私は貴方の従順なしもべ


まどろみはわずかのことで、すぐに意識は明瞭になった。
月光のおかげで、視界は夜にしてはずいぶんと明るい。

「ん……」

背後には臨也がいる。静雄を抱き込んで、横になっていた。
体の下に敷かれているのは彼の黒衣だ。なめらかな肌ざわりが心地いい。
神父が化け物に抱かれ、幸福を感じている。
馬鹿げたことではある。けれど。

(……馬鹿なのは、お互い様だ)

胸中で呟きつつ、彼の温度を甘受する。
静雄が目覚めたことを感じ取ったのか、臨也が身じろぎした。その手に優しく腕を撫でられ、首筋に口づけられる。

「朝になったら、ここを発とうか」
「どこに行くんだ?」

彼の腕の中、体の向きを変えて向かい合う。少し疲れを滲ませた端整な顔が目の前にある。
唐突な話にも、静雄は特に動じなかった。
未練がないせいもある。臨也が行くと言うのなら、自分はついて行くだけだ。
場所を尋ねると、彼は「どこでも」と答える。

「君と一緒なら、きっと世界は素晴らしいよ」
「…………」

答えになっているような、いないような。
しかし、言いたいことは理解できた。

「……俺はおまえがいるなら、なんでもいい」

臨也に返す自分の答えも、似たようなものだ。
彼は小さく笑い、静雄を抱きとめる腕の力を強めた。

「東に行ってみようか。知り合いがいる」
「化け物か?」
「まあね。いい奴だよ、化け物の割に」
「ふぅん……」

旅は久しぶりだ。
かつては孤独で、どこまでも血にまみれた旅路だった。終わりない戦いに赴く旅。
けれど、今は。

(こいつ、と)

連れ合いがいるというだけで想像が膨らむ。思い描くのは、明るく穏やかな情景だ。
何もかもを捨て、化け物と連れ立つというのに、悲壮感は一切なかった。
喜びがまさり、負の感情を打ち消してしまう。
静雄にとってそれは、はじめての経験だった。
孤独や悲壮な現実、諦めや絶望。いつだって傍にあるのはそういった、救いのない感情ばかりだったのに。

(……俺って、ずいぶん単純なんだな)

恥ずかしさに目を伏せていると、臨也は機嫌のよさを隠しもせず、饒舌に語る。

「世界中を見て回るのもいいね。時間は無限に近いから」
「世界中……」

遠い、想像の世界だ。
けれど不可能ではない。もはや自分も人間ではないのだから。

「気に入った場所にすみかを用意してもいい。古城なんて、雰囲気がそれっぽくていいと思わない?」
「それっぽいってなんだよ」
「化け物っぽいってこと」

楽しげな臨也に対し、静雄は顔をひそめる。
この男がどれだけ強大な力を宿しているか。それを知らぬわけではないが、それでも気にかかるのは、もはや身も心も懐柔された証だ。

「退治されても知らねえぞ」
「まさか」

忠告に対し、臨也は大仰に驚いてみせる。
そんなことがあるわけないと、彼は静雄に囁いた。

「こんなにも頼もしい元神父の騎士様がいるのに? 人間にも化け物にも、俺は殺せないよ」
「……言ってろ」

言葉の根底にあるのは彼自身の力への過信ではなく、静雄への絶対の信頼だった。
嬉しさとも恥ずかしさともつかない、むず痒い感覚が這い上がってくる。
そっけなく答えたものの、臨也にはきっと、こちらの感情の機微など見通されているのだろう。
しばらく笑っていた彼だが、ふいに沈黙し、やがて先ほどまでとは少し違った声音を発した。

「……罪深いね。神に背いて、永遠を生きるなんて」
「…………」

確かめるような真剣な声に、胸が締めつけられた。
化け物が、すべてを叶えられるだけの力を持った化け物が、静雄の心を確かめたがっている。
その事実は、酷く自分を喜ばせた。
黒く醜い喜びに震え、恍惚の吐息を洩らす。

「……俺に、神なんていない」

もう、いらない。必要ない。
それこそ教会を冒涜するような言葉を吐く。
しかし、後悔はなかった。思えば、自分が縋っていた神は幻想だったのだろう。虚飾にまみれた偶像を崇拝して、生きる言い訳にしていた。
けれどもう、それも終わる。
生きる理由は自分で決める。化け物の掌で踊らされているだけだとしても、それさえ本望だ。

(この日のために、俺は)

酷く、晴れやかな気分だった。
はじめて生きる意味を、生きてきたわけを見出した。
愛を知って、代替でしかなかったものを置いていく。ためらいは何ひとつない。

「臨也」
(――化け物め)

いとしい、いとしい化け物を撫でる。壊れ物のように、丁寧に指先で。
彼に眠りは必要なのだろうか。
心地よさげに目を閉じている男にふれながら、静雄は首をかしげ、他愛ないことを考える。
穏やかな呼吸を繰り返す鼻筋に口づけ、そして、薄く開いた唇にふれる。やわらかな砂糖菓子のようだった。
吐息さえ奪って、目を閉じる。

(ああ――)

その日、静雄はみずからのすべてを捨てて、望みのすべてを手に入れた。





やがて、風の噂に二人の男が語られるようになる。
化け物と言う者もいれば、神の使いと言う者も。
どちらにしろ、彼らは人ではなかった。人とは思えぬ美しさと強さ。どれだけの年月が流れようと、変わらぬその姿。
黒衣の男は大柄な騎士を従え、夜を歩く。
従者だろう彼は鬼神のごとき強さで主人を守り、いじらしく寄り添った。
強大な力を有する二人の化け物は、いつしか、つがいのようだと人々の口の端にのぼるようになる。
彼らを意味する言葉はとわに結ばれた恋人とも伴侶とも言われ、畏れと羨望が集まった。
至上の寵愛を授けられた騎士。忠誠と絶対的な愛を捧げられた主人。彼らを描く絵画や戯曲はまたたく間に広がり、人々は御伽話のような二人の男に夢を見た。

もちろん、当人たちにとって他人の関心など、まったく興味のないことである。二人は互いしか見えず、気まぐれに時代を渡り、絶えず愛を確かめ合った。
永遠の意味を知る彼らは、その長き生の中で刹那的に愛し合い、語り合い、寄り添い合う。ときには奪い合い、与え合った。
一瞬のまたたきを思わせる恋情と、恒久的で穏やかな愛情。人では得られぬ究極のものを手にした彼らは、幸せの象徴だった。

けれど、はじまりを――孤独な男がいかに愛を得たか、を知る者はいない。
当の二人を除いては、誰も。
これは二人の化け物が半身を得るまでの、誰も知らない物語。
語られるのは、昔を懐かしむ彼らの寝物語や睦言でのみ。甘く穏やかな語らいを聞く者は、当人たちをおいてほかにいないのだ。
秘密の物語の幕は人知れず上がり、ついぞ、おりることはなかったという。






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