愛しい名前(1)


今日のための準備は、もう一週間前に出来ていた。
朝起きたら一番に言おうか、それともふたりになれる夜まで待とうか。随分悩んだけれど、彼以外の皆がこの時間に出掛けると聞いて、チャンスは今しかないと思った。
それなのに。目の前を隔てるこの一枚の障子が、今は妙に分厚く感じてしまう。

(朝からずっと部屋にいるってことは…きっとお仕事が忙しいんだよね…)

『お仕事お疲れさまです。お茶にしませんか?』
…でも、お昼ご飯が終わってからまだ少ししか経ってないし。

『少しお時間良いですか?』
…もしかしたら、今すっごく忙しいところかもしれないし…。

『半平太さんに会いたくて来ちゃいました』
…こ、これはさすがに恥ずかしい…!

同じ屋根の下にいて、ふたりきりになろうとすることがこんなに難しいなんて。どうしたら自然に声を掛けられるか、その場を行ったり来たりしながら頭を抱えていると、すっと障子が開く音がした。

「!」
「さっきから右往左往してどうしたんだい?」

思いもしない半平太さんからの問いかけに跳ね上がりそうになった私は、慌てて手を後ろに隠す。急に心臓がどきどきしてきて、体温が一気に上昇している気がする。

「き、気付いてたんですか?」
「もちろん」

「僕が君に気が付かないとでも?」と優しく目を細めた彼は、私の手を取るとそのまま部屋に招き入れてくれる。案の定、彼の文机の上は手紙らしき紙が山のようになっている。だけど、その周りも屑箱の辺りも、いつもと変わらずきれいなままだった。

「半平太さんのお部屋って、いつもきちんとしてますね」
「うん?そんなことはないよ。今日なんかは、ほら」

さっきまでの私の視線を追うように、半平太さんは文机の辺りを見遣る。

「でも、皆忙しいともっと部屋中が紙だらけで、屑箱もこーんなにいっぱいなんですよ」

文机の前に座る半平太さんに倣い、その前に膝を折った私が両手を使って大きなまるを描くと、彼は呆れたように笑い始めた。だけど、その瞳はすぐにいつもの優しい眼差しに変わり、背中に手が回されたと思ったのも束の間、私はあっという間に彼に抱え込まれてしまった。

「……あ」
「全く…小娘の手間ばかり増やして、仕方ないな」
「い、いえ…私はっ…」
「…そう言えば、こうしてふたりきりになれるのは久しぶりだね」

身体が方向を変え、熱っぽい瞳と視線が重なると、少し硬い指先が唇を撫でる。

「君から来てくれるのは嬉しいけど、何か用があったのかな」

頭がぽーっとして、半平太さんの言葉はすぐに耳には届かなかった。どれくらいそうしていたのか、暫くしてやっと我に返った私は、思わず大きな声を出してしまった。

「あ、そ、そうでした!私、半平太さんに渡したいものがあって来たんです」

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