「俺、もうなんもいらねえ」

キスの後にそう言った不動は泣き出しそうな眼をしていた。水の膜に覆われ光をきらきら反射する緑の瞳が、しあわせすぎて怖いっていうみたいに揺らぐ。強がってばかりの不動が、たまに見せる弱さが愛おしい。かき集めて作り上げたつぎはぎの、ほつれた糸の隙間に見える、脆い不動の本質。それすらも細い白い腕で必死に隠そうとするけれど、ときには力を抜いて俺にだけ見せてくれる。俺はこの目が世界で一番すきだ。怖いくらいに透き通る新緑。角度によっては光でかき消えそうな色をした、不動の弱さを一番にあらわす双眸。

「不動、」

もう一度キスをしたら、瞼はゆるやかに閉ざされ長い睫毛が震えた。深く咥内を味わって、ついばむようにしてから唇をはなすと、不動のくちが俺の名前を形作る。「げんだ」と音もなく呼ばれ、とん、と音をたてて不動が寄り掛かってきた。その小さな重みに、じわりと何かあたたかいものが胸に広がり、からだ全体に染みわたる。どうしてこんなにもあたたかいのに、いたむのだろう、泣きたくなるのだろう。
不動を、すきだと思った。
布越しにも骨の存在を感じる背中へ腕をまわし抱きしめる。高さもあまりなく肉付きもよくない不動のからだは、いとも簡単に両腕の中におさまった。互いの間に存在する隙間が邪魔でうめたくて、腕に力をこめても不動は抵抗しない。からだに伝わってくる温度は冷たかった、かたかたと小さく震えている。なんでこんなに冷たいのだろうか。かわいそうに、寒いだろうに。その冷たさが不動の寂しさあらわしているようで、そんなのは俺が寂しかった。かなしかった。いたかった。
あたためてあげよう。抱きしめていてあげよう。もう寂しくないように、俺がそばに居てあげよう。独りにならないように。だって不動が独りでいるのは俺がいやなんだ。エゴでもいい、俺は不動がすきなんだから。
すきだと呟いてから腕の力を強めると、背中に両腕がまわされる気配がして、肩甲骨あたりの布をつかまれた。これが不動なりの抱き返し方なのだ。不器用で、人に触れることに対してどこか怯えているくせに、人肌が恋しくて手を伸ばす。
決して大きくはない手の感覚に、さらに胸があたたかくなって、少し低い不動の肩に鼻先を押し付けると、お前犬みてえだな、と言って弱く笑う。ゆるく笑う振動が触れ合った部分から伝わって、まるで溶け合ってひとつになったみたいだと思う。

「そうだな、犬でもいいぞ」
「なに冗談言ってんのお前、似合わないぜ」
「本気だったんだが」
「……馬鹿じゃねぇの」
「馬鹿と言った方が馬鹿、なんだぞ不動」
「うるせぇよ」

不動を見れない触れないのはいやだから、ひとつになりたいだなんて願ったことは無いけれど、こうして溶け合うように何かを共有できたらいいなと願う。もっと不動の内面に触れられたらいい。そしてそれを今みたいに俺自身でもって包めたらいい。守れたらいい。
不動が、失うことを恐れて今以上に幸福になることをやめてしまわないように、俺はこの手を握りたい。守ること、そばに居ることが叶うなら、犬だっていいと思える。
不動。

「俺はもっとお前との幸福が欲しいよ」


食欲、性欲、睡眠欲と幸福欲。
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