催涙雨


床の上でせっかくの浴衣をシーツ代わりにしてまどろんでいた。
自分を抱きとめる臨也の腕の温度が心地いい。
彼の心音すら聞こえる距離で目を閉じていると、それとは別に耳を打つ音、雨音に意識が向いた。

「……せっかくの七夕なのにな」

これでは織姫も彦星も会えないだろう。
自分は恋人とこうも充実した時間をすごしてしまった手前、なんだか彼らが可哀想に思えてしまう。
その考え方自体、ずいぶん思い上がっているものだともいえるが、今は幸福感に酔っている。たわごとだと、許してほしい。

「催涙雨っていうんだよ」
「……?」

ふいに降ってきた臨也の声に首をかしげる。

「さいるい、う?」

見上げると、彼は「そうだよ」と言ってその指先で静雄の頬を撫でた。

「織姫と彦星の涙」
「会えないから?」
「そう考えるのいいけど、会えた嬉し涙って思ってもいいんじゃない?」
「…………」

皮肉屋な彼にしてはずいぶんと楽観的な思考だと思った。
不条理こそが現実だと思っているような男のくせに、何がどうして、優しいことを言う。

「無粋な地上からの目も気にしなくていいし。今頃思う存分逢瀬を満喫してるさ」
「……適当なこと言って」

まるで自分が慰められているかのような錯覚を覚えた。
恥ずかしさから彼の言に文句をつける。
しかしそんなものにはまったく頓着せず、臨也は笑う。

「神話なんてそんなものだよ。受けとめ方しだい」
「…………」

頬を撫でていた指が落ちる。

「いいじゃないか、俺たちは……いつだって……会え、る」
「臨也?」
「…………」

最後のほうは消え入るような声だった。
どうやら寝入ってしまったらしい。

「…………」

いつもならそんなことはないのに。
けれど、その理由を静雄は知っている。

「七夕とか……別にいいのに」

小さくかすれた声で呟いた。
わざとスケジュールをずらして仕事に追われていたのだろう。
自分たちもいい歳だ。そんなこと、気にしなくてもいいのに。
そう思う反面、無防備な姿で眠る恋人に愛しさが募るのも本当だった。

(なんの警戒もしてねえんだもんなぁ)

彼を起こさないように、ゆっくりと体を起こす。
下に敷いた浴衣ごと彼を抱き上げ、ソファへと移動する。

(……あ)

その体を横たえると、ふいに静雄は目に入った短冊に足を向けた。
そういえばまだ臨也が何を書いたのか、自分は見ていない。
吊るされているそれに手を伸ばす。

(あいつは何書いて――)

裏を返すとそこには。



――シズちゃんの願いが叶いますように。



綺麗な字で、そんなことが書かれていた。

「……っ」

顔が熱い。落ち着いていたはずの動悸が再び激しくなる。

(馬鹿、だろ)

だいたい自分が臨也とのことを願うとも限らないのに。
けれど、確かに自分は臨也とこれからも一緒にいたいと願い、彼の思惑どおりになってしまった。
どこまでが読まれていて、どこまでが偶然なのだろう。
神頼みなんて、一番馬鹿馬鹿しいと思っているような男だった。今だってそうだ。彼はすべて自分で成さないと気がすまないたちだから。
でも。
たまにはいいかなんて、そんな例外を作っている。それは自分に対してだけだ。

「……こんなの、ただの薄っぺらい紙だろ」

呻き声のような声で呟いた。そうだ。願ったところで何がどうなるわけでもないのに。
あるいは、彼自身が叶えるつもりなのだろうか。

「…………」

らしくない。本当にらしくない。
静雄はもつれる足でソファに駆け寄った。
クーラーのリモコンを手にし、快適な風を送ってくれていたそれを切る。
せっかくソファに横たえた臨也をかかえ込む。再び彼を床に下ろした。
そしてその横に滑り込む。
彼の体を抱き寄せて、胸に押し当てた。
ささやかな幸せだ。ほんの一日、七夕という今日の。
そんな幸せに、なぜか泣いてしまいそうだった。
短冊はいらない。あれはもっと、純粋で神様を信じているようなあどけない子供たちのものだ。

「……俺たちには必要ねえよ」

きっと織姫も彦星も迷惑だ。結局のところ離れられない二人からこんな願いを届けられたところで、一年に一度しか会えない彼らにはただののろけに映るだろう。実際、そのとおりなのだから。
来年からは短冊には何も書かなくていい。その夜にしか会えない空の上の恋人たちの幸せを願ってやろう。
自分たちは池袋の、あるいは新宿の片隅で。あるいはこの世界のどこかで、静かに愛を語ればいい。
そうだろう。

「ん……」
「…………」

胸中で訊ねかけると、まるで聞こえていたかのように腕の中の臨也が身をよじる。
その頬にキスを落として静雄も瞼を閉じた。
心地よい疲労感が全身を包み、甘やかな眠りはすぐに訪れた。
意識が途切れる寸前、優しい声を聞いた気がした。小さく笑って頬をすり寄せる。
一年に一度なんて、とても我慢できないに違いない。我慢するつもりもない。
そんなことを考えながら、ゆっくりと夜の空と同じように暗く深い闇に、静雄の意識は沈んでいった。






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