私は貴方の従順なしもべ


もう何も、否定や拒絶をする気にはなれなかった。
最初から勝ち目などないと、静雄にはわかっていたのだ。
ただ、従順に心を預けてしまったら、それはそれで悔しい気がして耐えていた。
けれど。
それも、もう終わる。

「ま、待ってた、なら……なんで……なんで、もっと早く……」

息を吸うのもままならず、喘ぎながら尋ねた。
なぜもっと早く、自分を攫いに来てくれなかったのか、と。早く来てくれたら、あんなに苦しい思いはしなくてすんだのに。
化け物に攫われたい。そんな妄言を吐く神父など、笑い草である。しかし、そんなことはどうでもよかった。
臨也から与えられる答えのほうが重要だ。
すると彼は小さく笑い、まるで大事な秘密を囁くように、声をひそめる。

「それはね」

みずから顔を寄せ、彼の言葉を聞き洩らさないようにと、静雄は努めた。
軽やかな音が、言い聞かせるように、ゆっくりとこぼれ落ちる。

「君が、この世界に愛想を尽かすのを待っていたからさ」

晴れやかに、臨也は言った。
それは祝福の音にも似て、言葉の意味と酷く喰い違う。
静雄は呆気にとられ、男の天使のような笑みを凝視する。

「もちろん、死なないように護ってもいたんだよ。今日の、この日まで、ね」
「…………」

未練や希望なんてものはすべてなくして、最初から諦めきって。そうして、絶望することも期待することを忘れてしまう。
そうなるのが待ち遠しかった、と。臨也は恍惚とした声音で語る。

「俺が君のすべてになるために、待ってたんだ」
「…………」

言葉もない。
やはりこの男は人でなく、魔物なのだと痛感する。

(なんて、)

なんて酷い男だろう。人の人生を、軽々しくもてあそんで。
きっと言ったところで、何が酷いのかもわからないに違いない。そういう生き物なのだ、彼は。
姿形は人間のそれでも根本的な部分が違う。だから、化け物と呼ばれ、恐れられる。

(でも)

ただ、おかしなことに酷いと思う反面、静雄は喜びを感じてもいた。
恋こがれた男は、その残酷さすら甘く優しい。
こんなことを考えてしまう自分は、何もかも手遅れなほど、この化け物に侵されているのだろうか。
体と同じく、心も。

「ごめんね、体がさぞ疼いただろう?」
「っ」

心を読んだように、臨也は笑う。
言われ、忘れていた熱を思い出す。彼が現れる直前まで、自分で体を慰めていたのだ。

「あ……」

恐怖とも期待ともつかない感情が湧き上がる。
すると、彼はゆっくりと静雄の耳元に顔を近づけた。耳朶に吐息がふれる。

「心配しなくていい。あれだけの痴態は、君が真っ白に無垢だった証だ」
「……っな、にを」

羞恥に頬が染まる。目が潤み、臨也を睨んだ。
対し、彼はそ知らぬ顔で滔々と語る。

「聖職者だからじゃない。君が清らかだから……だから、こんなにいやらしく変わってしまったんだよ」

純粋で誠実。白く清いほど、よく染まる。
そう言って、臨也は静雄の胸に手をあてる。服越しの感触でも、それだけで心臓が大きく跳ねた。
彼にも伝わったはずだ。

(清らか……? 俺が?)

わからない。なぜ、そんなことを言うのか。

「待った甲斐があった。君は本当に綺麗だ」
「う……、ぁ」

呻きが洩れる。
はじめてだ。そんなふうに言われたのは。
おかしな話である。神父にまでなった静雄に、本当の意味での神聖さを求めた人間などいない。
みな、知っていた。血にまみれ、汚い男だと。だから嫌悪され、忌避された。
なのに。
臨也は、そんな自分を知ってなお、綺麗だと言う。

「――俺が、そうさせた」
「ッ」

唇が頬にふれ、静雄は体を震わせる。
彼の声が鼓膜を揺らし、吐息が髪を撫で上げた。

「怯えていい。君はずっと、知らなかったことだから」
「あ……」

快楽も愛も、汚い欲望も。
臨也の言葉に、静雄は全身の力が抜けるのを感じていた。
そして。

「ンッ……く」

薄く開いた唇が塞がれる。
あの夜に何度も味わった、臨也の唇だった。

「ん……っ」
「……ふ」

鮮やかに赤い舌が歯列をなぞる。
そっと口内に入ってきたそれは、しなやかな蛇のようだった。
ゆったりと、性急な動きは見せずに、絶えず静雄の舌や歯を舐め上げる。

「あ、は……ふ」
「ン」

だらりと垂れた舌に絡みつかれ、吸い立てられた。
たまらず喘ぎを洩らすと、それさえも飲み込まれてしまう気になる。

(も、っと……もっと、もっと)

この快感を知っている。
静雄は夢中になって、彼の舌にしゃぶりついた。

「ん、ン」

ぬるり、とした感触が意地悪く逃げていく。
あとを追い、彼の口内を探る。
と、その瞬間。

「……っふふ、我慢しきれなかった?」
「は、ぁ……っ」

突然、臨也が体を離した。顔が離れて、口の端から唾液がこぼれる。
乱れた呼吸の中、静雄は熱を孕んだ目で彼を睨んだ。
必死に追い縋り、彼を殺そうとしていたときの感情に近い。
このまま逃げられでもしたら、自分はどうなるのだろうと考える。
熱を持てあました体が疼き、涙が滲む。

(そんなこと、させねえ)

綺麗な化け物の足を切って、もしくは縫いとめて。そうすれば逃がさずにすむだろうか。
不穏な思考に染まる静雄に対し、臨也は涼しい顔をしている。
勢いに任せてこちらが暴走する前に、彼は手招きした。

「逃げないよ。……おいで」

濡れた唇を舐め、指が静雄の頬を這う。

「……っ」

たまらず、誘われるがまま、彼の唇にかぶりついた。

「ん、ん……っ」

何度も口づけを繰り返す。
見よう見まねで、必死になって舌を動かした。
するりと逃げる器用な舌に歯を立て、溢れる唾液をすする。
呼吸を忘れ、臨也の頭をかき抱き、唇を合わせては奥を探った。
彼は何ひとつ、抵抗しない。優しく静雄の背を撫でている。

「……ん」
「は……っ」

やがて、唇が熱さと痛みを覚え、ようやく顔を離した。
臨也はまっすぐに静雄ぼ目を見つめ、笑みのない真剣な表情になる。

「俺のものになるんだ。いいね?」

無駄にあがくな、と言われているようだった。
口調こそ穏やかなものの、有無を言わせぬ、強い響きがこめられていた。






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