恋盗み(前編)


「……。見合い、ですか」
「ああ、今度の日曜日だ」

差し障りのない世間話を交わしながら、互いの腹の内を探り合う―。
そんな付き合い方をしてきた彼の申し出は、あまりに唐突なものだった。

「先方の指名なのだ。どうしても武市君を、と」
「僕の知っている相手なのですか」
「いや、多分君は知らないだろう」

革張りのソファに足を組み、大久保さんは何食わぬ顔でコーヒーの薫りを楽しんでいる。
他人事だと思って―。
目尻を下げた表情は、どこかこの状況を楽しんでいるようにも見え、思わずそんな悪態をつきたくなった。

「せっかくのお話ですが…。今回はお断りさせて頂きます」
「ほう。特定の女性でもいるのか?」
「そういう訳では…。ただ、今は」
「なら、行って貰わねば困る」

空になったカップを置くと、大久保さんは白い台紙を机上に差し出した。

「実はもう了承してしまってな。嫌なら断れば良いだけだ」
「なっ…何を勝手に」
「ではまた日曜日に」

反論する余地もなく、大久保さんはドアの外へと消えてしまう。
後に残されたのは、去り際に見せた黙笑と一枚の釣書だけ―。

(参ったな)

ちらりとそれを一瞥し、僕は長い溜息を吐く。
見合い話を受けるのは初めてではない。だが、今までは適当な理由を付けて断ることが出来たというのに。

(相手の女性には悪いが…上手い断り文句を考えておかなければ)

「おい武市、邪魔するぞ!」

ドアが壁に跳ね返り、ばんっとけたたましい音が室内に響く。
相変わらず騒がしい人だと半ば呆れた気持ちで彼を見ると、屈託ない笑顔と視線が合った。

「なんだ?見合い話が来たというのに、やけに暗い顔してるじゃないか!」
「高杉さん…どこでそれを…」
「そこで大久保さんと会ってな!お、これか」

手に丸めていた書類を押し付け、高杉さんはどっかりとソファに座り込む。そして釣書を開いたかと思うと、次の瞬間勢い良くそれを閉じた。

「ちょっと待て武市!」
「今度は何ですか」
「お前まさか小娘と見合いをするのか!?」

強引に渡された書類に目を通していると、ぐっとネクタイを引っ張られる。その力は冗談にしてはやや強く、僕は思わず顔を顰めた。

「小娘…って。高杉さん、その女性を知ってるんですか?」
「うちに時々来てるだろうが!なに俺に黙って抜け駆けしてんだ!!」
「僕は彼女に会ったことはありません。言い掛かりは止めて貰いたい…!」

掴まれた手を跳ね除け、ネクタイを正すも、高杉さんの勢いは止まらない。

「いいな、絶っ対断れよ!小娘は俺の女にするんだからな!!」

釣書が乱暴に叩き置かれ、鋭い視線が突き刺さる。
漸く過ぎ去った嵐にぐったりしながら、僕は冷めたコーヒーを口に含んだ。

(なんなんだ一体…)

気乗りしない見合い話を押し付けられたかと思えば、今度は高杉さんに目の敵にされ。
自分の意思とは反して、どんどん歯車が悪い方向へ回ってゆく。

(しかも、彼女は高杉さんのお気に入りか)

彼に憧れ、一言話せただけで喜ぶ女性社員は山ほどいると聞く。
その高杉さんを虜にするとはどんな女性なのか―。
釣書を手に取ると、その向こうにいる彼女のことが気になり始めた。

「あの……」

それを開きかけた瞬間、ふと遠慮がちな声が耳に入る。見ると、意外そうに目を見開いた岡田が入口に立っていた。

「申し訳ありません。返事がなかったものですから…てっきりいらっしゃらないのかと」
「…ああ。すまない、ちょっと考え事をしていた」

閉じた釣書を一番上の引き出しに仕舞い、僕は椅子から腰を上げた。
どうせ断るのだから、見たところで仕方ないだろう―。
そしてそれは、日曜日を迎えるまで、そのまま開かれることなくデスクの中で眠り続けることになった。


「―先方は、まだお見えになっていないようですが…」
「どうやらこの近くで事故があったらしい。その渋滞に巻き込まれてしまったそうだ」

障子の向こうに見える、隅々まで手入れの行き届いた日本庭園。
こうして獅子落としの音に目を閉じていると、ここが都心の一角だということも忘れてしまう。

「時期に着くと連絡があった。……ふん、どうやら来たらしい」

大久保さんの声に瞼を上げると、慌ただしい足音と衣擦れの音が段々近付いてくる。そして、部屋の前で止まった先にいたのは―

「遅くなってごめんなさいっ…!お待たせしました」

艶(あで)やかな桃色の着物から覗く細らかな腕。
雪のような肌に映える紅潮した頬は、まだ少女の面影すら匂わせて―。

「は、初めまして……」

仄かに女性の色香を纏うその笑みは、一足早い春を知らせるように見えて。
僕は返事をするのも忘れて、彼女に心を奪われていた。

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