Make secret
久々に臨也の家を訪れた。
もう少しで仕事が終わるからと、待ての状態で小一時間ほどたった頃だろうか。テレビで暇を潰している静雄の背後で、パソコンの電源を落とす音が聞こえた。
「う……」
小さな呻き声に振り返ると、首に手を当てた臨也がこちらへとやって来た。
「あー、もう……やんなるな」
「何が」
訝しげに首をひねる。
ソファの背もたれに手をついて、彼はこちらの顔を覗き込んできた。その表情が、少し疲れているように見える。
「こり」
「は?」
告げられた単語に一瞬疑問符が上がる。すぐに臨也は言い加えた。
「こってるんだよ、肩も首も。もうガチガチ」
自身の首をさすりながらそう言うと、彼は二、三度腕を回した。あまり健康的でない音が耳に届く。自分には今のところ無縁だが、相当つらいらしい。呻き声と関節の鳴る音が痛々しかった。
顔をしかめる臨也の表情を見つめながら、ふいに口を開く。
「……揉んでやろうか?」
「え?」
小さな声で遠慮がちに提案すると、彼の目が意外そうに丸くなる。
今度はもう少しはっきりとした口調で告げる。
「マッサージ、してやろうか」
「死ねってか」
間髪入れずに返された言葉に、こめかみ青筋が浮かぶ。
「んだとコラ!」
「あはははっ、だってさあ」
人の親切をなんだと。そう詰問してやろうと臨也の胸倉を掴む。彼は動じるでもなく、可笑しそうに笑っていた。
そのまま体をこちら側へと引きずり込む。自分より幾分か華奢な男を抱きとめて体の下に組み敷くと、悪戯げな目がこちらを見上げていた。
はぐらかされてしまうのが悔しく、喰い下がる。
「……手加減くらい、できる」
「え、何。ほんとにしてくれんの?」
少し気恥ずかしさを滲ませて告げると、今度は茶化すでもなく、臨也は首をかしげた。
されるのはやぶさかでもないらしい。声に喜色が混じっていた。
「座れよ」
体を起こして、ソファの背中側へと移動する。横になっていた臨也だったが、やがて体を起こすとまっすぐに背筋を伸ばし、こちらに背を向けた。
白いうなじが誘うように眼前にある。けれど邪心は隅に追いやって、そろりと彼の肩に手を乗せた。
指に力を入れると、やわらかな弾力だけでなく、かたい感触があった。
「痛くないか?」
恐る恐る訊ねると、心地よさそうに臨也は溜め息をついた。
「もうちょい強く……」
細い首筋は簡単に折れてしまいそうなくせに、意外にもまだ大丈夫らしい。
「あ、それくらい」
少し力を込めると小さな声が頷く。顔を覗き込むと、目を閉じている。
「……気持ちいいか?」
「思ってたより、うまい」
うっとりとした声音に笑いを噛み殺す。
「だろう?」
見返してやった優越感を滲ませて、囁いた。
「その自信はどこからくるの」
「…………」
呆れたような笑い声にふと考える。当たり前のように身についている力加減。それも臨也に対してだけ。
「そりゃ、おまえ……」
あれだけ裸で触り合えば、どんなに馬鹿でも覚えるだろう。
「…………」
「……シズちゃん?」
ものすごく恥ずかしい事実に行き着いてしまった。
つい最近の情事の際の、臨也の表情やなめらかな体を思い出してしまい、一瞬手がとまる。すぐにやましい気持ちを振り払うが、なんとなく、自身の周りに纏わりついて離れない気がする。
「こ、この辺でいいか?」
「ん」
上ずった声で訊ねると、心地よさを優先させたのか、臨也はそれ以上言及しなかった。
無心になって指先に集中しようと思うのだが、どうしても手に伝わる肌の感触や視覚からの刺激にうまくいかない。
「あ……っ」
「!」
気がそぞろになっていたせいか、つい力加減を間違った。親指が深く臨也の背を押してしまった。
「ッ悪い、痛かったか……?」
彼の声に慌てて指を離す。筋や骨を痛めていないだろうか。一気に頭が冷えた。
しかし。
「ちが……気持ちいい……そこ、もっとして」
「…………」
臨也は痛がるどころか、むしろ恍惚とした表情で続きを促した。
複雑な気分だった。臨也に他意はないのだろう。ただ――。
「ん――あ、ぁ……ア」
「――――」
「シズ、ちゃ……ほんと、上、手……っ」
「――――」
「あ、そ、そこ……そこ、もっと強くして……」
「――――」
「や……気持ち、い」
「――――ッ」
(集中できねええぇぇ……ッ!!)
わざとかと思うような声だ。けれど自然と洩れ出ているのは間違いないようで、表情や声の僅かな機敏にも嘘は見えない。
(こ、の……あああ、ちくしょう、なんでこの程度で)
ソファの背に隠れた自分の下半身は、言いわけできない状態だった。
(嘘だろ、おい……)
「――ちょっと」
「っ」
なんとか自身のそれを鎮めようと必死になっていると、おろそかになった指の動きを咎めるように臨也が自分の手を重ねて導いた。
「ん……ここ、やって」
首に手を当てさせられて、すべらかなうなじにさらに情欲を煽られる。指を離そうにも、自分の意思に反してまったく言うことを聞かない。それどころか。
「ン、あ……ッ」
「ッ!」
言われるがままにその首を揉んでいる。もう片方の手はちゃっかりとシャツの中に滑り込んで、肩をやわく揉み込んでいた。吸いつくような肌の感触に、意識が奪われてしまっている。
「……ん……そこ、かたい、でしょ……痛く、しないで」
首をそらせて臨也は囁いた。
「――優しく……して」
瞬間、頭の中が真っ白になった。
気づけば臨也を押し倒し、二人でソファの上に転がっていた。
「…………」
「…………」
自分を見上げる臨也の表情。それときたら何も危機感のない無垢なもので。
(――ッ)
途端、罪悪感と淫らな欲望が同時に湧き上がる。
組み敷かれた男はまったく動じた様子もなく、ふいに耳朶を涼やかな笑い声が打った。
「なあに、これ」
あどけない声だ。一気に顔に血がのぼる。
「……そ、そのっ」
訊ねられても答えられそうにない。そんな、たかがマッサージの喘ぎ声に我慢できなくなりました、なんて。言えるはずがない。
「……ああ」
無言で硬直していると、臨也は何か得心がいったかのように頷いた。
「オプションもあるのかな?」
「お、おぷ……?」
なんのことかと相手を凝視する。すると彼はゆるく手を伸ばし、下肢に触れてきた。
「俺専用の――やらしいマッサージもしてくれるの?」
反応しきりの箇所に、繊細な指を感じて体が跳ねる。
「ッ!」
思わず腰を引いて、悪戯げなその手からのがれた。
「……ね」
「っ」
しかし、彼のその嫣然と微笑む顔から目が放せない。
「すっごく気持ちよかったから」
臨也の手が伸びて頬をなぞる。綺麗で繊細な指先がくすぐったさと心地よさの狭間で自分を煽った。
「――シズちゃんも、気持ちよくしてあげる」
「――――」
その言葉を拒絶するだけの理由も、精神力も。自分が持ち合わせているはずもなかった。