Sweet Rain(1)


傘を丸める人と擦れ違ったときから、何となく嫌な予感はしていた。それでも、この地下鉄の階段を昇り切るまで、私はまだ僅かな希望を持っていた。

「今日...雨が降るなんて言ってなかったのに...」

駅の傍ならコンビニの1軒くらいあってもいいはずなのに、お店らしきものは見当たらない。その上、繁華街から離れているせいか、街全体がまるで夜のように暗い。

(ここにいても邪魔になるだろうし...。ひとまず、どこかで雨宿り出来ないかな)

辺りを見回してみると、ふと真っ白なドアが雨の中に浮かび上がる。
ともすれば見逃してしまいそうなその場所は、ちょうど人1人分の小さな屋根が付いていた。

(看板が出てないけど...何かのお店かな?)

早足でドアに駆け寄り、私は改めてそれを眺める。扉の裏からガチャンという音が聞こえたのは、それからすぐのことだった。

「ああ、すまない。人がいるとは思わなかった。いらっしゃい」
「あ、あの...?」
「...ん?予約をしていたお嬢さんではないのかな」

状況が飲み込めないまま、私は二三度瞬きを繰り返す。
足許まで落ちた長いエプロンと皺ひとつない真っ白なワイシャツ。その首許には、ちょこんと小さなリボンが付いている。

「すみません、私、雨宿り出来る場所を探していて...」
「ほう。知らずに来たお嬢さんは君が初めてだよ。これも何かの運命だ、うちで休んでいくといい」
「あ、ありがとうございます。ここは何のお店なんですか」

白銀の髪を横に束ねた男の人は、私の質問に目笑を浮かべた。

「君のようなお嬢さんが喜ぶ場所だよ」
「...?」
「こんな可愛いお嬢さんに出会えるとは、俺も運がいい」

半ば強引に腕を掴まれたかと思うと、ドアがキィ、と音を立てる。恐る恐るその先に足を踏み入れた私は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

(わぁ...!)

深紅の絨毯によく映える、白い猫脚のテーブルと椅子。
煌びやかなシャンデリアに彩られたそれは、まるでお伽話のような異空間を醸していた。

「素敵...!夢の世界にいるみたいです」
「気に入って貰えたようで何よりだよ。ああ、ところで君の名前は?ここでは、お客さまを名前で呼ぶ決まりでね」
「そうなんですか。私、小娘と言います」
「小娘さんか。名前も麗しいね。俺は店長の...」
「...乾さん」

ふっと足を止め、私達は声の方に振り返る。すると「乾さん」と呼ばれた男の人は、にこりと顔を綻ばせた。

「ああ武市か。どうかしたかい?」
「その子の相手は僕がします」
「おや?君がそんなことを言い出すとは珍しい。...だが、その申し出は不要だよ」
「...店長の貴方が不在では、困る人間がいるのです。自分の立場を考えて頂きたい」

眉を顰め、私達の前に歩み寄った彼は、不機嫌そうに溜息を吐く。けれど、それを見た「乾さん」は、くすりと笑みを溢した。

「なんだ。妬いてるのか武市」
「......!」
「大丈夫だ。俺が君のことを忘れるはずがないじゃないか」

「だが」と乾さんは私の肩を抱き寄せた。

「武市の意見も尤もだな」
「え?」
「小娘さん、不本意だろうが気持ちは同じだ。今回は我慢してくれるね」
「は、はぁ...」

ふたりの会話が理解出来ず、私は首を傾げるしかなかった。

(ここって...一体何のお店なの?そもそも、どっちが私の相手をするとかしないとか...何のことを言ってるんだろう)

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