偽りの愛3(前編)
「…ならば傍にいてくれ」
「え…?」
「俺は…ずっとお前が好きだった」
どくんと心臓が大きな音を立てると、私の身体は金縛りにあったように動かなくなってしまった。
今まで一度だって、私は彼をそんな目で見たことはなかった。
「俺は小娘さえ傍にいてくれれば…どんなことでも耐えられる」
「いぞ…!」
首許に顔を埋められ、温かな吐息に身体が自然と反応してしまう。けれどその時、布団に縫い付けられていた手首に微かな震えが伝わり始めた。
「以蔵…」
彼の悲しみや苦しみを分かち合いたいと思ったことに嘘はない。けれどそれは、愛情とは別のものだった。
(だって…だって私は…)
「小娘…」
顔を上げ、切なそうな表情をした以蔵と視線が重なると、私の顔を長い髪が擽(くすぐ)る。徐々に縮まる二人の距離に、私は思わず目をぎゅっと閉じてしまった。
「…以蔵、入るぞ」
もしその声が掛かることがなければ、私と彼の唇は重なっていただろう。
けれど私は、それにほっとするどころか、一気に全身の血の気が引いていくような感覚に襲われた。
「先生…」
布団に倒れ伏した私達を見た武市さんは、口を閉ざしたままだった。その顔は無表情そのもので、彼が何を考えているのか私には想像も出来なかった。
「その様子だと大事はなさそうだな。遅くにすまなかった」
淡々とした口調でそう告げると、かたんと障子が閉じられた。その一部始終を呆然と眺めていた私は、いつの間にか口がからからになっていることに気が付いた。
「以蔵…私お部屋に戻るね」
まるで鉛を飲み込んでしまったかのように身体が重い。
それでも何とか立ち上がると、私の腕をぐっと以蔵が掴んだ。
「…さっきの言葉に嘘はないからな」
真摯な瞳から顔を背け、私が小さく頷くと、以蔵はゆっくりとその手を離した。
「武市さん…!」
漸く出た声は、自分でもびっくりするくらい掠れていた。だけど、障子の前に立つ彼の顔が私を捉えると、また声は出せなくなっていた。
「…何だい、小娘さん」
いつものように冷静な表情を浮かべた武市さんは、私を見ても顔色を全く変えなかった。そしてそれは、私に新たな痛みをもたらした。
(わかってたことじゃない…)
片想いでも良かった。
この気持ちを受け入れて貰えなくても、心の中で彼を想うことが出来ればそれで十分だった。
それなのに、どうして神様はこんなに残酷なんだろう。
「君達のことを誰かに話すつもりはないよ。…それじゃ、おやすみ」
口の端を上げ、穏やかな笑みを作った武市さんは、障子を開けると静かにそれを閉めた。その瞬間、私の身体からは急速に力が抜けていった。
(違う…のに…)
私が好きなのは貴方なんだと言ってしまいたかった。それなのに、私には以蔵とのことを否定することすら出来なかった。
(武市さん…)
言葉に出せなかった感情が胸に押し寄せ、涙となって溢れ出す。
今日はもう枯れるほど泣いたと思っていた。けれどこの涙は、今まで流してきたもの以上に私の心を苦しめた。