St. Valentine's Day


ぼんやりと熱に浮かされた思考で部屋を見渡した。
自分の家の寝室だ。特に何が変わったわけでもない。
臨也は自分が置かれている状況を瞬時には理解できなかった。

(お、れ――)

記憶がなぜかおぼろげだ。そんな馬鹿なと冷静になろうと努めるのだが。

(そうだ、仕事してて……インターホンが……それで)

徐々に記憶が甦ってくる。来客を確認しようとデスクを離れて、そうしたら。

(ドア、が)

扉が勢いよく開いた。もちろん開錠はしていない。力任せに、重い鉄の扉をこじ開けられた。
そして――。

「……っ」

思い出した。
そんなことができる人間は一人しかいない。
記憶が鮮明になると五感も僅かに戻ってきた。

「――――」

一番初めに感じた違和感は口内の甘さだった。

(くそ甘い……)

カカオの風味とブランデーの香り――チョコレートだ。

(いきなり……そう、いきなり突っ込まれたんだ)

弾け飛ぶように扉が開いて、そして、ずかずかと人の家に上がり込んできた男は、いきなり人の口に数個の塊をねじ込んできた。
会話もなく、突然のことに目を白黒させてすぐに吐き出そうとした。
けれど、彼はそのまま自分の口と鼻を塞ぎ、結局無理矢理に嚥下させられた。
その瞬間、頭が霞がかり、苦しさと熱さを覚えながら意識が消えた。

(…………なんつー、急襲だよ……こんなのは予想してなかった)

自分を潰すならただひたすら殴ればいいと思っているような男だった。まさかこんな小手先の小細工を使うなんて、思いもしなかった。

(読み間違えた……まずいな……相手が、悪い)

どうしたものかと考える。けれど頭の回転は鈍い。
せめて現状の把握をとだるい体を必死に動かして横を見ると、ベッドの傍らに立っている男が目に入った。

「……っ」
(シ、ズ――)

目が、合った。

「…………」

彼はこちらを見ている。もしかしたら、意識を取り戻す前からずっと見ていたのかもしれない。

(……)

まずい。この状態では何もできない。抵抗どころか喋ることすら億劫なのだ。

(俺、死ぬのかな……)

走馬灯はよぎらないが、覚悟のようなものは芽生えた。
ただ。
解せないのは、今の自分の状況だ。体がまるで高熱時のように熱い。しかもこの熱は――。

「へえ、動けるのか。……すげえな」
「な、に、言って……ていうか、何、やってくれてん、の」

目覚めた自分に気づいた静雄はゆっくりとこちらに歩み寄る。
ベッドに腰を下ろし、必死に体を起こそうとする自分の体を片手で制した。

「寝てろよ。つらいだろ」
「ッ」

別段、そう強い力ではない。むしろ気遣うように添えられた手だ。

(こ、れ)

そんな、彼の手がふれた瞬間。確信した。熱の正体を。

「くそ……っ」

情けなさに歯噛みしつつも、体は制御できない。荒い息を吐きながら横になるしかなかった。

「……さすが新羅だな」

感心したように呟いた静雄をせめてもの抵抗として睨みつけた。

「ははっ……君たち二人で共謀して俺をどうにかしようって? ふざけたことを……ぐッ」

喋ることもつらい。明らかに過剰摂取だ。しかも薬の作用を思えばたちが悪い。
つらさを隠すこともできずに、呻く。
静雄は少し困ったような表情で、汗で額に張りついた自分の髪を撫でた。

「まあ、あいつは俺の我儘につき合ってくれただけだからな。そう責めんな」
「この、状況で……」

間違えようもない。熱は全身を覆い、そして激しい痛痒感が下半身を襲う。

「責めるもくそもねえわな。ま、とりあえずおとなしく横になっとけ」
「…………」

催淫剤。媚薬。
そんな言葉が脳裏をかすめる。

(屈辱的って意味では、一番効果的かもな……)

理性で抑えきれない部分をさらけ出して、みっともなく発情した姿というのはさすがに情けないものがある。ましてやそれを静雄に見られていると思うと、恥ずかしさと悔しさでどうにかなってしまいそうだった。

「こんな、情けない状態で殺される、とか……ろくな死に方は、しないと思って、た、けど……予想外だ」

切れ切れになりつつも、悪態をつく。それぐらいしかできることがない。

「…………」
「……?」

けれど、静雄の反応は鈍い。嬲り殺すつもりかとその顔を凝視するが、どうにも人を殺そうという顔ではない。
そこには憎悪や嫌悪はなく、ただ逼迫した雰囲気が漂っていた。

(な、ん――)
「――殺さねえよ」
「ッ」

その声の真剣さに息を呑む。
ますます彼の意図が理解できず、混乱が自分を襲う。
刹那――。

「……っあ」

腕が伸び、自身の体にふれた。
自分よりも大きく無骨な、静雄の手だ。

「つらそうだな……ちょっと量間違えたかな」
「量って……」
「まあ、死にはしねえだろ」

衣の裂ける音が寝室に響き渡った。

「っ!」

手は澱みなく衣服をはぎ取った。鮮やかな手つきに抵抗する暇もない。
細切れにされてしまった服たちは、はらはらと床に落とされる。

(冗談、だろ)

寒さは感じない。体は熱かった。
ましてや仇敵の前で裸体をさらすなど、羞恥というレベルの話ではない。
さらに信じられないことに、静雄は手を下肢に向けている。

(う……)

