第五話 以蔵


小さな桜が散りばめられた湯呑みに口を付けると、程好い温かさのお茶が喉を下っていく。
慣れないながら淹れてくれたお茶の味は少し苦い。けれど、それよりも以蔵の心遣いが嬉しくて、私はゆっくりとそれを飲み干した。

「少しは落ち着いたか」
「うん…ありがとう……」

受け入れがたい現実が重くのし掛かる。
夢だったら良かったのにと何度思っても、身体の熱は一向に引かないまま―。

「…慎ちゃん……」
「ん?」
「大丈夫かな…」

悲色に染まった瞳が脳裏に焼き付いて離れない。
混乱していたとは言え、してしまったことに変わりはない。胸に広がる罪悪感を隠すように、私は抱えた足に顔を埋めた。

「…気にするな。あいつは頭が良いから…お前の気持ちくらい分かってるだろう」

くしゃっと私の髪を撫でると、以蔵は障子に目を移した。

「…遅くなっちまったな。部屋まで送る。立てるか」
「え……あ、待って…!」

咄嗟に彼の着物を掴み、私は顔を伏せる。
もし隣室のあの人と鉢合わせしてしまったら―。
今までどこで何をしていたのかと問い詰められたら―。
何食わぬ顔で隠し通せる自信なんてない。

「帰りたくない…。私…今日は部屋には戻れないよ…」
「戻りたくないってお前…」
「大丈夫。私どこだって寝られるもの」

平気平気と言いながら笑みを作り、私は湯呑みを持って立ち上がる。いざとなれば、掛け布団を持って厨で休んでもいい。どうせ今夜は―眠りたくても眠れないに決まっているから。

「ちょっと待て小娘っ…」
「きゃっ!」

ぐっと不意に腕を引っ張られ、両足がもつれる。そのままバランスを崩してしまった私は、後ろに敷いてあったお布団に倒れてしまった。

「な、なに以蔵…?びっくりするじゃない」
「あ……。す、すまん…」

もう、と瞼を上げると、以蔵の瞳は一点に注がれたまま動かない。
その視線の先は、ちょうど私の着物の合わせ目当たりでー。

「お前…虫にでも食われたのか…?」

ひやりとした感触に、反射的に身体が跳ねる。
あの時に着物が緩んでいたせいか、それとも今倒れてしまったせいか、気が付けば私の着物は胸許まではだけてしまっていた。

「やっ…ちが…!これ、は」
「…どうした?」
「こ、れは……。た、武市さん、が……」
「先生が…?」

熱っぽい唇の感触を身体が思い出して。
その瞬間、以蔵の顔がかあっと赤みを帯びて、私は堪らず視線を逸らした。

「そうか…先生が……」

以蔵の指が鎖骨から胸許に移り、赤い印に触れる。
何を考えているのか、思案に暮れる瞳はまるで火影のよう―。

「以蔵…?」
「…小娘」
「んっ……!」

舌が印を舐め上げたかと思うと、噛み付くように唇が肌を吸い上げて。
鮮血のような赤が上塗りされるのと同時に、鈍い痛みが広がってゆく。

「他の男の痕なんて…俺に見せるな」
「え……?」
「例えそれが、先生のでも…だ」

絡められた指が私の手にぎゅうっと食い込み、苦しそうな吐息が肌を撫でる。

皆、私にとってかけがえのない人達なのに。
誰も傷付けたくなんかないのに。
それでも、私に選べというの―?

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