第三話 中岡
揺れ惑う心を見透かすような白い月。
青白い月明かりを浴びた彼の顔からは、いつもの人懐こい面影は微塵も見えない。
「どうして、あんなこと…」
一言も口を開くことなく、慎ちゃんは廊下に足音を軋ませる。手首を掴まれてしまった私は、その背中を見つめながら、まだこの状況を飲み込むことが出来なかった。
「…まだ分からないの?」
「な、何のこと……?」
事の発端は些細なことだった。
『今度同じことをしたらお仕置きだよ』
優しい笑顔を浮かべた武市さんにさらりと突き付けられた要求。
それが添い寝だった。
けれど、龍馬さんに見咎められ、なぜか彼の部屋に連れて来られて。温もりを分け与えられて―。
「分からない…分からないよ…。慎ちゃんは助けに来てくれたんじゃなかったの…?」
「助けに?…誰を?」
導かれた薄暗い室内。
身体を押され、後ろへ尻餅をついてしまうと、不意に顎を持ち上げられる。
「…いたっ……」
鈍い痛みと微かに広がる鉄の味。
骨張った手が太股から脹ら脛を這い、噛まれた唇は舌で優しく愛撫される。
「勘違いしないで下さい。俺はただ、自分の欲しいものを奪いにいっただけだ」
「そ…そんな……」
「…ああ」
脹ら脛を伝っていた手が爪先に到達し、彼の目の高さにまで持ち上がる。薄ら赤い唇が微かに開き、ふうっと温かい吐息が吹き掛かる。
「…氷みたいだ。裸足で歩かせたせいですね」
足の指を口に含んだ慎ちゃんは、上目遣いに薄笑みを湛えた。
「今暖めてあげますから」
「し、んちゃ……!」
爪をすっぽり覆った唇から水が溢れ、時折ぴちゃりと卑猥な音を響かせる。伸びた舌が指の股を探るように蠢き、背筋に寒気が走る。
「や、やめ、て……!」
「駄目だよ。まだこんなに冷たい癖に」
一本一本丁寧に指を舐め上げていく熱い舌。
まるで足枷をされてしまったかのように、私の身体は彼に捕らわれたまま動かない。
「ねぇ、龍馬さんと何をしてたの?」
「……っ…」
「俺には、言えないこと?」
唇の傷を切なそうに撫でる慎ちゃんの指。
だけど、あんなこと言える訳がない―。
「慎ちゃん…皆一体どうしちゃったの……?」
それに答えることなく、慎ちゃんが私の衿元を開く。冷たい空気が肌を撫で、身体が無意識に震えてしまう。
「慎太。もう止めておけ」
私の鎖骨をなぞりながら、慎ちゃんはふっと吐息をつく。けれど、その視線は相変わらず私に向けられたままだった。
「…何?武市さんに言われて来たの?」
「そうじゃない」
どこか戸惑いを含んだ声は、密やかな空気をゆっくりと壊していく。
「だが…そいつはまだ何も知らないんだろう?」
私の頬に手の平を当て、慎ちゃんは目付きを尖らせる。その奥に見える真っ白な月には、鈍色の光が宿り始めていた。