舌先から魔法


静雄が恋人の家に行くと、上機嫌な臨也が待ちかまえており、手を引かれながらリビングに連れ立って入った。
ダイニングと繋がるその部屋の一角、カウンターの上にところ狭しと並べられたものを見て、静雄は目を丸くする。

「カクテル作って」

そう、そこにあったのは、シェーカーにグラス、アルコール。
まるでバーをそのまま家に持ってきたような、本格的な様相だったのである。

「なんだ、これ」
「作ってほしかったから、揃えた」
「…………」

目の前に並ぶ酒やグラスのたぐいがそれかと眩暈がする。バーテンをやっていただけあって酒の値段は多少はわかる。
これを揃えるためにいくら使ったのか、思わず想像してしまった。

(あのグラス、スワロフスキーじゃねえのか……)

あまり考えないほうがいいような気がしてきた。金額的なことは頭のすみに放って、楽しそうな恋人を見つめる。

(時々、金銭感覚がおかしいよな、こいつ)

そう、まれに。
まれに臨也はこうやって、金持ちの道楽のような真似をする。
実際に金持ちなのだが、普段は突飛な支出をするわけではないので、気まぐれな行動が目立つのだ。

「なんでまた」

わざわざ用意しなくても、いくらでも飲みに行けるのに、と問いかけると臨也は笑う。
静雄を指さし、バーテン服をからかうように撫でた。

「家で飲めるなんて贅沢じゃない? 恋人と一緒にさ」
「……まぁな」

突拍子もない、臨也の言動は今に始まったことではない。静雄は早々にこの状況を受け入れることにした。
それに静雄自身、恋人に特技を見せるのに悪い気はしないのだ。揃えられた酒に手を伸ばす。

(久しぶりだな……。前に、トムさんの知り合いの店を手伝って以来か?)

「座って待ってろ。適当に作って、持って行くから」

何を作ろうか。
そんなことを考えながら、静雄はジンを手に取った。





「これ、ホワイトレディ?」
「そ」
「シズちゃんのは?」
「サイドカー」

静雄が作ったカクテルを並べ、二人でソファに腰を下ろす。
薄く品のいいカクテルグラスに注いだ酒が、光を浴びてきらきらと輝いている。
バーの雰囲気を意識してか、臨也はリビングの照明の光量を下げた。
間接照明のみのほの暗い部屋は、少しいつもと違うように感じられる。

「じゃ、いただきます」
「どうぞ」

臨也は手を伸ばし、グラスを手に取った。
白い液体がゆっくりと、その唇に吸い寄せられていく。そして、わずかに赤い舌が覗いた。

「――うん」

一口飲んだ臨也は微笑んだ。

「うまい。さすが元プロ」
「だろ」

まんざらでもない静雄は得意げに笑って、自分の分に口をつける。確かにうまい。

(やっぱ、体が覚えてるもんなんだな)

自身の腕に満足し、機嫌よく酒を飲む。
隣には恋人。明日は休み。なるほど、これは楽しくないはずがない。

「今ではただのコスプレだけどねぇ」
「んだとコラ」

じゃれ合いながら飲んでいると、あっという間にグラスは空になってしまう。
静雄がグラスを空けたタイミングで、臨也はおかわりを要求した。

「次、バラライカがいいな。いいウォッカを知り合いが譲ってくれたんだ」
「わかったよ」

要望に応えるべく、カウンターに移動する。まだそれほど酔ってはいない。

(そういや、あいつ、外ではあんまり飲まねえもんなあ)

恋人は酔って思考や反射の速度が落ちるのを嫌い、あまり外ではめをはずすことがない。
ごくまれに、静雄が一緒のときだけほろ酔いの様子になることはあったが、それも最近は見ていなかった。

「…………」

シェイカーを振る。いたずら心でアルコールを強めにした。
二人分のグラスを持って、リビングに戻る。

「ほらよ」
「ありがとう」

手渡せば、臨也はすぐに口をつけた。
特に気にした様子もなく、彼はそれを飲み干していく。ペースが速い。

(珍しい)

ここが自宅で、一緒にいるのが自分だからだろう。
そう思うと、なんだかむず痒い気持ちになる。
簡単に言うと、彼を甘やかしたかった。
自分は舐めるように酒を飲み、臨也のグラスが空になると、静雄はすぐに手を伸ばす。

