白い花の中をざくざく進んでいると、鮮やかなオレンジ色のテンガロンハットをかぶった黒髪の青年が見えた。エースだ。花の中に立つエースは、こちらに左半身を向けて空を仰いでいた。その目に鋭さはなく、ただただ穏やかだ。声を張り上げ名を呼べば、こちらを向いてエースは笑った。

「よお、マルコ!」

帽子のつばで影がかかっていても、その笑顔はひとつも暗さを含んではいなかった。
数歩の距離を置いて立ち止まれば、ほんの少しだけ首を傾けて瞬きをし、エースは再び俺と視線を合わせた。その眼差しは、暖かいし優しいけれど、どこか切なさを思い起こさせる秋の日差しに似ていて、思わず目を細める。するとエースも目を細めた。同じ事を思ったのか、それとも違う何かを思ったのか、俺にはわからない。少し息をついて口を開く。

「探し回るのも疲れた、お前ら俺を働かせすぎだよい」
「はは、ごめん。でもきらいじゃないだろ」
「うるせえよい」

実際、世話をやくことがそんなにきらいではないので否定せずそう言えば、照れるなよ、とエースは言う。図星だったのが面白くないだけであって、別に照れているわけではない。わかりやすく顔をしかめれば、ごめん嘘うそ! とエースは手を合わせた。それを見て俺は笑う。このやりとりは小さい遊びのようなものだ。合わせていた手を下ろしてから、エースも笑った。

「お疲れさま、あんまり無理するなよ」
「ありがとよい。いい加減お前も戻れ」
「うーん……、景色きれいだし、あともう少しここに居ようぜ」
「気持ちはわかるが、親父が花の中で座ったまま寝ちまったから、無理矢理起こして戻さないといけねえんだよい」
「そっか、それは急がないとだな」

ああ、だからお前も皆を探すの手伝え、船に戻らせるんだよい。そう言えば、エースは少し驚いて、もう探す必要なんてねえし、船には戻れない、と言った。意味がわからず目を何度かしばたくと、エースはかぶっていたテンガロンハットを背に落とした。すると途端に景色は消えていく。まるでマジックだ。だとしたらあの帽子を落とす仕草は指をぱちりと鳴らしたようなものか。
白い花々も、青い空も、そこに浮かんだ雲も、全てが消えてまうとそこには何もなく、ただ白が広がるばかりだ。そんな場所に俺とエースは立っている。こんな現実はあり得ない。そこで俺はようやく全てを理解した。

「そうか、これは夢か」

そう呟けば、エースは少し寂しそうに頷いて見せた。

「マルコは気付いてると思ってたんだけどな」

そう言って、互いの間に置いた数歩分の距離を詰める。どうするのかと思い眺めていると、シャツの襟首を掴み、引き寄せられた。見た目よりも柔らかな唇が触れ、ゆっくりと離れていく。乱暴で不器用だけれど、優しいばかりのキスは、エースそのものを現しているようだ。互いに顔を見合わせ、再び触れ合わせてから口内を探り、少し啄むようにしてから離れると、シャツを掴む手を離しエースは笑った。

「誕生日おめでとう、マルコ。愛してるぜ」

もう夢が覚めようとしているのか、視界が白く霞みだす。そんな中で、ありがとう、俺もだよい、と呟けば、エースは照れたように微笑んだ。夢だと気付いてしまえば、その声も姿も、全てが懐かしく、恋しくてたまらなくて、その黒髪を撫でようとすると、エースの後ろにいつの間にかサッチと親父が立っており、声を揃えておめでとう、と言う。霞みとは違うものが視界をぼかし、輪郭があやふやになっていく。そうして全てが白く染まる中、ありがとう、と呟けば、愛しさがあふれて頬を伝い、顎を濡らす。こんなに幸せな夢は他にない。サッチも、親父も、エースも、現実にその姿を見ることはもうできないけれど、それでも俺は愛していた。
愛していた。


土の匂いに目を覚ます。
視界いっぱいに広がる青空が、俺を現実世界へと引き戻す。そうだ、少し休もうと地面に寝転がっていたんだった。そのうちに寝てしまったのか。立ち上がり服を払ってから、そばにある磨いたばかりの墓石を眺める。そこには夢で見た白い花が揺れており、かすかに甘いにおいを運んでくる。二人の為にと、自分で持ってきたものだ。

「ありがとうよい、ゆっくり眠ってくれ」

ここに墓はないけれど、サッチにも心のなかでそう言って、ひとり目を閉じた。
夢の中で、たまには休め、生き急ぐな、あまり無理をするな、と彼らは言った。それらを必ず守ることはできないかもしれない。けれど、彼らを無くした世界で、傷を抱え、俺は大切なものを守り続けている。生き残った乗組員や、今までにもらった俺のための言葉や愛。それら全て、投げ出して捨てることのできない愛しいものだ。傷と同様、それらも抱えた。その重さが俺を形作り、俺を生かすのだ。
ゆるく吹いた風が、右の拳を、髪を、シャツの襟を、唇を撫でていく。
再びゆっくりと目を開いた。視界に映る景色は、無くす前も今も、変わらずにうつくしい。俺はまた、こうしてひとつ歳を取り、この世界に生きて続けている。それを再確認するように、ゆっくりと深呼吸をした。甘いにおいと共に吸い込んだはずの息は、涙をふくんで塩辛い。
それでも今感じている幸福に、嘘はなかった。
2011.10.05 Happy Birthday Marco.
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