羨望(3)


無言のまま着いたのは、私がこの世界に来るきっかけになった神社だった。
懐かしい思いが込み上げてきて半平太さんを見上げると、彼も優しく微笑み返してくれた。
私達が神社の階段に腰を下ろすと、どこからか甘い香りが漂ってきた。

「私、少しお散歩してきても良いですか?」
「ん、あまり遠くに行かないようにね」

私は二人から離れて、神社の周りを歩き始めた。
すると、神社の裏手には撫子が咲き誇っていた。

(さっきの香りはこれだったんだ…)

淡いピンク色の撫子が風でゆらゆら揺れている。
私はその様子に暫く見入っていた。

(そうだ!皆にこの花を摘んでいってあげよう)

私は機嫌があまり良くなかった半平太さんや大久保さんの姿を思い出しながら、花を摘み始めた。
だけど、花に気を取られていた私は、地面が斜面になっていることに気が付かなかった。

「きゃあっ!」
「小娘!」
「小娘さぁ!」


「…迷惑かけてごめんなさい」

足を捻ってしまった私は、半平太さんにおんぶされながら薩摩藩邸に向かっていた。

「どうしてあんなところにいたんだい?」

優しく問い掛ける半平太さんに私は答える。「神社の裏に、撫子がたくさん咲いていたんです。だから、皆に見せてあげたくて…」
「そうか。また今度見に行こう」
「は…い…」

半平太さんの背中は温かくて、とても心地好かった。
優しい揺れに私の意識は遠退いていった。

「…眠ってしまおいもしたか」
「ああ、そのようだ」
「今日は、武市さぁに会ゆっとが楽しみじゃったごとで、随分早くから起きておいもした」
「…そうか」

小娘の規則正しい寝息が聞こえる。
まるで子どものような彼女に表情が緩んだ。

「小娘は、君に稽古をして貰っていたんだな」
「はい。是非相手をして欲しいと頼まれまして」
「その話を聞いた時…少し妬けたよ」

彼女の身の安全を考えて大久保さんに預けたが、正直他の男と一緒にいるところなど考えたくもない。
二人きりでの剣の稽古など尚更だ。
そんなことを思っていると、彼が小さく笑いながら僕に答えた。

「…武市さぁ。小娘さぁが剣の稽古を続けていたのにな、理由があうんですよ」
「え?」
「今朝、ゆておいもした」

「…それにしても、小娘さぁは剣がお好きなんなあ」
「はい!大好きです!でも、それだけじゃないんですよ」
「え?」
「少しでも、あの人の役に立ちたいんですっ」


「…気丈に振舞っておいもしたが、やはい寂しかったのんそ。今日一緒にいて、小娘さぁのあげん幸せそうな顔は初めて見もした」

背中の彼女を見遣ると、幸せそうな顔をして眠っている。
その顔を見ていた時、彼女の唇が微かに動いた。

「は…んぺい…たさん…。好き…」

僕の耳元で囁いた彼女の言葉に、思わず顔が熱くなった。
その時、彼がぼそりと呟いたのを僕は聞き逃さなかった。

「…やはい、武市さぁにな敵いそうに無いなぁ」

…一体、君は何人の男を虜にすれば気が済むんだろう。
そんな君には、今晩もお仕置きが必要…だね。
僕は彼女の身体をしっかりと支えて、薩摩藩邸へ歩を進めた。

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