恋い焦がれ


雑踏に紛れて、繰り返し流れるアナウンスと少しずつ傾いていく時計の針。
その隣の電光掲示板には、何度見ても変わることのない出発時刻が表示されている。

「遅くまですまなかった。明日も仕事だろう?そろそろ行かないと、電車がなくなってしまう」
「ううん…まだ、大丈夫です…。だから、もうちょっとだけ…」

彼の肩に頭を乗せ、私は繋いだ手をぎゅっと握り返す。
夢みたいに幸せな時間は、いつだって瞬く間に過ぎて。
後に残るのは、どうしようない寂しさと当てのない愛しさだけ。

「今日は会えて嬉しかったです。でも、連絡してくれれば迎えに行ったのに」
「小娘を驚かせたかったんだ。それに、」
「それに?」

彼の手が頭に触れ、髪を撫でたかと思うと、甘い吐息が耳に落ちてくる。

「僕の留守中に他の男と浮気していないか気になって」
「…半平太さん」

思わず頬を膨らませ、その顔を睨むと、半平太さんが小さく吹き出す。

「そんなことばっかり言うと、ほんとに浮気しちゃいますから」
「うん?なら、僕もして良いの?」
「…半平太さんの意地悪」

顔を逸らし、私は右手のカップに唇を付ける。お気に入りのホットチョコを飲んでも、もやもやとした気持ちは一向に晴れない。

「もう、時間だ」

頬を両手で包まれ、一層ふたりの距離が近くなる。見慣れたはずの綺麗な顔が、少し切なそうに揺れて。堪えていた涙腺が切れそうになってしまう。

「そんなに、見ないで下さい…」
「どうして?」
「だって…」

お仕事なんだから仕方ない。
我儘を言って困らせたくない。
そう頭では分かっていても、貴方を目の前にすると、つい本音が溢れそうになってしまう。

「今度会える時は…連絡、して下さいね」
「ああ、必ず」

ホームに電車が滑り込み、彼の髪が疾風に揺れる。
半平太さんが、またいなくなってしまう―。
椅子から立ち上がる彼を目で追いながら、私は無意識にその後ろ姿に手を伸ばした。

「…小娘?」
「…な…いで…」

スーツの裾を掴んでしまった右手が、微かに震える。溢れ出してしまった感情に顔を落とすと、小さな滴が左手の甲を伝う。

「行かないで……」

その唇に名前を呼ばれただけで心が熱くなって。
その指先に撫でられただけで身体が打ち震えて。
貴方がいないと、私は心も身体も空っぽのまま―。

「好き…半平太さんが好きです……だっから…っ」

不意に塞がれた唇に、カップが手の中からすり抜け、足許へと落ちる。角度を変えながら啄(ついば)まれる唇は、チョコレートのように甘く溶けていくよう。

「んっ…ぁあ……」

薄らと瞼を上げると、ゆっくりと閉まっていくドアが見える。けれど、今の私はそんなことより息を整えることで精一杯だった。

「君はどうして…そんなことを言われたら…手離せなくなってしまう」

首筋に掛かる吐息の熱さに、頭の芯が蕩けそうになる。
我儘は言わないと決めていたのに―。

「ごめんなさい…でももう少しだけ…傍にいて下さい…」

流れていく電車が涙で滲み、ふわりと髪が舞い上がる。
口の中に残る甘くてほろ苦い余韻に、私は彼の背中をそっと抱き締めた。

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