そのまま彼は性器にふれ、やわく握り込んだ。

「……ッ」

すでに限界まで張りつめていた性器が脈打った。ふれられているだけで、どうにかなってしまいそうだ。

「うまくはねえけど……楽にはなるだろう、から」
「ね、ねえ……待っ――」

言っていることも、やっていることも、彼の言動がまったく理解できない。思いどおりにならないと思うことは常だったが、その行動に恐怖を覚えるのは初めてだ。
何をしようとしているのか、いっそ、わからなければよかった。

「……ん」
「――ッ」

熱く、濡れた感触。
そして、熱い吐息。

「熱い……」

自分の下肢に顔をうずめ、呟いた男を殴りたい衝動にかられた。
熱いのは、こちらだ。

「う、あ」

指の動きも加わって、どうしようもない快楽の渦に突き落とされる。
歯を喰いしばって耐えていると、静雄は口を僅かに離した。

「苦しいか……? 出せよ、我慢すんなよ」
「ま、待って、まってよ……ね、え……な」

すぐにまた咥え込もうとする彼を必死に押しとどめる。
これは夢だと思いたい反面、こんな生々しい夢があるかと冷静な自分がいた。

「何、してんの……?」
「フェラチオ」

訊ねかければ即答が返される。

「……っく、あ」

まるでついでのように一舐めされて、腰が跳ねた。

「おまえ綺麗だよな……」

人の大事な箇所をいじりつつ、静雄はそんなことを呟いた。皮肉の色はない。本心からの言葉に聞こえる。

「俺、ずっと想像してたんだ……ああ、服とか、破ったやつは弁償するから」
「……っ」

囁きながら性器にキスを落とされる。そのたびに体が震えた。

(もう、わけが――)

何を言っているのだろう。何をしているのだろう。この男は誰だ。池袋最強で、自分とは長年の仇敵で。
そして、互いに相手が一番憎い存在ではなかったのか。

「熱……すげえな」

こんなに切実な目で自分を見つめることがあるなんて、思うわけがなかった。そんな声で囁いて、そんな手つきでふれるなんて。

――憎悪と、破壊だけじゃなかったのか。

自分に、向けられるべき感情は。

「綺麗だ……こんなこと、言われ慣れてんだろうけどな」
「き、みに、言われるなんて……衝撃的だ」

笑おうとしたけれど、声が震えて情けない音になってしまう。

「そうか? ずっと思ってたけどな俺は」
「……ッ」

性器の先を強くこすられた。もう駄目だ。体が悲鳴を上げている。
制御できない感覚が全身を包んで、そして、何もかもが壊されていく。

(俺たちは、俺は、今、まで)

彼を憎むことで成り立っていた世界が、音を立てて崩れ落ちた。
ガラスの砕けたような音が、聞こえた気がした。

「……ああ……泣くなよ」
「…………」

頬に指が這わされる。
濡れた感触に、初めて自分が泣いていることに気がついた。

「嫌なんだろ。わかるさ、俺にこんなこと言われて、されて……泣きたくもなるよな」

知った顔で静雄は頷いた。確かに泣いているのはまぎれもなくこの男のせいだ。
けれど、理由はそんな単純なものではない。

「可哀想に」
(――どっちがだ)

伏せられた顔に胸中で囁いた。
体が動けば。そうすれば、勝手に自己完結して、何もかもを諦めているこの男を殴ってやるのに。

(殴って、それで、それで――)

しかし、それは今は叶わない望みだ。
友人の作った薬に対しての免疫は常人の自分にはあるはずもなく、ただ熱に溺れるしかなかった。





「……っぐ」
「…………」

咽頭に包み込まれる感覚に全身が痺れる。
何度も体が痙攣した。快楽の逃がし方がわからない。
水音を立てながら、静雄は一心に性器を頬張っている。

「う……あ、ぁ」
「ん……」

奥まで深く咥え込まれた。

「ひ……」

強すぎる快感はまるで暴力のようだった。生理的な涙が溢れてとまらない。
時折、静雄がまるであやすように指で目元をぬぐう。その指の優しさときたら。

「ん……ぁ」

這わされる舌の感触もたまらない。快楽が強すぎて射精ができない。

「あっ……く」

薬の影響とわかっていても、どうにも調子が狂う。

(こんな、こんなことがあるか……?)

快楽を強制的に押しつけられて、あげく、情けない姿をさらすはめになって。
そして、まるで大事なもののような愛でられて。

(む、ちゃ、くちゃ……だ)

常識の通用しない男は、やはりこんな時まで非常識だった。

「……っ」

動かない体を叱咤して、なんとか視線を彼に向ける。
従順な犬のようだった。
必死に舌を、口を動かして、恍惚に頬を染める様は。
唾液と自分の体液と、そんなもので顔を濡らしながら、彼は性器を口に含み、つたない動きで自分を射精させようとしている。
深く咥えると苦しさからか、泣きそうな顔をする。そのくせ行為をやめようとは決してしないのだ。
ふいに、口に残ったチョコレートの後味を思い出す。
苦くて、甘くて、甘い。

(そうか――)

唐突に、あのチョコレートの意味を理解した。
嫌がらせでも小細工でもなく、あれは――。

「――ッ」
「……っ」

ようやく状況と彼の行動の意味を正しく理解した瞬間、限界を迎えた体が熱いものを吐き出した。






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