ」

湯をためた浴槽に入るのは、能力者にとっては命取りにもなりかねない行為だが、冬真っ盛りな島に入って、シャワーだけというのはさすがに寒そうだし、たまにはいいだろう。マルコは俺の言葉を聞いて、しょうがねえな、という表情を浮かべたが、それでも器用に笑ってみせた。

「ああ、いいよい。だが湯は少なめにするぞ」

それは寒いだろ、と少し抗議めいた声をあげれば、ガタイのいい男が二人も入れば、嵩増しになって丁度いいだろう、と言われた。なるほど、とつぶやいて頷く。少ない湯でも嵩が増せば、十分に温かいずだし、それでもまだ寒いのなら、肌を寄せればいいのだ。
けれど、俺もマルコも、寒くなくても互いに手を伸ばすのだろうな、と白い息を吐きながら思う。
次第に透明になっていく息と、舞い落ちる雪の向こうに、真っ白い景色が見える。
冬島まで、あと僅かだった。


手の平にキス:懇願

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