スリーピング・ロスト


「やあ! 僕とセルティの愛の巣へようこそ」

翌日、セルティに告げた言葉どおり新羅の家を訪れると、相変わらずねじの数本飛んだ友人が快く出迎えてくれた。
彼女は仕事で留守にしているらしい。もしかしたら気をきかせて席をはずしてくれたのかもしれないが、彼女の姿がないと新羅の饒舌に拍車がかかるのが困りものだった。
通されたリビングでなぜかティーカップで緑茶を出される。そこを突くと紅茶と日本茶の茶葉がどうのと長々しい講釈が始まった。
仕方なく聞き流しながら熱い茶をすする。味のよしあしがわかるほど舌が肥えているわけではないが、素直に美味いと感じた。
どうせ臨也や新羅が使う茶葉は自分には縁のない高級品なのだろう。昔からそういう細かいところでこの二人は気が合っていた。
そんなことを考えながらぼんやりと宙を眺めていると、一息ついた新羅がカップをソーサーに置いて話を変えた。
どうやら本題はこれかららしい。

「……怒んないでね?」
「なんだよ」

ちらちらと顔色を窺う彼に眉を寄せる。歯切れが悪い。

「あのさ、その、臨也のことなんだけど」
「…………」
「お、おお怒らないでって! とりあえずカップ置いて! それマイセンだから!」

ひびの入る感触に黙って手を離した。割れてはいない。
険悪な表情で睨む。新羅は機嫌を取るようにわざとらしい笑みを浮かべていた。

「……ノミ蟲がなんだって?」

臨也、という言葉に敏感になってしまうのは仕方がない。
本当は新羅が危惧しているような怒りや苛立ちが湧くことはなくなってしまっている。しかしそれを言う気にはなれず、誤解をされたままであることを許容して先を促した。

「いや、だからさ、ほら、僕も君も、それに臨也も。高校来の友人のよしみってものがあるだろう」
「俺とあいつが一瞬でも友人だったことなんざねえだろうが」
「ま、ま。そのへんは置いといて」

友人を飛び越えて曲がりなりにも恋人になった。そんな嘘のような事実を告げれば昔からの友人はどう思うだろう。想像だけが膨らむ。現実には何一つ打ち明けるつもりもないくせに。
自分の臆病さに顔をしかめた。言ってどうなるわけでもないのに、僅かの変化にも怯えている自分が情けない。終わりを少しでも先に送りたいという、見苦しいあがきにしか思えなかった。
新羅は静雄の険しい表情が臨也という単語に反応してと思っているのか、苦笑しながら空になった自分と静雄のカップに茶をつぎたした。

「とにかく臨也がさ、最近ちょっと様子が変なんだよ」
「……あいつが変なのは今に始まったことじゃねえだろ」

湯気の立つカップに口をつけながら呟いた。熱い液体が喉を通る感覚に目を細める。味がわからない。

(変? 変って――)

「怪我とか病気とか、それこそあいつの悪癖とか……そういうんじゃなくてさ。気にならないかい? 臨也が、あの臨也がだよ?」
「だから、なんだよ」

素直に気になると言えない自分が馬鹿みたいだった。
気になるのだ。彼のことなら何もかも。

「何か、思い悩むことでもあるのかなって」

新羅の言葉に息を呑んだ。息苦しさに喉が上下する。
誤魔化すようにカップを傾けたが、あいにくと空だった。

「…………知るか、そんなこと」

動揺していた。
自分には感じられない臨也の変化を新羅は感じたのだという。
しかしすぐにそれが当然のことだと思い至った。

(そりゃ、そうだろうよ)

現実に笑いそうになる。近くにいるはずの自分が、一番見えていない。あたりまえだ。自分のことで手一杯で、何もかも見ないふりをしていたのだから。
臨也の様子がおかしいのだとしたら、それは自分が原因だろう。これ以上ないほどの無理を押しつけている自覚はあった。
恋人の真似事なんて馬鹿馬鹿しいことをさせている。
きっとそれは彼にとって酷く心を疲弊させる行為なのだろう。そうに違いない。
新羅の憂慮は正しい。
自分のせいだと言えばどう思うだろうか。
口が渇く。どうせ味などわからない。水道の水でもなんでもいい、痛みすら感じる喉を潤したかった。

「君たちって対極なんだよね。だから僕にわからないこともお互いに理解できたりするのかなって、思ったりもするんだけど」
「……あいつの考えてることを、俺が知るわけねえだろ。それに心配なら直接本人に聞けばいいじゃねえか」

かすれた声に新羅は違和感を感じないのかと不思議に思ったが、それがただの被害妄想だと気づいて苦笑した。傍目にはきっと自分は平常だ。

「素直に答えると思う?」
「…………」

おかしな話だ。原因に向かって相談を持ちかけている。
最初からあてにはしていないのか。けれどそれなら機嫌を損ねることをわかっていて、わざわざ自分に臨也の話を振ることはないだろう。おそらくすべてが善意だ。
それが友情と呼べるものなのだと、ようやく気づいた。

「そんなに深刻に心配してるわけじゃないんだ。臨也のことだから、たぶんどうとでもうまくやるんだろうって思ってはいるよ。立ち回りにかけては腹立つくらいにうまいし、大事になるようなヘマはしないだろうけど」

