私の生まれのお話

私が生まれたのは江戸時代、日本がまだ鎖国の真っ只中の頃。兄上は新政府の方針で外交の途絶えた引きこもりの真っ最中でした。鎖国によって閉ざされた国内では徐々に独特の文化が芽生え、どうやらそれが私みたいなのです。実を言えば、自分でも自分のことがなんだかわかっていないのです。古来には複数の国に分かれていた日本も、江戸の頃には一つの国となっておりましたので、再び私という存在が何故別れてしまったのでしょう。
当時の兄上は異国の方がいらっしゃる度に、嫌だ嫌だと言いながらその面前に赴いておりました。私はこれをどこから見ていたのかも分かりませんが、認識しておりました。そして、ある日のことでした。その日も兄上は来客が故に、国の重役に無理やり説き伏せられて、足取りも重く縁側を歩いておりました。それを見ているのがつらくて、私はつい、手を伸ばしてしまったのです。

「あにうえ」

初めて聞くか細い声と共に、小さな手が兄上の着物の裾を掴んだのです。
今思えば、伸ばせる腕があったことすら驚きでした。私に実体ができたのはあの時だったのだと思います。 未だに、振り向いた時の兄上のあの顔が忘れられません。

"くに"という存在である兄から新しく生まれた"くに"というわけでもなく、何故か実体を持ってしまった私。自分が何者なのかもわからず、ただつらそうにしている兄上を見るのがつらくて、私はその場で泣き出してしまったのです。
ただでさえ、なんだかもわからない存在に引き留められ、挙句の果てに泣かれたものですから、今までにないほどにびっくりしたと言っておりました。妖、もしくは仕事に嫌気のさした幻覚かと思ったそうです。とりあえずは、泣きやまそうと、そして私が何者なのかを探ろうと思ったそうです。しかし、「名前は?」「どこから来たんですか?」その質問全ての答えは、私も知らなかったのです。涙目で首を必死に振る私をしばらく困ったように眺めてから、深く息を吐き出し、それからまだ少し困った表情を残しながら笑顔を作って私の頭を優しくなでてくれました。

「私のことを"あにうえ"と呼びましたね」

優しい声色で聞かれたこの質問は、私にも答えが分かったので頭を縦に振りました。

「では、貴方は私の妹ということでいいですね」
「……はい」

"くに"というものはやはりヒトの形をしていようとどこかが違っているのか、はたまた兄上の優しさだったのか。私にはとんと見当もつかないのですが、兄上は私を認知してくれたのです。

「しかし、名前がないというのは不便ですね」

不便、なのかぁ。その言葉には少し驚きました。今までは誰にも認識されない存在でしたから、不便もなにもなかったのです。
確かに、人々は互いに名を呼び合って生活をしておりました。兄上にも、日本という名があるように。

「そうですね……」

兄上はしばらく庭を眺めてから、私に視線を落とし優しく告げました。

「桜、はどうでしょう」

もちろん私には異論などなく、だたこくこくと嬉しそうに頷きました。

「桜」

自分で発したその音を味わうと、なにかで自分の中が満ちる気がしました。
私は『桜』なんだ。そう思うと改めて、この体、声そして内側から『桜』ができあがった気がしました。ゆっくりと手を握りながら、私はいままでとはまた違った存在に生まれ変わったことを実感しました。
視線を上にあげると、兄上はまだこちらを見つめていました。

「この先、何があるかわかりませんが、よろしくお願いしますね」

兄上はそう告げると、部下に連れていかれてしまいました。
実体が生まれたのは先ほどとは言え、いままでも眺めていたこの家の構造も何も把握しておりました。しかし、兄上から離れて行動するのはこれが初めてです。
一体、どこで何をして待っていればいいのでしょう。
昼下がりのことでしたので、縁側には日が差し込んでおりました。兄上も眺めていた庭に目を向けると草木が青々と茂っておりました。今まで、兄上を見続けていたためにこの家の庭にこれほどの植物があることに気づいていませんでした。季節は夏に差し掛かっておりましたが、ところどころにはまだ可愛らしい花も残っておりました。
あの花にも名前があるのだろうな、と縁側に腰を下ろして考えていると、まだ暑すぎないその日差しに泣いて疲れた私は意識を手放しました。


「桜……桜!」
「う、ううん……」
「こんなところで寝るとまた風邪ひきますよ」
「そんなに風邪ひいてないですよ」

寝ぼけまなこを擦って、意識をなんとか覚醒させる。縁側でポチくんの隣に横たわる私と、それを覗き込む兄上がいた。
いつの間に寝てしまったのだろう。

「もういい歳なんですから」
「……私が『桜』になったときの夢を見ました」
「それはそれは」

やっと上体を起こした私の横に兄上も腰を下ろす。

「懐かしいですね。あれから随分と経ちましたね」
「そうですね、いろんなことが起こりました」
「まったく、激動の時代でしたよ」

じじいには堪えました。と言う兄上の表情が柔らかいことを確認して、ひっそりと安堵する。
再び兄妹で笑って話せる日が来てよかったと、過去に想いを馳せる。

「それも含めて、今は私が『桜』だと胸を張って言えます」

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