「次は何がいい?」
「ギムレット!」
「はいよ」

酔っているのだろう、もとからよかった機嫌が、さらにいい。
こうやって彼が無防備になるのは自分の前だけと知っているから、つい、笑みをこぼしそうになってしまう。
手早く臨也の希望のカクテルを作ると、手渡した。
楽しげに笑い、口をつけた臨也だったが、ふいにこちらにもたれかかってくる。
ふわり、と。ほのかな汗と臨也の香りが鼻をくすぐった。さらにアルコールの匂いも混じっている。
それはどこか淫靡で、静雄は思わず恋人の体を引き寄せた。
臨也は気にせず、酒を飲んでいる。

「おいしい。……ああ、でもこれは俺よりシズちゃんのが似合うかなぁ。ねえ、あの有名な台詞、言ってよ」
「――ギムレットにはまだ早すぎる?」
「お」

酔っ払いの戯言につき合って言えば、臨也は目を丸くした。「言え」と言ったくせに、言えるとは思っていなかったらしい。
酒に濡れた彼の唇に眩暈を覚えながら、静雄はそっと視線をそらした。

「よく知ってたね。『長いお別れ』読んだんだ?」
「バーテン時代に、先輩にしつこく読むよう言われたんだよ。飛ばし読みだから、しっかりしたあらすじは知らねえ」

素直に事実を告げると、臨也はケラケラと笑う。
何が楽しいのかよく分からないが、静雄も、よく分からない浮遊感と心地よさを覚えていた。
もう何年も一緒にいる相手だというのに、ふとした瞬間、まるで何もかもがすべて新しいものに感じられて、甘酸っぱい気持ちになることがあった。
今も、そんな感じだ。

「私立探偵にならない? シズちゃんが探偵になったら、マーロウよりも優秀だと思うんだよね」
「考えとく」

一緒に年を取った恋人の色づいた顔を見つめながら、静雄は小さく笑う。
酔っ払いの戯言も悪くない。
少し、酔った頭で想像した。
私立探偵になった自分と、その助手の臨也。

(……いや、表向きは俺が探偵でも、実際はこいつがボスだな)

無理はすまい。配役は分かっている。
探偵小説など数えるほどしか読んだことはないが、最後に探偵が快刀乱麻に謎を解き明かすシーンは好きだ。
恋人の欲目と言われるかもしれないが、臨也によく似合う。
この男の、何もかもを知ったふうなところが苦手で敬遠した頃もあった。
けれど、今ではそういった彼の明晰さや勘のよさに救われているのだと、静雄は知っていた。
言葉にできなくても伝わるのは、どれだけの安堵感だろう。
自分のように不器用な人間にとっては、なおさらだ。





「臨也?」
「……あー……」

くたん、と肩にもたれかかる臨也の顔はほんのりと赤く、目は潤んでいる。
どうやら顔に出ているよりも酔いが回っているようだった。

「大丈夫か?」
「……うん……でも酔ってる……気持ちいい」

自分のいたずら心の結果に静雄は満足した。
普段は余裕に満ちた恋人が、無防備になって全身で自分に甘えてくるのだから、気分がいい。

「水飲んどけ」
「飲ませて」
「……ったく」

悪態も演技だ。ゆるみそうになる口元を隠しつつ水の入ったグラスを臨也に向ける。
けれど。

「やだ」
「こら」

まるで子供のように彼は顔を振る。
すると、そっと顔が寄せられ、熱い吐息が耳朶をかすめた。

「――口移しがいい」
「……しょうがねぇな」

笑いながら、静雄は水を含む。
冷たいそれがぬるくならないうちに、臨也に唇を重ねた。

「ん……」
「…………」
(あっちぃ……)

水が臨也の喉を通り、互いの舌だけが残される。
名残惜しく感じて口を離さずにいると、やがてどちらからともなく舌をくすぐり合った。

「ん、む……」
「……っは」

性急さはなく、ゆっくりと絡み合う。アルコールの香りが漂い、静雄はすん、と鼻を鳴らした。
臨也の口内は熱く、唾液を搾るように吸いつけば、仕返しとばかりに唇を噛まれた。