新羅に視線を向ける。昔から見知っているその顔に少しだけ、歳相応の落ち着きとさらに磨きのかかった理知的な雰囲気を垣間見た。
闇医者で妖精の恋人で変人で。とてもまともな男ではないのに、彼は確かに自分と臨也の友人だった。
一緒に学生時代をすごして、一緒に大人になった。
何か大きな要因があったわけではない。けれど自分たちは確かに互いが特別な三人だった。はずれ者同士が集まったと言われればそれまでなのだが、それでも自分たちの中には仲間意識や連帯感、友情、好奇心、嫌悪に憎悪。そして青くさい信念や願望や未来絵図。そんな若さに任せた感情が溢れるように存在していた。

「でも古い友人としては気にもなるわけで」

彼の言葉はあの頃を懐かしむそれとは少し違う、今の自分たちに向けてのものだ。
本当の心配ではないとわかる。それに至るだけの深刻さはないだろうし、そんな事態を招かないだろうという信頼がそこにはあった。それは三人それぞれに言えることだった。
どれだけ無茶をしても互いの境界を知っている。だから安っぽい友情や盲目的な信用ではなく、事実として知っているのだ。
こんなにもでたらめな人間同士が十年近い年月の間繋がっていられるのは、世間の定義する友情の尺度では測れないだろうということも知っている。

「……からかいたいだけじゃねえの?」

静雄のぶっきらぼうな呟きに白衣の男は笑った。

「それもある」

ほがらかな笑顔は昔から変わらない。
きっと自分たちはとてもバランスの取れた関係だったのだろうなと、今さらのように思った。ある意味理想の友人像かもしれない。
永遠に友情で結ばれていれば、こんな思いをすることもなかった。
喧嘩も殺し合いも、罵声の応酬も。そんなことが些細だと思えるような関係なら。少なくとも静雄が新羅に感じるように、新羅が臨也や静雄に感じるように。そんな友情であれば、充分にそれが可能だと思えた。
満足していればよかったのに。少なくともずっと繋がっていることはできた。彼と。
いつでも均整の取れた綺麗なものを壊すのは自分なのだ。

「けど、らしくないあいつの様子ってなんだか落ち着かなくて」
「友情に厚いな」
「僕はいつでも君たちの心配をしてるんだよ」

知っている。
口にすることはないが、新羅だって静雄がそれを理解していることを知っている。

「あいつと俺をひと括りにすんな」

悪態は虚勢でしかない。
それでも言わずにいられなかった。せめて今でも嫌い合っているという態度でいなければ、余計なことを考える。臨也の声や表情。昔には見ることのできなかったそればかりが脳裏をよぎる。
静雄の心情とは裏腹に、これ以上は何を言っても無駄だと思ったのか話はこれだけだったのか、新羅はあっさりと締め括った。

「まあ、臨也のことは心にとどめておいてくれればいいさ。街で会うことがあったら聞いてみてよ」
「おまえ、俺らが会ったらどうなるか知ってんだろうが」
「ははっ、あんなのはコミュニケーションの一環だろ。殺す殺さないって、そんなふうに言い続けた君たちが今日の今日までぴんぴんしてるんだしさあ」
「…………」
「……ごめんなさい口が滑りました。うそうそ、ちょっとやめてテーブル新調したばっかりだからああぁ!」

無意識のうちに手に力がこもってしまったようだ。
悲愴な声に少しだけ胸がすいた。
痛いところを突かれた。核心と言ってもいい。
だから頭のいい奴は嫌いなんだ。そう八つ当たりのように舌打ちした。

「……帰る」





「あのさ、静雄」

わざわざ玄関先まで見送りにきた新羅は、壁に背中を預けながら呟いた。

「余計なお世話だとは思うけど、僕が君たちを心配してるっていうのは本当だよ。数少ない友人だしね」
「…………」

靴を履きながら背中越しの声を黙殺する。
新羅の意図はわかる。静雄が彼の心遣いに気づいているのに、同じ言葉を繰り返してわざと言い含めている。要は学習しろと言いたいのだ、彼は。
複雑な立ち位置にある自分と臨也をどうにかしたいと思っているのだろうか。

「君たちはさ、ちょっとしたボタンのかけ違いでこんなふうになってて、本当はぴったり嵌るピースみたいなものなんだと思うんだ」

つま先を数回タイルに叩き鳴らして、振り返った。
彼は肩をすくめながらとぼけた表情を見せた。

「でなきゃこんなに劣悪な関係で何年も縁が切れないわけないじゃないか」

(そうだな――)

心中で頷いた。そのとおりだ。新羅の言葉は正しい。
知ってるか。俺はあいつが好きなんだ。おまえが思ってるようないがみ合いどころか、友情すら飛び越えてセックスまでしてる。
喉元まで言葉が競り上がった。
けれど、けして音にはしない。

「……セルティによろしくな」

無難な挨拶の言葉をかけるとドアノブに手をかけた。
背中には新羅の視線を痛いほど感じている。

「臨也によろしく」

ドアが閉まる瞬間、そう返された。
まるで自分たちが会うのは必然だとでも言いたいような口ぶりだった。
事実そうなのだから、やはり彼は頭がいい。
ただそれは学生の頃から繰り返した泥くさい、けれど快活とした争いの中ではない。もっとほの暗く、濁った水のような空気の中だ。
それでも会いたい。
息ができなくてもいい。何がつらくてもいい。
こんなにも手遅れになってしまった自分を知れば、セルティや新羅はきっと悲しむだろう。けれど、申しわけなさや罪悪感よりも臨也への想いがまさるのだから、本当にどうしようもない。
閉まったドアの向こう、友人たちのあたたかな空間に別れを告げて街の雑踏へと足を向けた。
澱んだ空気が心地よかった。






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