第六話(3)


さらりと喉を通っていく心地好い冷たさと口の中にふんわり広がる黒砂糖の甘さ。本当は味なんて気に掛けてる場合じゃないのに、こんなときでも私の舌は正直だった。

「この葛切り、凄くおいしいですね」
「でしょう?僕もお気に入りなんです。それなのに、平助ときたらちっともつれないんですよ」
「当たり前だろ!もう何十回付き合わされたと思ってやがる」

「総司」と呼ばれていた彼は、「僕、甘味が大好きなんです」とこっそり私に耳打ちする。二人の柔らかな雰囲気にいつの間にか警戒心が緩み、私はつい口許を綻ばせてしまった。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕は沖田総司といいます。それでこっちは…」
「俺は藤堂平助。さっきはごめんな」
「いえ、本当に気にしないで下さい。私は…名無し小娘です」

一頻り記憶を手繰り、私は心の中で小さく落胆した。二人の名前には聞き覚えがあったけれど、役に立ちそうな情報は出てきそうにない。

(な、何か話さなきゃ…)

話題を探しながら、私は椅子に置いていたお茶をそっと啜る。けれど、先に口を開いたのは沖田さんだった。

「ところで、小娘さんはこの男達に見覚えはありませんか?」

手渡された半紙に描かれた似顔絵。
それに一通り目を通した私は、沖田さんに首を傾げた。

「多分…見たことないと思います。何て人達ですか?」
「上から坂本龍馬、岡田以蔵、そして武市半平太です」

冷ややかな表情を浮かべる沖田さんを見返しながら、私は両手をきつく握り締める。そうでもしなければ、声が震えるのを堪えられそうになかった。

「…悪い人達なんですか…?」
「侍の世を終わらせようとしてる罪人だ。俺達にとっては、宿敵ってところだな」

乱暴にお皿を置いた藤堂さんは、大通りをじっと睨み付ける。その横顔を見ていたら、「捕まえたらどうするんですか」とはとても聞けなかった。

「さて…と。お前、家はどこだ?送ってやる」
「あ…大丈夫です。近くですから、一人で帰れます」

腰を上げようとする藤堂さんに合わせ、私は頭を下げる。すると彼は、女中さんらしき人を呼び止め、小さく何かを耳打ちした。

「…?」
「ずっと気になってたんだけどよ、その着物、自分で選んだのか?」
「え?そ、そうですけど…」

半平太さんが買ってくれた紺青色の着物。私はそれを見ながら、彼の質問に頭を捻った。

「いや、似合ってんだけど。若い女が着るには地味な色だからよ、俺はてっきり」
「てっきり?」
「惚れた野郎のために着てんじゃねえかと思ってさ」
「な…!」

思いも寄らない言葉に、身体中の熱が顔に集まる。それを見た藤堂さんは、吹き出しながら今度こそ腰を上げた。

「あっはっは!ほんと素直だな」

高らかな笑い声を上げ、彼は奥から現れた女中さんから包みを受け取り、それを私の前に差し出す。

「土産だ。家で食いな」
「え…?こ、こんなにたくさん…?」
「好きなんだろ?ばくばく食ってたもんな」
「む…。藤堂さん、ひどいです」

その言葉に頬を膨らませる私に「平助で良いよ」と彼はまた口許を緩める。

「またな、小娘」

立ち去る平助君の後ろ姿を見つめていると、「今度は二人きりで来たいですね」と沖田さんが囁く。頭を優しく撫でる彼に口をぱくぱくさせながら、私は暫く椅子から立つことが出来なかった。


(―あれ…?またここに出ちゃった…)

二人と別れてから、もうどのくらい経ったんだろう。容赦なく照り付ける陽射しを避けながら、私はどこか見覚えのある路地をさっきからずっと回っている。

(迷子になっちゃったみたい…)

誰かに道を聞こうにも、大通りから離れてしまったせいか人の姿はない。途方に暮れた私は、へとへとになった足を抱えてその場に座り込んだ。

(これからどうしたら良いの…?)

この世界には、帰る場所もなければ私を心配してくれる人もいない。それはつまり、誰からも必要とされていないと言われているのと同じだった。

(私…ひとりぼっちなんだ…)

膝に顔を埋めると、堪えていた涙が次から次へと溢れてくる。気付けば私は、無意識のうちにあの人の名前を口にしていた。

「ふぇ…半平太さぁん…」
「…―っ小娘!」

その声にぴくんと身体が揺れ、ゆっくり頭をもたげると、ぎゅっと力強い腕が私を抱き締める。すると、涙で滲んでいた私の視界は、瞬く間に鮮やかな紺碧色に染められた。

「無事で良かった…」
「半平太さん…?」

夢か現実か区別がつかない私は、おずおずと半平太さんの背中に手を回す。肩に掛かる乱れた息遣いとその熱い身体は、確かに彼がここにいることを教えてくれる。

「不安にさせてすまなかった…。もう二度と君を一人にはしないから…」

どうしてそんなに優しいの。
私は貴方に迷惑を掛けてばかりで、何も返せていないのに。

「は…い…。半平太さん…」

嘘でも良い。
半平太さんさえ傍にいてくれれば、きっと私は生きていける。だからその代わり、私に貴方を守らせて欲しい。

例え、それが貴方を傷つけることになったとしても―。私にとって半平太さんは、ひとりぼっちの世界に差した唯一の希望だった。

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