「マルコ、散歩いこうぜ。」

とろとろと眠りに浸っていると、なにかが動く気配がしたので目を覚ました。それから何かが足りないと思って気付く。隣の気配がない。寝起きの掠れた声でエース、と名を呼ぶと、ベッドを出て着替えていたエースがこちらを振り向き、少し驚いてみせてから冒頭の台詞を投げた。
薄手のシャツに七分丈のゆるいパンツ、それからつっかけのサンダルという、ひどくラフな格好で外へ出る。風は冷たく空はまだ薄暗かった。どこへ行くかと問いかければ、近くの高台へ行こうとエースは答えた。頷いて、どちらからともなく手を伸ばし、ゆるく握って歩きだす。
高台まではぽつりぽつりと、道に生える花がきれいだとか、あの家はでかいだとか、朝食は何にするだとか、つまりはあってもなくてもいいような、くだらない話を手を繋いだまま続けた。左隣を歩くエースはひどく機嫌がいい様子で、子供のようにせわしなく辺りを見回しては、調子はずれな鼻歌を歌った。
目的地へたどり着くと、エースは自然と俺の手を離れた。どうするのかと思い、青年らしい発展途上なかたさを持つ右頬を眺めると、そのまま無言で駆けて行く。エースは落下防止用の柵の前で立ち止まると、柵の向こう、高台の下に広がる町を眺めているようだった。逆光が彼の黒髪を茶色く透かす。
こういうときのエースは、例え笑っていても何も寄せ付けないような雰囲気があり、どうしようもなく独りの男の目をしている。今こちらからその顔は見えないけれど、きっと今もそうだろう。そう感じ取れるので、なるべく音を立てないようにゆっくりと彼の元まで歩く。空は明るさを含みはじめている。
先程のように再び隣へ並ぶと、エースは町を眺めたまま、ゆるく口の端をあげて喋り出した。 マルコ、俺さ。
俺さ、昔はよくこういう所から飛び……落ちたいとか、この世界から消えたいとかよく思ってたんだ、あ、もちろん今はそんなことねえけどよ。とにかく全部、ひとも自分もいやでいやで仕方なくて、焼き尽くしてボロボロの消し炭にして吹き飛ばしたいくらいきらいだったんだ、この世界も。ほんと、全部。
でも色んなやつに会って、必要とされて、叱られてゆるされてゆるして、少しずつ世界をきらいじゃなくなっていって、すきになっていって、自分も少しずつきらいじゃなくなっていった。……生きててよかった、って思えた。あんたにも会えたしな。
うん、今はしあわせだ。だからさ、……なんでもねえ、なんでもねえよ!

「空、明るくなってきてきれいだな、マルコの目みたいだ」

そう言って明るく笑ったエースが、何を言おうとしてやめたのか、本当のところはわからない。けれどなんとなく分かっていた。エースはいつもぎりぎりの所にいる。
もう死んじまってもいい。 ……そう、エースは言おうとしたのではないかと思う。隣で見た黒い目は、幸福をたたえると同時に、すべてに満足しているような絶望しているような色を浮かべていた。あれは死を目前とした者の目に似ている。彼はいつだって危うい。柵を超えた向こう側に居るのだ。
ああどうか、そこから落ちないでくれ、飛び降りないでくれ。この世界から、俺の前から消えて居なくならないないでくれ。そう願いながら、俺はエースの右手を取り、そのまま顔を寄せる。

「なら空より俺の目を見てろよい」

そう言って覗きこんだエースの目は、もう先程のような色を浮かべてはおらず、ただただ俺の青を映していた。

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