モーニング・アフター・ショー


静雄は怒っていた。
もともと沸点の低い静雄だったがいつもの瞬時に爆発する瞬発的な怒りではなくて、珍しく静かに沈着するような緩やかな怒りだった。

「…………」

原因はわかっている。探す必要もない。
当の原因である男は静雄の腕の中で穏やかな寝息を立てていまだに眠っている。生殺与奪の権は静雄にあると言えなくもなかったが、それはなんの慰めにもならない。
実に腹立たしい状況だった。
天使のようにあどけない寝顔が嫌でも目に入る。
それがさらに静雄の怒りを煽った。

「このノミ蟲め……」

悪態をつく声が彼を起こさないように無意識のうちに小さくなってしまうことに、静雄は気づいていない。そして腹が立つというのに、彼に回した腕をほどこうともしない自分自身にも。
静雄は体の距離を縮めるようにして男を抱き締める腕に力をこめる。狭いというわけではない。むしろ大人の男が二人して横になってもベッドにはまだ余裕があった。

臨也の家のベッドはクイーンサイズだかキングサイズだか、無駄に大きい。一人寝のくせにと眉をひそめることも幾度となくあった。
一度誰と寝ていたのかと酔った勢いで詰問したことがある。今思えばなんということを口にしたのだと穴があれば入りたい気持ちにもなるが、その時はやたらと虫の居所が悪かった。
臨也は笑って取り合わなかったがその一週間後、寝室のベッドが新調されていた。自分のくだらない戯言のせいだということは明らかだった。
それが臨也の気遣いだとか優しさだとかとにかくそういった静雄への愛情の現れだとは薄々気づいていたが、それでも黙ったまま行動したことに腹が立って気づかないふりをしていた。黙って勝手に取り替えるなんて何かうしろめたいことでもあるのかと邪推さえした。
そんな考えがまったくの見当違いだと静雄が知ったのはそれから数日後、新羅の家を訪れて他愛ない近況を話している時だった。

――え?臨也、君のこと寝室に入れたの?……はー、変われば変わるもんだね、あいつも

聞けば寝室に人を入れることなど今までになかったという。新羅の助けを必要とする時ですら寝室ではなくリビングで往診させたというのだからよほどのことだろう。

――聞いたことはないけど、多分あいつなりのこだわりなんだろうね。聖域的な?肋骨折れててもリビングのソファで診ろっていうんだから、あれはもう手に負えないね。まあ、あいつんちのソファはそのへんのベッドよりも寝心地いいんだろうけど。それより聞いてくれよ、この間セルティが……

新羅には悪いがその後の話を静雄はほとんど聞いていなかった。
誰も入れたことのない寝室のベッドを買い換える心境というのはどういうものなのか、静雄にはまったく理解できない。一言、たった一言を告げることがそんなに億劫だろうか。

――誰もここで寝たことはないよ。シズちゃんが初めて

本当なのだから、そう言えば事足りたはずだ。
けれど臨也はそうせずに、黙って寝具を買い換えた。普段の饒舌が嘘のように、何も言わず何も聞かず。
その日は挨拶もそぞろに新羅の家を飛び出した。途中でセルティとすれ違ったが手を軽く振っただけで足は臨也の許へと向かっていた。
マンションに着くと勢いよく臨也の部屋に飛びこんだものの何をどうしたいと思っていたわけではなかった。ただ後先を考えずに臨也の胸倉を掴み、睨みつけた。
突然のことに驚いていた臨也だったが、静雄の赤い顔と断片的な言葉に事情を察したのか困ったように笑い、口を開いた。

――だって、新しいベッドだったら俺の匂いと同じくらいシズちゃんの匂いも染みつくかなって





(匂いって……なんだよ、馬鹿じゃねえのかこいつ)

その時のことを思い出すと静雄は今でも顔が火照る。
自分もくだらないことを言った自覚はあるが、よりにもよってそんな理由で決して安くはない寝具を一新するなんてそれこそ馬鹿馬鹿しい。鼻で笑ってやろうと思ったのに、臨也の胸倉を掴んで立ち尽くしたまま見る見るうちに顔が真っ赤になって言葉にならない呻き声を出すだけという醜態をさらしたことは記憶に新しい。

(こんなんばっかだ。こいつとつき合ってからは)

