調子外れな密会


薄紫色のプリーツの下にフリルがあしらわれた小さなスタンドランプ。
それは、幼い頃に読んだお伽話に出てきそうな優しい雰囲気を醸し出していた。

さすが女性に人気のお店だな―。

シェードから透ける柔らかな明かりを見つめながら、私は思わず口許を緩ませた。

「何笑ってるんだ」

温かな気持ちに水をさしたのは、目の前の人のぶっきらぼうな言葉だった。ぼんやりした照明では見えにくいけれど、彼の顔は呆れているのが分かる。

「岡田君ってば。そんな眉間に皺寄せて疲れない?明日は休みなんだから、もっとリラックスしたら?」
「この店は照明が暗すぎて落ち着かない。食い終わったんならさっさと出るぞ」
「分かってないなぁ。そこが良いんじゃない。あ、まだ苺のガレットが来るよ」
「は?まだ食うのか…?」

ぽかんとする岡田君にくすっと笑い声を溢した私は、右手に持ったティーポットを傾ける。そもそも、何事も実用性重視の彼にこの店の雰囲気を理解しろと言うのが無理な話なのかもしれない。

「大体どうして俺を誘ったんだ」
「だって小娘ちゃん具合悪くなっちゃったし…。でも、このお店予約取るの大変だったんだよ?だから無駄にしたくなかったの」
「他に女友達がいるだろ」
「金曜日は皆忙しいんだよ。岡田君、別に予定なかったでしょ?」

これ以上余計なことを聞かれる前に、私はカップに口を付ける。心地好く口に広がるアールグレイの味は、冷えた身体を優しく包み込んでくれるようだった。

『君も予定があると思うんだが、小娘さんのことをお願い出来ないだろうか―』

落ち着いた穏やかな声。
今まで遠くからその姿を見たことはあっても、声を聞いたのは初めてだった。だけど、これで小娘ちゃんが武市さんを好きになった理由が少し分かった気がした。

(知的で物静かで…いかにも大人の男性って感じ)

小娘ちゃんのことは心配だったけれど、あの人なら任せてもきっと大丈夫だと思った。寧ろ、私がいない方が二人にとっては好都合かもしれない。

(小娘ちゃんが武市さんを押し倒しちゃったりして…。なんてある訳ないか)
「おいカナ、来たぞ」

ふっと届いた声に視線を下げると、白いお皿の上に苺のソースが掛かったガレットが置かれていた。

「わぁ、おいしそう!岡田君、本当に頼まなくて良かったの?」
「俺はいい。見ているだけで胸焼けがしそうだ」

私から目を逸らしながら、彼はカップの紅茶を静かに啜る。ガレットを均等に切り分けた私は、その一つをフォークに刺した。

「そんなこと言っちゃって。本当は甘いもの好きなくせに」
「別に特別好きな訳じゃ…」
「一口だけ分けてあげる。はい、あーん」

腕を伸ばし、私はフォークを岡田君の口許に差し出す。だけど、一方の彼は口を開ける素振りがない。

「ほら、岡田君。この態勢疲れるんだから早く食べて」
「いや、だから俺は……」
「食べてくれなきゃフォークごと落としちゃうかも」

からかい半分で力を抜いた瞬間、手をがっと掴まれる。それに驚いて、私は本当にフォークを落としそうになった。

「食えば良いんだろ、食えば」
「え、ちょ、ちょっと…」
「お前といい小娘といい、面倒な奴だ」

すっぽりと私の手を包んだまま、彼は口にフォークを運ぶ。均整のとれた唇がゆっくりと動くその様子から、何故か私は目を離すことが出来ない。

(やだ…私ってば何見てるんだろ)

岡田君はただの友達で、手を触られるくらい何ともないはずなのに。
その顔だって、もう飽きるほど見ているはずなのに。

それなのにどうして、こんなに心臓が煩いんだろう。

「……甘い」

その声に我に返り、慌てて手を引っ込めると、彼はうんざりした顔で紅茶を喉に流した。

「も、もう!この苺とクリームの組み合わせが絶妙なのに。岡田君は本当に…」

ガレットを口に放り込みながら、私は何事もなかったかのように振る舞う。だけど、ふっと彼の笑い声が溢れたとき、それは無駄な努力に終わってしまった。

「カナ」
「なに?」

せっかくの味がよく分からずに顔を上げると、口の端に何かが触れる。それが彼の指だと気が付いたのは、もう少し後のことだった。

「クリーム付いてる」

つっと口許を拭った指先が薄らと白い。思わず私が触れられたところを指で押さえていると、岡田君はそれを口に含んだ。

「そそっかしいな、カナは」
「……!」

私が岡田君を誘ったのは、既成事実を作りたかっただけで。
それ以外、何の理由も意味もない。

「お前、顔赤いぞ。熱でもあるんじゃないのか」
「…別に。照明のせいでしょ」

今夜のあっけらかんとした彼の態度が悔しいと思ってしまったのは、私だけの秘密にしよう。
その決意を深めるように、私は紅茶を一気に飲み干した。

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