慕情(1)
「…小娘さんを引き取りたいと?」
「そういうことだな」
金風が吹き始めた、肌寒い夜の出来事だった。
「武市さん、お客様です」
花のような笑みを湛えて、僕の部屋を訪れた小娘さん。
彼女の笑顔を見ていると、つい口元が綻びてしまうのだから不思議だ。
「誰だい?」
「大久保さんです」
「大久保さん…?」
「はい。あ、でも龍馬さんにも御用があるみたいで、終わったらこちらに来るそうです」
珍しいこともあるものだと目を見張る。
何か、不手際でもあったのだろうか。
だが、ここ数日の仕事を振り返ってみても、心当たりのある事案はなかった。
僕があれこれと考えを巡らしていると、彼女の手が眉間に触れた。
「…小娘さん?」
「武市さん、眉間に皺、寄ってます」
彼女の指が僕の眉間を優しく撫でる。
「何か難しいお話なんですか?私ではお役に立てないかもしれないけど…何かあったら言って下さいね」
白く細い彼女の指。
その指が離れていくのが名残惜しくて、彼女の手を取る。
「ありがとう。大丈夫だよ」
小娘さんが分け隔てなく優しいのは分かっている。
だが、僕を思いやってくれる言葉に、喜ばずにはいられなかった。
…小娘さんは、僕にとって特別な人だと気付いてしまったから。
「君の手は、温かいね」
「そんなこと…武市さんの手は、少し冷たいですね」
今日は冷えますものねと言って、はにかみながら僕の手を包む彼女。
こんなささやかな一時ですら、幸福を感じた。
「ほう。小娘の手は、そんなに温いのか」
「わっ!」
突然掛けられた声に、小娘さんの肩がびくりと揺れた。
襖に目をやれば、不敵な笑みを浮かべてこちらを窺う大久保さんがいた。
「お、大久保さん、びっくりさせないで下さい!」
慌てて立ち上がる彼女の手を大久保さんが掴んだ。
「な、なんですか…?」
「なるほど。確かに温かいな」
「…大久保さん。僕に話があったのでは?」
鋭い僕の声に、大久保さんは小娘さんの手を放した。
「ああ。遅くにすまんな」
「いえ、…何かありましたか?」
大久保さんが向かいに腰を下ろす。
「私、お茶を淹れて来ますね」
小娘さんが部屋を去ろうとした時、大久保さんがそれを止めた。
「…茶はいらん。小娘、お前も座れ」
『え?』
大久保さんの言葉に、僕と彼女の声が重なった。
おずおずと僕の隣に座る彼女。
何故か、言い様のない不安が心を襲った。
「先達て、長州藩邸で会合があっただろう」
僕は記憶を手繰る。
本来は、僕と龍馬だけで行くはずだったのだが、高杉さんが小娘さんに会いたくて駄々を捏ねているとのことで、彼女も連れて行ったことを思い出した。
「小娘に聞くが、ひとりでいる間、見知らぬ男に話し掛けられただろう」
「え?はい」
「その男が、お前に会いたいと言っている」
「えっ…」
途端に小娘さんは慌てふためく。
「あのっ私、何か失礼なことをしてしまったんでしょうか…」
「そうではない」
大久保さんは僕に視線を向ける。
「小娘のことを大層気に入ったそうだ。それで、身寄りがないならば…」
「…小娘さんを引き取りたいと?」
「そういうことだな」
心が急速に冷えていくのを感じた。
突然の出来事に、唖然とするより外になかった。