秘密の共有(2)


暗がりの中でもくっきりと浮かび上がる彼女の横顔。
それに絶え間無く流れる雨粒のカーテンが加わると、まるで一枚の美しい絵のように見えた。

「私は後回しで大丈夫でしたのに…」
「そうはいかないよ。こんな遅くまで付き合わせてしまったのは僕の責任だからね」
「いえ、そんな。手伝わせて欲しいと言ったのは私です」

名無しさんはぱっと顔を上げると、次の瞬間ふふっと口許を綻ばせた。

「でも、今日は課長といっぱいお話し出来て良かったです。いつもお忙しそうですから…」
「それは僕も同じだ。名無しさんは、いつも誰かに独占されてしまっているからね」

そう笑い掛けると、彼女の顔がぽっと赤みを帯びる。そしてそのまま、名無しさんは膝の上の手を見つめたまま黙ってしまった。

(…?何か気に障ったのだろうか)

そう思いながら口を開き掛けると、僕より先に名無しさんの唇が動いた。

「あ…の…武市課長…」

途切れ途切れに言葉を繋いでいた彼女は、僕の瞳を見つめると、すぅっと小さく深呼吸をした。

「私のこと…名字じゃなくて…名前で呼んで貰えませんか…?」
「…え?」
「あ、あの、いつもじゃなくて、今日みたいに二人だけの時で良いんです。…だめ…でしょうか?」

熱っぽい瞳を向けられ、心臓が否応なしに早鳴りを始める。
それと同時に、僕の耳にはまたしても雨音しか聞こえなくなってしまった。

「あ…ごめんなさい。変ですよね、そんなの…」
「…いや」

それなら、と僕は続けた。

「僕のことも、肩書きなしで呼んで貰えるかな。…小娘さん」
「……!」

林檎のように染まった小娘さんの頬が、みるみるうちに緩んでいく。少女のようなあどけないその表情に、僕は思わず彼女を抱き寄せてしまいそうになった。

「あ、あの、もうここで大丈夫です」

路地を減速していたタクシーが止まり、ドアがゆっくりと開く。
身体を車外に向け、手に持っていた傘を広げた小娘さんは、ふと僕を振り向き、唇に人差し指を押し当てた。

「…ふたりだけの秘密ですね」

にこっと顔を綻ばせた小娘さんの瞳の奥には、妖艶な光が宿っていた。今までに見たことのないその表情は、僕の鼓動を一際大きく高鳴らせた。

「…それじゃ、おやすみなさい。武市さん」
「おやすみ。小娘さん」

パタンとドアが閉まり、車が発進すると漸く心臓が落ち着きを取り戻し始める。

『武市さん―』

彼女から名前を呼ばれるのがこんなに心地好いとは思いもしなかった。
そしてそれは、この夜が明けても幻に消えてしまうことはない。

(これがあれば、また君の名を呼べる時が来るだろう。そう、きっと近いうちに―)

鞄の中から取り出した白いハンカチ。
そこから薫る砂糖菓子の匂いは、まだ隣に小娘さんがいるかのような幻想を僕に抱かせた。

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