「あ……、いざ……や」
「シズちゃん、舌、出して」
「……ん」

自分より酔っているはずの臨也に、いつの間にか主導権が移っている。されるがままに身を任せていると、気づけば天井を見上げているのだから笑えてくる。どこまで臨也相手に無防備なのか、自分は。
このまま何が起こるか、それがわからないはずもない。

(このまま、このまま)
「ん……っ」

静雄は自分を見下ろす臨也の顔を見つめ、熱い息を吐いた。
自分より華奢で線の細い男だ。けれど、女性ほどやわらかではなくて、男くさい一面を持っている。
喰ってやりたいと思うこともしばしばだが、同じくらい、喰われてみたいとも思う。

(ああ、駄目だ。思考が……熱に、浮かされて……)

以前は腹が立ってばかりだったこの男の狡猾さも、恋人となれば話は別だ。
するり、と忍び寄る害のなさそうな表情の裏で、臨也はいやらしいことを考えている。清楚にさえ見えるのに、男を、自分を駄目にする方法を熟知しているのだ。

「シズちゃん」
「……ん」

卑怯で、ずる賢くて、抜け目ない。
罠だとわかっていて飛び込むのは、たとえようもなく気持ちがいい。油断して、身構えることもできない隙ができたとたん、心も体も暴かれる瞬間がたまらない。

(馬鹿だな、俺)

何を考えているんだろう。なんだか酷く恥ずかしい。
すっかり籠絡されている自分を認めざるを得ない。
最後のあがきとばかりに、静雄は臨也の胸をそっと押した。

「……ま、待てよ。おまえ、今日は酒が入ってんだろ」
「だから?」

力のない拒絶の手は、軽やかに笑う臨也の指に絡め取られる。

――抵抗なんて、する気もないくせに。

臨也の目が笑い、静雄は力を抜いた。
抵抗する気はないが、抵抗するフリくらいはできる。そうやって相手を焦らし自分も焦らし、激しく求め合うのも悪くはないが、今はどちらかといえば自然な流れのまま、静かに体を重ねたかった。
唯一の危惧は。

「その……できねえんじゃねえの?」
「ああ、かもね。さすがに射精は無理かも」

遠慮がちに問うと、臨也はあっさりとうなずく。
そのくせ、彼の手はとまることを知らない。

「けど、シズちゃんを気持ちよくさせるぐらいは、できるよ」
「……で、でもよ」

自分だけ、というのはなんだか申し訳ない。
期待とわずかばかりの遠慮の間で揺れていると、臨也はおかしそうに笑って、音を立てて静雄の頬にキスをした。
唇が離れる瞬間、いたずらげに彼の目が細められる。

「俺は明日に取っておくことにする。酒が抜けたら……君の中でいかせて」

うっとりとした声音が耳朶を撫で、静雄はもう何も言えなくなってしまった。
どうとでもなれ、明日は休みだ。一夜の行為でへばるほど、体力がないわけもない。爛れた休日も魅力的に思える。

「その言葉、忘れんなよ」
「忘れてたら思い出させてよ。君の、この口で」

白い指が、静雄の唇を撫でた。
何度か繰り返し、やがて歯を割って中に入ってくる。無遠慮な指先に、喘ぎがこぼれる。

「ン……ふ、ぁ」

水音を立てながら、指は口内を蹂躙する。舌をつままれたり、上顎を撫でられたり、数えるように歯をくすぐられたりもした。

「は……っ、あ、ぁ」
「ふふ。かわいい……」

やがて濡れた指が抜かれ、見せつけるように静雄の眼前で、臨也は舌を這わせながら笑う。
人差し指ではだけた静雄の胸をなぞり、首をかしげて彼は提案した。

「もったいないからさぁ、砕いた氷、使う?」
「…………」

何に、とは聞かなくてもわかる。
どう使うかの想像も、だいたいつく。

「あ、今興奮した?」
「……馬鹿。したよ、ちくしょう」

悔しかったので、臨也の胸倉を掴んで引き寄せる。

「っ」
「ん……」

少々、荒々しく口づける。甘い声が耳に届き、静雄は溜飲を下げた。
臨也の吐息と温度を感じながら満足げに笑い、すべてを捧げるように目を閉じれば、支配的な指と舌が体にふれる。
静雄は犬のように鼻を鳴らし、期待に胸を膨らませた。






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