第四話 小娘
「どういうこと…?」
張り詰めた雰囲気に気圧され、私はそう絞り出すのがやっとだった。
月影が雲に隠れ、暗色に染まってゆく室内。それでも、誰も明かりを点ける気配はない。
「…お前、ここに来た時のこと覚えてるか?」
「え…?そ、それはもちろん…」
―忘れる筈もない。
あの日、行き場を無くした私に差し伸べられた暖かな手。何も知らない私がこの時代を生きて来られたのは、寺田屋の皆がいてくれたから。
「慎ちゃんが言ってくれたんだよね…。私が行きたいところを選んで良いって……」
「…そう。建前は、ね」
ふっと睫毛を揺らす吐息。
私に覆い被さったままの慎ちゃんは、ゆっくりと頬を撫で回す。
「だけど、気が気じゃなかったよ。だって、皆小娘ちゃんを引き取りたがっていたんだから」
「……!」
「小娘ちゃんがここを選んでくれて、俺は嬉しかったんだよ?例え、世話を出来るのが俺だけじゃなくてもね」
誰の世話になりたいか。
そう問いかけられたものの、私は誰を頼って良いかわからなかった。
だからあの日、私が選んだ答えは―「寺田屋の皆のお世話になること」だった。
「ねぇ小娘ちゃん、気付いてた?あの日から皆、小娘ちゃんの気を引こうと必死だったんだよ?」
「え……?」
「でもね、言葉だけじゃ無理だって分かったから」
だから、と言葉を切った慎ちゃんは、親指で下唇をなぞり上げる。
固い指先には薄らと汗が滲み、吸い付くように唇を濡らしていく。
「小娘ちゃんの身体に聞くことにしたんだ」
「身体、に…?」
「そう。誰に一番満足するか、ね」
「そんなのっ…」
突然突き付けられた不条理な宣告。
どうかこれが夢なら、早く醒めて―。
「慎太、もう…」
「小娘ちゃん」
さらさらと首に纏わる長い髪。
抱き締める腕の力強さに、私は身動きが出来なくなってしまう。
「俺を選んで…小娘ちゃん……」
「しんちゃ…」
「好きなんだ…小娘ちゃんを誰にも渡したくない」
私を守ってくれる逞しい腕。
この胸の中にいれば、不安なことなんて何もないのかもしれない。
だけど―だけど私は―
「ごめっ…なさっ……」
暖かい腕を跳ね除けた瞬間、翠緑色の瞳が悲しそうに揺らめいて。
暗闇に慣れた目で廊下に出ると、夜風が頬に染みた。
「小娘っ…」
濡れた瞳と絡む赤い視線。
それと同時に、また涙が零れ落ちた。
「…泣くな……お前の泣き顔は見たくない…」
ぎゅっと押し付けられた胸はとても温かくて。
心地好い優しさに包まれながら、私は以蔵の羽織をそっと掴んだ。