のんきに寝ている臨也のつむじに鼻を寄せて息を吸いこんだ。爽やかで少し甘い、臨也の匂いがする。
するとその頭が僅かに揺れた。

「……シ、ズちゃん?」
「起きたのか」

腕の中で身じろいだ臨也がかすれた声で静雄の名を呼んだ。

「ん……今、何時」
「もう昼だ。馬鹿野郎」
「あれ、俺、昨日いつ寝たっけ……?」
「覚えてねえよなあ?臨也くん」

徐々に覚醒する臨也に、ようやく静雄は怒りの矛先を向けることができた。そうだ、怒っているのだ自分は。そう思ってもぼんやりとした顔で無邪気に笑う臨也に対し、拳を振り上げる気にはなれなかった。

「ん、んー……昨日は、シズちゃんと一緒にお風呂入ってそれで、ベッドに入って、それで……」
「…………」
「……あれ?」

記憶がないことを訝る臨也を静雄は小突いた。

「そうだよ、散々人の体いじり倒しておいて、てめえ」

静雄の低い怒りの声を聞いてようやく合点がいったのか、臨也は困ったように静雄の顔を見上げて言った。

「……寝ちゃった?俺」
「おー、俺の上でぐっすりな」
「あちゃあ……」
「何があちゃあだ」

今思い出しても腸が煮えくり返る思いだった。
そもそも風呂場に乱入してきた臨也に散々体をまさぐられたあと、もうどうにでもしてくれとぐったりした体で互いにベッドにもつれこんだ。頭がぼんやりとして体が熱くて現実と夢との境がわからなくなって、いつものようにその瞬間を待ちわびながら目を閉じた。
数週間ぶりだった。悪態をつきながら臨也の家にやってきた時から、静雄もずっと意識していたのだ。食事をしている時もゆったりとリビングでくつろいでいる時も、早く触れてほしいとさえ思った。
浴室のドアを開けられた時だって本当は口で言うほど怒ってはいなかった。体に触れられた瞬間、喜びを隠しきれないように体が反応した。
それが、待てど暮らせどなんのアクションもない。
体が熱くすぐにでも触れてほしいのに、じらされているのかと思い大人しく我慢した。鼓動が早鐘のように打ち、高ぶった体を持て余して涙が零れた。恥を忍んで懇願するように甘い声を上げた。臨也の名前を呼んで恥ずかしい言葉も口にした。
それでもなんの反応もなく、泣きそうになりながらそっと様子を窺うと自分の上で穏やかな寝息を立てている臨也の姿が目に入った。

(あー、今思い出しても殺してやりてえ……)

そんな状態で眠れる臨也に呆れると同時にその程度の気分だったのかと腹も立った。しかも体は反応したままである。臨也の体が密着したままなので鎮まる気配すらない。
かくして静雄は眠れぬ長い夜をすごすこととなったのだ。

「俺がどんっだけ惨めな思いをしてたか、ぐっすり眠ってた臨也くんにはわかんねえよなあ?いい夢見れたか?」
「……あー、うー……」

言い返せない臨也は猫のように静雄の体にすり寄った。甘えているのか機嫌を取っているのか、静雄の胸になめらかな頬の感触が密着する。

「うぜえ」
「うう、ごめんなさい……」
「起きたんならどけ。触んな。つーか出てけ」
「……俺のベッドだけどね」
「ああ?」
「……なんでもないですー」
「おまえのせいで眠れなかった」
「……はい」
「好き勝手して、結局おまえは自分の都合ばっかりで……舞い上がった俺が馬鹿みたいだ」
「…………」
「どうせその程度なんだろ、おまえは」

昨夜に言えなかった言葉を静雄はここぞとばかりにぶつけてやった。臨也は神妙な顔をして聞いている。

「……なんだよ、最悪だ。もうおまえなんて死ね。クソ野郎」
「うん」
「そういう態度がムカつく。どうせ俺の言ってることなんざ適当に聞き流してんだろ。自分より馬鹿だと思って」
「そんなことないよ」
「嘘つけ。……おまえは嘘ばっかだ。この嘘つき」
「うん」

何を言っても臨也は動じない声で応えるばかりで、それが静雄には不服だった。普段のように挑発されるわけでもはぐらかされるわけでもなく、むしろずっと真摯に静雄の言葉を聞いてくれているのだが、今は何もかもが気に入らない。

「……もういい。おまえ、俺のことなんてそんなに好きじゃねえんだろ」
「……それは聞き捨てならないなあ」

ふいに臨也の声のトーンが変わった。
静雄が違和感に触れるよりも早く、彼の唇の感触を首筋に感じた。
熱い痛みが走る。

「ッてめ」
「思ってもいないことを口にしちゃうくらい、怒ってるんだ?」






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