両想い(1)
ドアが開くと同時に、たくさんの人が車内に雪崩れ込んでくる。
いつもの私なら朝の通勤ラッシュにげんなりしているところだけど、今日はそんなことを思う余裕は無かった。
「名無しさん、大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です!」
余りの混雑振りに身動きすることが出来ない私の身体は、彼にぴったりとくっついてしまっている。
しかも電車が揺れる度に、私は前にいる武市さんにもたれ掛かってしまう。
それがとても恥ずかしくて、私の心臓はずっと大きな音を打ち続けていた。
(…あれは、夢だったのかな?)
私は昨夜の出来事を思い起こしながら、そっと頭をもたげた。
すると、彼の端正な顔が目と鼻の先にあって、心音が一段と早くなる。
(武市さんが名前を呼んでくれて…それから…)
私は頬にキスされたことを思い出して、頭の中が真っ白になってしまう。
その時、急に手を取られて思わず声を上げてしまいそうになった。
「ほら、着いたよ」
人込みを押し分けながら、私と武市さんは電車を降りた。
気が付くとそこは見覚えのある駅で、武市さんは私の手をすっと離した。
(武市さんの手…やっぱり温かい…)
私は武市さんの温もりが残った手をきゅっと握りながら、前を歩く彼を追いかけた。
「―それじゃ、僕はここだから」
「はい、あ、の…本当に、ありがとうございました」
エレベーターのドアがゆっくりと閉まる。
その瞬間、私の幸せな時間も終わり、思わず溜息が出てしまった。
暗い気持ちになりながら秘書室の前に着くと、後ろから聞き慣れた声がした。
「おはよー!小娘ちゃん!」
「カナちゃん、おはよう」
声を掛けてきたのは、私と同じ部署で働くカナちゃんだった。
彼女は何故か意味深な笑みを浮かべていて、私は首を傾げた。
「な、何?どうしたの?」
「小娘ちゃん、それ…昨日と同じワンピースだよね?」
そう言われはっとすると、カナちゃんはますます口角を上げた。
「昨日、憧れの武市さんに会いに行くって言ってたよね?…後で、ゆっくり聞かせてよねっ」
真っ赤な顔の私を余所に、カナちゃんはうきうきした様子で部屋に入って行く。
カナちゃんとは一番の仲良しで、私が武市さんのことを好きだと知っているのは彼女だけだった。
「うそっ!武市さんの家に泊まったの!?」
「カ、カナちゃん、声が大きいよ…!」
お昼時でがやがやしている社食に、カナちゃんの声が響いた。
その声に驚いた何人がこちらを見たけれど、幸い知っている人はおらず、私はほっと胸を撫で下ろした。
「ごめんごめん。だってさ、展開速すぎなんだもん!」
「だから、昨日は電車が止まっちゃったから…」
「それでも普通、家には泊めてくれないと思うけどなぁ」
私は何て答えたら良いのかわからず、ストローに口を付けた。
カナちゃんはジュースを飲む私を見つめながら、嘆声をもらした。
「そんなに良い雰囲気だったんなら、告白しちゃえば良かったのに」
さらりと言うカナちゃんの台詞に、思わずむせそうになった。
「そ、そんなの無理だよっ!」
「だって、このままじゃ誰かに取られちゃうよ。それでも良いの?」
「そ、それは…」
思わず私は黙りこくってしまう。
その時、突然後ろから誰かが抱き着いてきて、私は悲鳴を上げた。
「きゃあっ!」
「小娘!元気だったか!」
「た、高杉さん、びっくりさせないで下さい!」
振り返った先には、同じ階で働く高杉さんの姿があった。
彼は無邪気な笑顔を向けながら、私の隣の椅子に腰掛けた。
「二人共、来週の日曜は空いてるか?」
高杉さんの質問に、私とカナちゃんはきょとんとしてしまう。
「はい、特に予定はないです」
「あたしも空いてますけど…」
そう答えるやいなや、彼はポケットから何かのチケットを取り出し、私達のテーブルに置いた。
手に取って見ると、それは最近出来たばかりの遊園地のチケットだった。
「こないだ得意先から貰ってな。来週は空けておけよ!行くのは、お前達二人とオレと武市だからな!」
(え…?)
思いも寄らない名前に、私の思考は停止してしまった。
気が付いた時には、高杉さんの姿はなく、カナちゃんが嬉しそうな顔で私を見ていた。
「良かったね!小娘ちゃん」
「う、うん…」
私はどきどきする心臓を鎮めながら、チケットを見つめていた。