とけない魔法(2)
「大久保さん。お久しぶりです」
「ふん。随分早くあの仕事を終わらせたものだな。半次郎が舌を巻いていたぞ」
初めて見るその人は、目尻を下げ、唇に薄い笑みを浮かべる。皺ひとつないスーツに身を包んだ隙のない姿は、どこか武市さんに似ているような気がした。
「それにしても、武市くんが女性を連れているとは。珍しいどころか初めて見るな」
「あ…私は…」
「君の妹か」
「……!」
(……いもうと……)
「いえ、大久保さん、彼女は」
「まぁいい。私はこれで失礼する」
武市さんの言葉を最後まで聞くことなく、大久保さんと呼ばれていた人は歩道に付けていた車に乗り込む。けれど、私の口からはそれ以上何も言うことが出来なくて―。
「…小娘」
「あ…。あの方、武市さんのお知り合いだったんですね」
「ああ、取引先の人でね」
「そうですか。すごい偶然ですね。ちょっとびっくりしちゃって」
「行きましょうか?」と言いながら手を握り締め、私は笑顔を作って武市さんを見上げる。上手く笑えているか分からなかったけれど、こうでもしないと自分を騙せそうになかった。
「大久保さぁ」
けばけばしく街を飾った派手なイルミネーション。
―この渋滞はどこまで続いているのか。
いつまでも進まない車に溜息を吐きながら、私は手前の書類から窓に視線を移した。
「あん女性…本当に武市さぁの妹なでしょうか」
「いや、違うだろうな」
「それなら、いけんしてあげんこと」
「…ふん」
ポーカーフェイスを崩さないあの男も、一人の女の前ではただの男という訳だ。偽りの笑みを見せることすらほとんどないというのに、あの心から安心しきったような顔と言ったら―。
「からかってやりたくなっただけだ。ところで半次郎」
「はい」
「昨日くらいの仕事じゃあの男には役不足だ。次はもっと難題を突き付けてやれ」
女には悪いことをしたが、どうせ武市くんが慰めてやるのだろう。
あの男がどんな台詞を吐いたのか。格好のからかいの種が出来たことに、私は静かに笑い声を溢した。
「―武市さん、ごめんなさい。荷物、重くなかったですか?」
「大したことないよ。それじゃ、どうぞ」
「はい、お邪魔します」
ドアが開くのと同時に、ぱっと明るくなる廊下。何度も来ているとはいえ、武市さんの匂いがするその部屋は、未だに私をどきどきさせる。
「キッチンお借りしますね。お夕飯楽しみにしてて下さい」
武市さんから材料が入った袋を受け取り、私はバッグの中からエプロンを取り出す。
けれど、そのままソファで待っていてくれると思った彼は、ネクタイを緩めると私をきゅっと抱き締めた。