月下の夢(1)


やけに月が眩しい夜だった。
まるで一面を黒布で覆い、そこだけ器用に切り抜いたかのような、綺麗な円を描いていた。その黄金色の美しさに吸い寄せられてしまったのか、はたまた物寂しげな様子に後ろ暗い気持ちが重なったのか。理由はどちらにせよ、俺の頭に浮かぶ顔はひとつだった。

「どうした。こんなところで」
「…………」
「おい、中岡」
「……え?」

肩がぐらりと揺れ、間の抜けた声を出すまで、その声が自分に向けられていることに俺は気付いていなかった。訝しそうな視線とかち合い、慌てて顔を繕う。

「いつまで経っても戻って来ないから迷子になってるんじゃないかと思ったぞ。厠、分かったか?」
「ああ、大丈夫です、高杉さん。お手を煩わせてすんません。でも、いくらなんでも迷子にはなりませんよ。何度となく伺ってますし」
「そうか?小娘はしょっちゅう迷子になってたぞ!『同じ造りの部屋ばかりで分からない』とか言ってよく屋敷をぐるぐる回ってたな」
「そう言えば...そんなこともありましたね」

不意に出た小娘の名前が心をざわつかせる。
出逢ったばかりの頃、確かに小娘は、ここ長州藩邸でよく迷子になっていた。堪らず声を掛けると「慎ちゃん、玄関ってどっちだっけ?」と羞恥と困惑の色を滲ませていて。
『もうその話題は止めて』と小娘は言うが、あの愛らしい顔は今思い出してもどきりとする。

「...と、今夜は月が綺麗だな。そうだ、ちょっとここで月見酒でもするか!なあ!」
「え?」
「おい、酒だ!酒を持ってきてくれ!」

近くを歩く女中を呼び止め、高杉さんは縁側にどっかりと座り込む。それに倣った俺は、相変わらずの突飛な調子に頬を緩めた。だが、その懐かしさに安堵する一方で、やや痩せた身体が気に掛かった。

「呑め呑め!今日は祝い酒だからな」
「すんません。いただきます」

運ばれてきた酒を猪口に注がれ、一息に飲み干す。あまり馴染みのない味だが、喉越しは悪くない。高杉さんの好みの酒なのか、彼も旨そうに喉仏を上下させている。

「ところで、小娘は元気にしてるか?」
「ええ、元気ですよ。変わりありません」
「なんだ、それならどうして連れて来ない!!そんなに小娘を俺に会わせたくないか!」
「そ、そういう訳では...」

図星だった。心の内を気取(けど)られないよう、眼前に迫る顔に作り笑いを返し、俺は目線を月に移す。

やっと俺だけの小娘になったのだ。本音を言えば、家から一歩も出さず、奥の部屋に閉じ込めて置けたら、と思ったのは一度や二度ではない。それほどまでに、俺は小娘が愛おしい。

「お前、祝言を上げてから小娘を抱え込み過ぎだぞ」

つまらなそうに猪口を回しながら、高杉さんは口を尖らせる。
小娘と祝言を上げたのは、そう、ちょうど一年前の今日のことだ。
だが、そのうち彼女と過ごせたのは何日だろう。恐らく、半分もないのではないか。それでも小娘は、不満ひとつ口にすることなく、いつも笑顔で俺を見送ってくれる。

『慎ちゃん、いってらっしゃい。今日は…帰って来られない…よね』

歯切れの悪いその言葉尻が、胸に針を刺した。『今日は何があっても帰って来る』そう言えたなら、きっと小娘の顔は忽ち晴れただろう。

『...ごめん。出来るだけ、早く帰って来る』
『あ、ごっごめんね...。困らせたかったわけじゃないの...。慎ちゃんは、大きなお仕事してるんだもの。早く帰って来てくれたら勿論嬉しいけれど...。私のことは大丈夫だから』

俺を困らせないよう、無理に笑顔を浮かべていることは分かっていた。分かっているくせに、いつも俺は気の利いた言葉も言えずに、小娘の優しさに甘えてしまっている。

「心ここにあらず、だな」
「いや、別にそんなことは...」
「中岡、お前もう帰れ」

一瞬、聞き違いかと思い、俺は言葉を詰まらせた。

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