片月行路(2)


「月華…本当に君か?」
「…はい。本当に私ですよ。半平太さん」

指通りの良い素直な髪。滑らかな白い肌。赤く色付いた唇。
恐る恐る触れた彼女からは、確かに生きた人間の温もりが伝わってくる。

「何故、君がここに?寺田屋で何かあったのか?」
「ううん、そうじゃないんです。今日、龍馬さんも慎ちゃんも以蔵も、皆お仕事で帰って来ないんです。それで、私はひとりでも大丈夫って言ったんですけど、大久保さんが…」
「大久保さん?」
「『お前一人じゃ何をしでかすか分かったもんじゃない。それなら薩摩藩邸に来い』って…。そしたら、半次郎さんが迎えに来てくれて」
「月華、」

思わず、彼女の唇を指で封じる。

「大久保さんは何故寺田屋に?誰に会いに来たんだい?」
「それが、私にも分からないんです。でも、ここのところ毎日来てましたから、大切なお仕事だとは思うんですけど…」

違う。大久保は始めから月華に会いに行っていたのだ。
そうでなければ、あの男が自ら寺田屋に出向くなど考えられない。

「…君は相も変わらず罪作りだね」
「?罪作り…?」
「これは?赤くなっている」

寒風を受けた頬は、両方とも桃色に染まっていた。だが、よく見ると左の頬だけ、妙な赤みを差している。

「あ…大久保さんにつねられたところでしょうか?でも、全然痛くないですし、大丈夫ですよ」

二度目にその名前が聞こえたとき、押し殺していた感情が堰を切って出てきた。
漸く手に入れたと思っていても、君はあっという間に僕の手をすり抜けていってしまう。何度その身体を自分のものにしても、渇いた心が満たされることはない。

「半平太さん……?」
「痛みがないのなら良かった。…今日はもう疲れただろう。早くお休み」

彼女を抱き締めたい。
だが、この様はなんだ。愛しさを超える嫉妬のせいで、彼女の目を見ることすら出来ないとは。

「待って、半平太さん」

けれども、そんな僕を引き止めたのは、他でもない月華だった。

「今日は、すごく月が綺麗なんです。ちょっとだけ、一緒にお散歩しませんか…?」
「こんな遅くに?駄目だ、そうでなくともこの辺りは」
「ちょっとだけで良いんです。藩邸の周りをちょっとお散歩するだけでも。…お願い、します…」今にも泣き出しそうな声が聞こえた途端。
その腕を払うことは、最早出来なかった。


「半平太さん、早く早く」
「足許に気を付けなさい。その先は更に道が悪くなる」
「はい、ちゃんと前を見て歩きます」

月明かりを道標に、時折落ちた小枝を踏み鳴らしながら、彼女は人気のない細道を進んでいく。
その声色からは、先程の潤み声は微塵も感じられない。

「ね、半平太さん。前にもこうして、半平太さんとお散歩したことがありましたね」
「ああ、そんなこともあったね」

初めての夏祭りの夜。
忘れるはずもない。思えばあのときから、月華はちっとも変わっていない。

「あの夜は本当に楽しくて。私ったらはしゃぎすぎて道で転んじゃっっ…」
「月華!!」

目を見開いて口をぱくぱくさせる彼女と掌に感じる固い土の感触。
ああ、こんなところも変わっていない。彼女が転ぶところも、それを助けようとした僕も一緒に転んでしまうところも。結局お互い何も変わっていないのだと思うと、急に笑いが込み上げてきた。

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