第二話 龍馬
鼻歌交じりの龍馬さんは、自室の前に着くなり爪先を障子に引っ掛ける。そしてその足で器用に開け閉めをすると、私を部屋の真ん中に下ろした。
布団の上にまで散らばっているくしゃくしゃな紙屑。それは、とてもじゃないけれど今まで眠っていた人の部屋とは思えなくて―。
「龍馬さん…起きてたんですか?」
「目が冴えてしまっての。仕方無く文でも書こうと思ったらこの有り様じゃ」
「どうして、私が武市さんの部屋にいるってわかったんですか…?」
紙屑を片付けていた右手が止まり、視線が私へと流れる。漆黒の髪の間から覗く瞳が艶やかに揺らめき、にこりと笑みを滲ませる。
「…知りたいか?」
ちょんと鼻の頭に指が触れ、吹き込まれた吐息が耳朶を震わせる。
「おんしの声が聞こえたからじゃ。…武市に濡れた声が、のう」
「え……?」
鼻から滑り落ちた手が上唇を捕らえ、親指を中へと押し込まれる。まるで、口封じをするかのように。
「この赤々とした唇が…武市を誘ったんじゃな…」
「ふ……うぅ…」
「わしにも味見させてくれんかの」
返事の隙もなく重ねられた唇。
与えられる熱に身体が跳ねそうになり、私はシーツをぎゅっと握り締めた。
「まっこと桃のように芳(かぐわ)しい。道理であの朴念仁が独り占めしたがる訳じゃ…」
「ふ…ぁ…りょ…まさ……」
倒れそうになる私を寝かせると、それを追うように口付けが深くなる。霞が掛かったようにぼんやりとした頭を抱えながら、私は絡む舌の動きに答えるので精一杯だった。
「小娘さんは花のようじゃのう。よう蜜が滴(したた)ってくる…」
「ん……ゃっ…」
唇の脇を伝う一筋の蜜。
彼とのキスに溺れた私を戒めるように、それは忽ち冬の空気に冷やされてしまう。
「はぁ…はぁ…は…」
身体が燃えるように熱い。
漸く許された息継ぎに安堵する間もなく、再び彼の唇は距離を縮めようとする。
「……龍馬さん。姉さんから手を離して下さい」
冷ややかな声に寸前で動きを止めた龍馬さんは、彼の姿を認めるや否や口許を歪めた。
「…いつの間に入ってきたんじゃ。おんしはいつも良いところで邪魔するのう」
「……すんません。でも、」
龍馬さんの腕を掴んだ慎ちゃんは、どこか楽しそうに目を細めた。
「俺にだって、権利はあるでしょう?」
一瞬目を丸くした龍馬さんは、苦笑いを滲ませながらやれやれと呟く。そんな二人のやり取りを、私は為す術もなくただ見つめるしかなかった。