追憶(1)


長い睫毛をゆっくりと上下させ、それを愛でる小娘の横顔は、今宵の僕には残酷なほど眩(まばゆ)かった。
だが、それでも君を見ていたいと思ってしまったのは、その無垢な心に少しでも触れていたかったからだろう。

「あ、見て下さい、そろそろ咲きそうですよ!」

じっと見つめていたそれが開くと、小娘は幼い子どものように顔を綻ばせる。周りの人間までも温かな心にさせるその笑顔は、まるで彼女が見つめる花そのもののように思えた。


「武市さん、まだお仕事ですか?」

襖越しに聞こえる小娘の遠慮がちな声に手を止めると、既にとっぷりと日が暮れていることに気が付く。それは、日がな一日机に向かっていた僕が、今日初めて空を仰いだ瞬間でもあった。

「ああ、もう終わったよ。入っておいで」
「はい、失礼します」

認め終えた書状の山を整理しながら振り向くと、喜色を浮かべた小娘が歩み寄ってくる。そして彼女は、僕の傍にすとんと座り込み、手に持っていた薄青色の小さな花器を文机に乗せた。


「―何でも一夜しか咲かない珍しいお花なんだそうです。今日買って頂いた物なんですけど、武市さんにもお見せしたくて」
「そうか。僕もこんな花は初めてだ。…だが、誰に買って貰ったんだい?」

頭に浮かぶ何人もの男の姿に、言い様のない嫌な感情が胸を襲う。しかしそんなことなど知らない小娘は、相変わらずにこにこと話し続けた。

「女将さんです。買って頂くなんて申し訳ないってお断りしたんですけど…」

聞けば今日、小娘はお登勢さんと買い物に出掛けた帰りにこれを見つけたらしい。それを聞き、その唇が他の男の名前を口にしなかったことを僕は少し安堵した。

(全く…厄介だな)

僕は彼女と想いを伝え合った訳でも、況してや好きだと告げた訳でもない。それなのにこんな子ども染みた嫉妬に駆られてしまうのは、この想いの大きさ故なのだろうか。

「武市さん?どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」

不思議そうな表情を浮かべる彼女に片笑みを返し、僕はその花に視線を移した。そして暫く無言の状態が続いていた時、ふと小娘が「でも」と元気のない声を漏らした。

「朝になったらしおれちゃうなんて…。可哀想ですね」

開いたばかりの花弁につっと触れると、小娘は悲しそうな声を溢す。その言葉と同時に、僕の脳裏にかつての出来事がまざまざと蘇ってきた。

「例え短い命だとしても、それだけで不幸な一生だったと決まる訳ではない。…それは人間も同じだ」

自身に言い聞かせるように口にした言葉が、じわじわと過去の傷を広げていく。そんな思いを隠し小娘に視線を返すと、彼女の瞳は不安げに揺らぎながら僕を見つめていた。

「もうお休み。今日も一日手伝いをして、疲れただろう?」

月明かりで仄かに艶めく小娘の髪に手を伸ばすも、僕はすぐにそれを戻した。今宵、このまま小娘に触れてしまったら、無垢な彼女が汚れてしまいそうな気がした。

「…武市さん」

細い声が耳に届くのと同時に、温かな感触が頬を伝う。見ると、膝を進めた小娘がその手を僕の片頬に添わせていた。

「おやすみ、小娘さん」

彼女の手をそっと外し、僕は平素と変わらぬ笑みを作った。小娘は一瞬、その大きな瞳を更に見開いたが、「おやすみなさい」と小さく口にして部屋を後にした。

ぱたんと襖の閉まる音と、残された部屋に咲き誇る真っ白な花。
その清らかな美しさに魅了されながら、僕はあの五月十一日のことを思い出していた。

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