第五話(2)


「この卵焼き、姉さんが作ったんスか?いつもと一味違ってうまいッス!」
「あ、ありがとうございます。それ、スクランブルエッグっていう卵料理なんです。…何だか変わったものばかりでごめんなさい」
「いや、謝ることはないぜよ。おんしは料理も上手いんじゃのう」

小娘が手伝ったという今日の朝餉は、今まで見たことのない不思議なものばかりが並んでいた。だが、試しに口に運んでみるとどれも旨く、中岡も龍馬もその味が大いに気に入ったようだった。

「あれ、以蔵君どうしたの?」

その一方で、全く箸が進んでいない人物がいた。椀を持ったままじっとその中に視線を注ぐ以蔵は、一向に口を開く素振りを見せない。

「さては姉さんの料理がうまくて言葉も出ないとか。食べないんなら俺が貰ってあげようか?」
「ば…!そういう訳じゃない。ただ考え事をしていただけだ」

からかうような口振りに、以蔵がその手を漸く動かす。向かいでその様子を見ていると、中岡の指摘は満更間違っていないように思えた。

「―武市、おんし今日の予定はどうなっとる」

朝餉を終え、小娘が膳の片付けを始めようとしたとき、ふと龍馬が口を開いた。

「今日は午後から高杉さんに会うことになっているが…。それまで特に予定はない」
「ほうか」

何やら考え込んだ龍馬は、暫くして真剣な顔で僕に向き直った。

「それなら、一緒に土佐藩邸に行ってくれんか。わしは今日、あの人と会う予定になっとるんじゃ」
「…後藤か。僕にあの男に会えと?」

その名前を口にした途端、虫酸が走る思いがした。僕の胸に深い遺恨を残したその人物に会うことは、この上ない苦痛でしかなかった。

「おんしと後藤の間柄は百も承知じゃが…それを見越しての頼みじゃ」

殺されかけた相手に助けを求められるとは、何とも滑稽な話だ。だが、時代が移り変わろうとしている今、あの男に会うことは避けては通れぬ道なのかもしれない。

「…わかった」

押し殺していた不穏な感情が溢れ、僕の胸を再び蝕んでいく。それを感付かれぬように立ち上がろうとすると、眉を下げた小娘と視線が重なった。

「小娘、それが済んだら僕の部屋においで。話があるから」
「はい…」

そのまま彼女から顔を背け、僕は広間を後にした。


「…長州藩邸、ですか?」
「ああ」

二人きりになった部屋で、膝に手を置いた小娘は僕の言葉に瞳を瞬かせた。

「元々午後から君を連れていくつもりだったんだが…。少し予定が変わってしまったから、一足先に以蔵と行っていると良い」
「はい…あ、あの半平太さん」

おずおずと僕を見上げると、小娘は心配そうに顔を曇らせた。

「…大丈夫でしょうか」
「え?」
「以蔵さん、きっと私のことが嫌いだと思うんです。半平太さんが私を紹介してくれたときもすごく反対してましたし、それにさっきの朝ごはんも…」

徐々に声を小さくしながら、彼女は膝の上の手をぎゅっと握り締めた。中岡と以蔵のやり取りを笑顔で見ていた小娘だったが、やはりずっと気になっていたことだったのだろう。

「…それは違うよ、小娘」

僕は彼女の頭に手を伸ばし、そっとその髪を撫でた。

「以蔵は感情を表に出すのが下手なだけだ。君の料理は本当においしかったし、以蔵もそう思っているはずだ」
「半平太さん…」
「だから気にせず行っておいで。万が一昨日みたいなことがあったとしても、以蔵がいればきっと大丈夫だ」

僕の言葉にこくんと頷くと、小娘の顔にまた笑みが戻る。けれども、ふっと僕に擦り寄った彼女は、その瞳に不安げな色を浮かべた。

「半平太さんもお気を付けて下さい」
「ああ、ありがとう。僕は大丈夫だ」
「…でも」

僕の手をおもむろに取ると、彼女はそれを包み込んだ。

「後藤さん…ってきっとすごく難しい人なんですよね。私は何の役にも立てませんけど…お話が上手く出来ると良いですね」

にっこりと笑い、僕の手を離した小娘はそのまま自室へと戻っていった。その手から伝わる温もりは、僕に忘れかけていた安らぎを思い起こさせた。

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