第七話(1)
いつも背伸びばかりしている私が、道行く人々を見下ろすのは不思議な気分だった。
けれど、初めて見るその景色は、私に向けられた好奇の視線で溢れていた。
「や、やっぱり下ろしてください半平太さん」
「その足でまだ歩くつもりか?」
「だって私重いですし…それに、皆見てます…」
ひそひそと横から耳打ちすれば、紺碧色の瞳に捉えられる。あまりの近さに今更ながら恥ずかしくなった私は、慌てて顔を引っ込めた。
「藩邸まであと僅かだ。気にすることはない」
「でも…」
「それに、君よりこの荷物の方が重いくらいだ」
そう言って半平太さんは、持っていた風呂敷包みを見遣る。その中には、私が藤堂さん―平助君から貰ったたくさんの葛切りが入っていた。
「彼らに菓子まで買わせるとは、どんな術を使ったんだい?」
「術だなんて…。…強いて言えば、私が偶然転んだことでしょうか」
「ははっ。違いないな」
半平太さんが小さく吹き出す一方で、私の心は晴れなかった。
確かに転んだお陰で、新撰組の人達の気を引くことは出来た。けれど、その代償は私にとって大きかった。
「…ごめんなさい」
「うん?」
「せっかく買って下さった着物…汚しちゃって…迷子にまでなって…。私、迷惑掛けてばっかりです…」
土埃の付いた着物に鼻緒が擦り切れそうな下駄。つい数時間まで真新しかったそれは、今では見るも無惨な姿になっている。
「たかだか着物の一枚くらいで落ち込むことはない。君に怪我がなければそれでいい」
「でも、会合が」
「この分なら約束の刻に間に合う。思いの外捜し回らずに済んだからね」
「そう…ですか…」
それが彼の優しさであることは分かっていた。
苦しげに弾んだ肩と振り乱れた長い髪。大して走っていないのなら、きっとそんな風にはならない。
「だが、僕らのためとはいえ、君のしたことは褒められるものじゃない」
「はい…」
「…ふむ。まだ少し寄り道が出来そうだな」
不意に立ち止まった半平太さんは、踵を返し、狭い路地へと足を向けた。
「こんな姿で藩邸に行ったら、あの人に何て言われるか。君の身なりを少し整えるとしよう」
濡れた手拭いを首に当て、私は改めて周りを見回す。
微風(そよかぜ)に揺れる若葉と燃えるような蝉の声。市街から一歩離れたこの場所には、人が通る気配がほとんどない。
「私、運が良かったんですね」
隣に座っていた半平太さんは、手許から視線を上げると、瞳で続きを促す。
「もしあの日、ここに半平太さんがいなかったら…。私はどうなっていたのかなって思って」
知らない場所。知らない時代。
もし彼が見つけてくれていなかったら、それこそ私は「ゆうかく」に売り飛ばされていたんだろうか。
「…出来たよ」
ことん、と足許に置かれた下駄の鼻緒は、濃紺一色になっていた。それは、彼が袂から取り出した手拭いと同じ色をしていた。
「見栄えが悪いが、今日だけ我慢してくれ。明日、新しいものを買い直そう」
「いえっ…新しいのはいらないです」
「……?だが」
「この下駄が良いんです。ありがとうございます」
下駄を手に取り、私は不思議そうな顔をする半平太さんに微笑みかけた。
「小娘は変わった女子だな」
ふっと身体が傾き、目の前に藍色の着物が迫る。胸許にぴったりとくっついた耳からは、彼の心臓の音が聞こえてくるよう―。
「ひとりで新選組に立ち向かっていく勇気といい…。君みたいな女子は初めてだ」
「半平太さん…」
「だから、約束して欲しい」
髪を一束掬い上げ、半平太さんの指がそれを耳に掛ける。
「もう新選組には近付かないでくれ。例えそれが、僕らのためであっても、だ」