第七話 龍馬
紺碧色の瞳に宿る光彩は、まるで夜空に浮かぶ朧月のよう―。
それに見入ってしまったが最後、心も身体も囚われて、抗(あらが)うことが出来ない。
(私は、武市さんが好きなの…?)
見つめられただけで、金縛りにあったように動けなくなって。
触れられただけで、電流が走ったように身体が痺れて。
恋じゃないと否定する理由は、何一つ見つからない。
「小娘ちゃん、お鍋」
「…え?あっ…」
隣の声に顔を上げると、お鍋から味噌汁が吹き零れている。慌てて布巾を探す私に、女将さんは心配そうな顔をしてそれを差し出してくれた。
「小娘ちゃんがぼうっとしはるなんて珍しい。気分でも悪いん?」
「い、いえ…そんなんじゃないんです。寝惚けてたみたいで…すみません」
「そんならええけど…。うちはこれから玄関を掃いてくるさかい、火傷には気を付けてね」
「はい、もう装(よそ)うだけですから大丈夫です。後は運んでおきますね」
おおきに、と微笑むと、女将さんは忙(せわ)しい足音を廊下へ響かせる。今日は宿泊客が多くて、他の仲居さんもそれぞれお部屋の支度に追われている。そのせいで、いつもは賑やかな厨も、今は私一人しかいない。
(どうしよう…。どうしたら良いの…?)
吹き零れを拭い、私はふぅと息を吐く。朝食は、皆が顔を揃える数少ない時間。だから、それまでに答えを出しておかなきゃいけないのに―。
「おお、良い匂いがするのう」
「っ…!?」
「今日も旨そうな朝餉じゃ。流石小娘さんじゃの」
杓文字を持つ手を止め、振り向こうとするも身体が動かない。がっしりとした右腕は胸のすぐ下に回され、肩先では微かな息遣いが聞こえる。
「ご、ごめんなさい龍馬さん…。朝ご飯、まだ出来てなくて…」
「分かっとる。わしはおんしに会いに来たんじゃ。昨日の続きをするために、の」
「な……!だ、駄目っ…駄目ですそんなの……!」
混乱する意識の中で、何度も行き交う衣擦れの音。
こんなところを誰かに見られたら―。
そう思って身体を動かそうにも、首に掛かる吐息に力が抜けてしまう。
「はは、嘘じゃよ。じゃが、会いに来たのはまっことやか。こっちを見い、小娘さん」
「んっ……!」
「ああ…やはりおんしの唇は甘いのう…」
顎を取られ、重なった唇から熱いものが流れてくる。差し込まれた舌端が丹念に歯列をなぞり始め、昨晩の記憶を唇が思い出してしまう。
「まだ朝じゃからの。とりあえず、ここまでじゃ」
「は…ぁっ…そ、な……」
「…ん?なんじゃ、そんなに不満そうな顔せんでくれ」
ふたりを繋ぐ絹糸が解け、私はその場にぺたんと座り込む。それを後ろから抱き締める龍馬さんは、耳許に擦り寄ると蠱惑的な囁きを吹き掛けた。
「おんしがわしを選んでくれさえすれば、続きはいつでも出来る。そう、今宵でも、の」
濡れた声が心に落ち、じわりと染みを作っていく。
彼に返事をすることが出来ないまま、私は背中の温もりに心臓が速まるのを感じていた。