第八話 中岡


「もうっ…龍馬さんったら…変なこと、言わないで下さい…。選ぶ、だなんて…」

やっとのことで声を発するも、震えまでは隠せない。
冗談だと笑い飛ばして欲しいと願いながらも、身体はこの先を望んでいるなんて―。そんなこと、あってはいけないことなのに。

「朝御飯、皆待ってますから…早く用意しないと」
「…ふむ。それもそうじゃ」

回された腕がゆっくりと解け、身体の強張りが溶けていく。けれど、立とうとする一方で、私の足は床にくっついたまま離れてくれない。

「すまんすまん、わしのせいじゃな。大丈夫か」

先に立ち上がった龍馬さんは、いつもの屈託ない笑顔を浮かべながら私を見下ろす。そして、両腕の付け根に手を差し入れたかと思うと、いとも簡単に私の身体を持ち上げた。

「今日は楽しい一日になりそうじゃ。つまみ食いも出来たことだしの」
「つ、つまみ食いって…龍馬さ、」

唇に指を押し当てられ、喉までで掛かっていた反論が封じられる。下唇から口内へと指先を滑らせながら、形の良い口端が物言いたげに引き上がった。

「んっ……」
「小娘さん、待っとるぜよ」

一頻り唇を撫で回し、龍馬さんは廊下へと消えていく。その光景をぼんやりと眺めていた私は、溜息に似た吐息を吐きながら、彼の残像に瞼を下ろした。


機械的に手を動かし、朝餉を並べていくも、時間は刻一刻と過ぎていく。
「誰に触れられたとき一番気持ち良かったか」
武市さんの問いがずっと頭の中で回っているけれど、そんなの分からない。だって、誰に触れられても、私の身体、は―。

「小娘」

背中から聞こえる声に肩が揺れ、私はその方向に顔を向ける。けれど、目を合わせたくないのか、彼の視線は気まずそうに宙を漂っていた。

「あ……おはよう、以蔵」
「ああ…。お前…慎太を見なかったか」
「慎ちゃん…?うん…今日はまだ会ってないけど…」
「そうか。ならまだ寝てるんだな」

昨夜の出来事が胸を過り、私は視線を畳に落とす。
しっかり者の慎ちゃんがまだ起きていないなんて、もしかしたらあのことのせい―?

「私、見てくる」

禅に最後の小鉢を並べ、立ち上がった私は以蔵の横をすり抜ける。その途中、また名前を呼ばれた気がしたけれど、今の私の耳には入っていなかった。


「慎ちゃん…?」

音を立てないよう襖を開け、私はそっと中を覗く。部屋の真ん中に敷かれたお布団は、まだふっくらと膨らんでいる。

「慎ちゃん、起きてるの…?」

そろそろと膝立ちで枕許まで進み、私はその場に座り込む。彼の顔は見えないけれど、掛け布団から覗く肩が規則正しく上下しているのが分かる。

「…昨日は、ごめんなさい。でも、慎ちゃんが嫌いであんなことしたんじゃないの。ただ、びっくりしちゃって…だけど私……」

自分が何を言っているのか、何を言いたいのか分からない。
けれど、それが今の私に言える精一杯の本音で。逃げ出しておいて勝手かもしれないけれど、慎ちゃんに嫌われたくなくて―。
私は膝の上に置いていた両手を握り、ぎゅっと目を瞑った。

「……ほんとに?」

一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ふっと声が聞こえたかと思うと、身体が前のめりに崩れて。私はいつの間にか、心地好い温かさに包まれていた。

「おはよ、小娘ちゃん」
「慎ちゃ…お、起きてたの…!?」
「ん。さっき、ね。小娘ちゃんの足音がしたから」

白いシーツの上を流れる、緑翠色の長い髪。
その姿に思わず見惚れていると、彼の手がふわりと頬に触れて。漸く私は、慎ちゃんを組み敷いてしまっていることに気が付いた。

「続き、聞きたい」
「え?」
「何て言おうとしたの?」

目尻を下げ、優しい眼差しで私を見つめる彼の顔は、昨夜の出来事を微塵も感じさせない。けれど、その瞳の奥には、妖艶な光が見え隠れしているのが分かる。

「言ってくれるまで離さないから」
「し、慎ちゃん…!朝御飯が…皆、待って……」
「ふうん。こんなときまで皆の心配して…。でも、早く行けるかは小娘ちゃん次第だよ?」

背中に回った腕に強く抱き締められ、耳朶を甘い吐息が揺らす。心臓の音まで伝わってしまいそうなふたりの距離に、私の頭の芯はまた蕩けようとしていた。

to be continue…

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