代償1(前編)


「良ければこれを」

雪のような肌に映える林檎色の頬。
下瞼に影を作る長い睫毛。
疎(まば)らだった雪が氷雨に変わり、悴(かじか)んだ手に息を吐き掛けるその横顔は、まだあどけない少女の面影を残していた。

「え……?でも…」

目の前の傘と僕の顔を交互に見ると、彼女は戸惑いながら視線を正面に向ける。勢いこそないものの、黒い空は未だ大きな雨粒を絶えず落としている。

「それじゃ、貴方が濡れちゃいます」
「僕のことなら気にしなくて良い。ここから然程(さほど)遠くないからね」

目許を細めてみせた僕は、彼女の手に傘を握らせる。初めて触れた手は、冷たさよりもその柔らかさの方が印象的だった。

「女子が身体を冷やしてはいけない。それに、使いの途中なのだろう?」

彼女の手を離し、僕は軒先から一歩足を踏み出す。藍色の着物は、瞬く間に濃紺へとその色を変えていく。

「あ、あのっ…!お名前…お名前を教えて下さいっ…」

ぱしゃっと水溜まりを踏む音と愛らしい声音に振り向けば、懸命に背伸びをした彼女が僕に傘を広げていた。

「私は名無し小娘です。本当にありがとうございます。また、お会い出来ますか…?」
「何処にでもある傘だ。そこまですることは…」
「いえ、ご迷惑でなければ…。お礼もさせて頂きたいですし」

女子には些か珍しい義理堅さ。
君ならばきっと、そう言ってくれると思っていた。

「……では、また一週間後に。この場所で会えるかな」
「はい」

悪天に不釣り合いな笑みを浮かべる少女。
何故気付かなかったのだろう。
このとき彼女の瞳が、既に熱っぽく揺れていたことに。

「…僕の名は柳川。柳川左門だ」

彼女の手をすっと避けると、頬に当たった滴が涙の如く滑り落ちた。まるで、この先起きることを暗示するかのように―。


雪は嫌いではなかった。
全てを白く覆い隠してくれるという意味では、寧ろ好きと言って良いかもしれない。

(だが、触れることは好かんな)

薄らと白く染まった地面に視線を落とし、僕は人知れず苦笑を溢した。一度(ひとたび)この指先が触れてしまえば、この雪は瞬く間に黒へと化すかもしれない。

「―左門さん!」

雑踏の中から聞こえる僕の名前。その方向に顔を変えれば、覚えのある桃色の巾着が見えた。

「小娘。そんなに走ると転ぶよ」
「大丈夫です…って…わっ!」

その姿が視界に入った途端、彼女の身体が前のめりに崩れそうになる。それを両手で支えてやると、小さな頭が胸に収まった。

「ほら。だから言っただろう?雪で滑りやすくなっているのだから気を付けなさい」
「はい…。ごめんなさい」

しゅんと悄気た表情を見せた小娘は、おずおずと顔を上げると、ふふっと笑い声を溢した。

「でも、転びそうになって良かったです」
「ん?どうしてだい?」
「だって、左門さんが助けてくれたから」

恥ずかしそうに呟くと、小娘は僕から離れ、落とした傘をくるくると丸める。けれど、僕はそれには答えぬまま、彼女の肩にそっと手を掛けた。

「中に入ろうか。ここは冷えるから」
「はい。お待たせしちゃってごめんなさい」

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