ここのところ、炭酸飲料が飲みたくて仕方がない。そう言うと、柳生はラケットを仕舞いながら少し考えるようにして黙り、私にはあまりよく分かりませんが、という前置きをしてから(彼はスポーツドリンク以外の清涼飲料水を殆ど口にしない)考えを俺に述べた。

「仁王君の身体は今、酸素が不足しているのかもしれませんね」

俺では考えもしなかったことを、柳生はさらりと口にする。流れ落ちる水のように、あまりにも自然で、それが当然のような口ぶり。さすがポエマー、などと思ったけれど、なるほど、と思いもした。最近頻繁に苦しくなったり、頭が鈍く痛んだりするのは、そのせいなのかもしれない。酸素不足。呼吸が下手になった自覚はあるのだ、この男の隣でだけは。

「呼吸が浅いんかもしれん」
「最近暑くなってきましたし、その影響もあるかもしれませんね」
「そうじゃのう」

頷いて、酸素が足りないのか、と改めて思えば、炭酸飲料……酸素を欲する気持ちが、より強くなった気がした。喉が乾いているわけでも腹が減っているわけでもないのに、不思議な飢えが俺の中にはある。

「……柳生、俺に酸素をくれんかのう」

そう言うと、柳生は形のいい眉を僅かに下げて、困惑したような顔をした。彼のこういった表情はあまり見ることが出来ないので、言ってみるものだな、と少しうれしく思う。

「差し上げられるものなら喜んで差し上げますが……」

その言葉の途中で、ちらりと伺うように光を弾くレンズの奥を注視すると、彼は、ああ、と腑に落ちたような顔をした。

「炭酸飲料が飲みたいんでしたね」

分かりました、買って差し上げます、何がよろしいですか。ほんの少し呆れたように、けれど穏やかに言う彼の唇に、前触れもなく噛み付く。驚いて僅かに緩んだ所へ舌を滑り込ませ、探るようにして深く貪ると、溜め息のような吐息が唇の間にこぼれた。

「……酸素、ありがとさん」

すぐに唇を離すと、彼はポケットから綺麗にアイロンをかけられた藍色のハンカチを取り出し、唾液に濡れた己の唇を拭った。
柳生に対し恋情を抱いていると言った俺のことをすきだと言い、口づけることがきらいではないと言う彼は、それでも唇を交わしたあとには口を拭ったり濯いだりする。これは行為や俺のせいではなく、自分の性質のせいなのだと言う。そんな潔癖症である彼が、唇や粘膜に触れることを許してくれる。それだけで俺には十分すぎたので、傷付いたりはしない。ただ、いつも少し申し訳ない気持ちになるだけだ。

「……仁王君」

俺の名前だけを紡ぐ静かな声に、屋外でしたことを咎められるのだろう、と身構えるような気持ちで目を閉じた。けれど張り詰めたような空気は微塵もないままであったので、一瞬にして視界を取り戻した俺は、柳生の言葉の続きを考えながら、美しい四角形に折りたたまれたハンカチが、彼の手によって再びポケットに収められるのをぼんやりと眺める。するとまた名前を呼ばれたので、彼の顔に視線を移し、なん、と言葉を返す。目を合わせて話をすることがすきな柳生は、それで満足したようだった。

「仁王君」
「……聞いとるよ」
「口づけによって得られるのは二酸化炭素であって、酸素ではないですよ」

それで、どの炭酸飲料がよろしいんですか。 もっともでありながらも的外れなことを言う彼が憎く、けれどそれよりも愛おしい。時折冷たく思える程に真っ直ぐな彼が、どうしようもなくすきだ。良くも悪くも他者の反応ばかりを見て動く俺とは、まるで違う。閉じた、個人的な生き物。どう足掻いたって、自分は彼のようには生きられない、ある種の不自由を、俺は自覚している。だからこそ、焦がれてやまないのだ。

「優しいのう」
「甘えられるのはきらいではないですからね」

貴方、知っていたでしょう。そう言う声に、……さぁな、と返しながら俺は笑う。知っている事を知っていた、その事実がうれしい。素知らぬ顔をして甘える男など滑稽でしかないはずなのに、何も言わずに甘やかしてくれていた、甘えること自体を、最初から許容してくれていた。うれしくない、はずが無い。

「好意を抱いている相手に甘えられて、悪い気はしません」
「そうかの」
「ええ、少なくとも私は。……おや、どうして私ではなく、仁王くんがうれしそうにするのですか?」

ほんの少し首を傾げ、不思議そうに柳生が言う。その顔に浮かぶ笑みは年相応に幼くて、俺と共に詐欺を仕掛ける人物とは思えない程、とても純粋だった。自然とこぼれる笑みを、俺は抑えきれない。
甘えられて悪い気はしないーーうれしいのだと、今の言葉で知ることが出来た。ふうわりと、身体が軽くなる感覚。

「……なんでもないナリ」
「そうですか?」

そうなんじゃ! と頷いて、弾む声を少し抑えながら、俺は彼に言うのだ。お前さんがくれるなら、なんでもええよ。
彼がくれた酸素があれば、一週間は生きて行けそうだと、既に飢えが満たされつつある身体で思う。俺の苦手な暑さが、じりじりと近づきつつある日の事だった。

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