スリーピング・ロスト


「シズちゃん」
「ん……」
「シズちゃん」
「…………」

臨也の呼びかけに応えずに目を瞑り、できるだけ穏やかな呼吸を意識した。
しばらく彼は傍にいたが、やがて身を起こすと寝室から出ていった。
どうやら本当に静雄に薬が効いたと信じたようだ。

(……どうすんだろ)

独り寝室に残されて、耳に入るのは空調機の風音だけだ。それを感じながらぼんやりと考える。
薬を呑まなかったのは抵抗しようと考えたからではない。ただ、臨也のすることに興味があったのだ。
なんだか落ち着かない。悪戯をしているような感覚だった。思わず笑いそうになる。ともすれば命の危機だというのに、そんなことはとても些末な問題に思えた。
自分を殺すつもりなら、最期のその瞬間に彼の顔を見たかった。

「…………」

ゆっくりと深い呼吸を繰り返す。
そうしていると視覚以外の感覚が研ぎ澄まされて、ある程度の状況は把握できる。静かな空間では遠くの部屋で臨也が立てる物音も聞こえた。
やがて彼は部屋に戻ってきた。何か荷物で両手がふさがっているのか、扉を足で閉めている。





そっと薄目を開けて様子を窺うと静雄の服一式と大きなハサミが見えた。
臨也が傍に近寄る気配に慌てて目を閉じる。

「シズちゃん」

ベッドのスプリングがしなる。彼がゆっくりと腰かけたせいだ。臨也は静雄の顔にかかる髪を払った。
そのまま微動だにせずに臨也は静雄の顔を見つめていた。肌に刺さるような痛いほどの視線を感じて、むず痒い。

「…………」

無言で彼の手が動く。
気配で何かを手に取ったことがわかる。おそらくはあの大きなハサミだろう。

(あれで――)

静雄はそれを首に突き立てられる想像をした。刺さるかどうかは疑問だったが、それは関係ない。
想像の中の自分は真っ赤な血の海と化したベッドでゆっくりと目を開ける。そこには返り血を浴びながら恍惚とした表情の臨也がいるのだ。
それは静雄にとっても夢のような時間に思えた。きっとその瞬間は臨也の目にも心にも、自分しか映らない。
痛みや死への恐怖は少しも湧いてこない。それが不思議であると同時に、とうとう心までが人の常識からかけ離れてしまったことに気づいた。今さらすぎる気もしたが、もう普通であることがどういうことか判断がつかなかった。

「……っ」

そんな妄想にふけっていると臨也の手が静雄の服に触れた。ハサミは一旦横に置いたらしい。
ゆっくりとボタンがはずされる。
丁寧を通り越して恭しいような手つきだった。それがくすぐったくて声を抑えるのに苦労した。
シャツのボタンをすべてはずし終わると、彼はハサミを手に取った。
ゆっくりと慎重に、臨也は静雄の服を裁断し始めた。

(……?)

そこでようやく静雄はハサミの用途を知った。
昔、家庭科の授業で静雄も使ったことのある裁ちバサミだ。これでは布は切れても、とても肉や骨は切れないだろう。

(何やってんだこいつ)

想像がはずれ、ますます困惑は大きくなる。

「……ふ」

裁断が終わったのか臨也が息をついた。
丁寧で慎重な彼の手つきに、冷たい金属が静雄の肌に触れることは一度もなかった。
続いてズボンも同じように切り取られる。それが終わると下着。靴下まですべて脱がされた。
どうやら静雄の服を脱がすことが目的で、手間のかかる場所にハサミを使ったらしい。





(……どういうつもりだ)

すべての工程を終えて臨也はハサミをどこかサイドテーブルにでも置いたのだろう。僅かに金属と木材の触れ合う音が聞こえた。

(なん、で)

すっかりと肌を覆うものがなくなってしまった。
全裸で横たえられているというのに静雄はあまり動揺していなかった。
わけがわからない。
疑問が頭を占めていて、羞恥心や違和感を感じる余裕がなかったのかもしれない。
それに服がなくなって初めて、暑く感じていた室温が適温であることに気づいた。臨也は身に着けるものを取り払った静雄の体のために空調を調節したのだろうか。
今さら目を開けるわけにもいかず、静雄は臨也の次の行動を窺った。
まさか自分が起きているとは思っていないだろう臨也は、静雄の服を床に落とし何度もその体に視線を這わせた。
じかに彼の表情を見ることは叶わないのに、あの目が瞼の裏に焼きついていて視線が交差しているような錯覚に陥る。赤い瞳が揺れている。そこには切実な熱があった。

(なんで、おまえはそんな――)

肌に感じるその熱と、時折臨也が洩らす吐息の意味がわからなかった。
恍惚という言葉が一番しっくりする。
ここにあるのは自分の汚らしい体だけだ。そのどこにそんな要素があるのかまったく理解できない。臨也には何か違うものが見えているのだろうか。

「っ」

ぐるぐると思考を巡らせる静雄のちょうど鎖骨の下あたり、規則正しく上下する胸の上に臨也の指が置かれた。
そのまま彼がそっと腕を引くと肌をなぞる感触に声が洩れそうになる。
何かのまじないのように、神聖さすら感じられる動作だった。敬虔な祈りにも似ている。
心臓が高鳴った。
気づかれないほうが不思議だと思うのだが、臨也の耳には静寂しか聞こえていないのだろう。意識がないと思っている静雄の体に、普段の遠慮は感じられなかった。

(な、に)

息ができなくなる。胸が苦しくて、体が今にも震えだしそうだった。
喉からは不明瞭な声が洩れるのではと思えるほどに引きつって、この空間に居たたまれなさを感じている。後悔が大きくなる。こんなことならやはり薬を呑んでおくべきだった。
それでもかろうじて平静を保っていられるのは、ひとえに臨也の行動の先を知りたいためだ。
でなければ叫び声の一つもあげて飛び起きたかった。それほどに緊張している。
体を巡る血の音さえ聞こえるかと思った。
どんどんと鼓動は大きくなり、そして――

「…………きれい」

ぽつりと零れた呟きは静かな部屋にまるで淡雪のようにとける。
静雄でなければ聞き取れないほど小さなそれは、拙い子供の声のようだった。






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