羨望(1)
朝靄が立ち込めていて、周りの景色は朧げにしか見えない。
それでも私は、目を凝らして道の先を見つめていた。
(まだ…だよね)
その日、いつもより早く眠りから覚めた私は、箒を片手に門の前を行き来していた。
既に掃除は終わり、門前には枯れ葉1枚すら落ちていない。
だけど、私はまだこの場所を離れたくなかった。
「…小娘さぁ?」
急に後ろから声を掛けられ、どきんとする。
振り返った先には、私をまじまじと見つめる半次郎さんがいた。
「半次郎さん、おはようございます」
「おはごとござおいもす。こげんに朝早くから一体いけんしたんですか?」
「えっと…その、」
私が言い淀んでいると、半次郎さんは何かを察したようだった。
「…そう言えば、今日は武市さぁが帰って来う日なあ」
穏やかな笑みを向ける半次郎さん。
私は心を見透かされたような気がして、顔が赤くなるのを止められなかった。
「お気持ちはわかいもすが、帰って来っとは昼八つ頃のご予定じゃなかですか」
「はい…。そうなんですけど、何だかいてもたってもいられなくなっちゃって…」
半平太さんと離れてから、もうすぐ一月が経とうとしていた。
私は最後に彼と会った日のことを思い浮かべる。
「仕事で一月程留守にしなければならなくなった」
私の部屋に来た彼は、開口一番、そう告げた。
半平太さんが忙しいのはいつものことだけど、一月も留守にするのは初めてだった。
(一月も…会えないなんて…)
心がどんどん曇っていく。
でも、私は彼に心配を掛けたくなかった。
「…お仕事なら、仕方無いですよね」
自分では精一杯の笑顔を作って答えたつもりだった。
「…小娘」
突然名前を呼ばれたかと思うと、次の瞬間には彼の両手が私の頬を覆っていた。
「は、半平太さん?」
「…そんな寂しそうな顔しないで」
「え?」
そう言われ、私は彼の手に自分の手を重ねた。
「私、そんな顔してますか?」
「…君は隠し事が出来ない質だからね」
「そ、そうですか…」
恥ずかしくなった私は、顔を逸らそうとした。
だけど、彼の手がそれを許してくれなかった。
「すぐに帰って来るから」
「はい…」
「…泣かないで」
「…っ…だって…寂しいんです…」
彼を困らせたくないのに、涙を止めることが出来ない。
私は彼の胸に顔を押し当てた。
「今夜は、ずっと傍にいてあげるから…」
その日、私は彼に縋りついて、泣きながら眠ってしまった。
翌朝目が覚めると、私はお布団の中にいて、もう半平太さんの姿はなかった。
(お見送りも出来なかったんだよね…)
あの日のことを思い出した私は、溜息をついた。
あの後、半次郎さんが迎えに来てくれて、私は薩摩藩邸に行くことになった。
半次郎さんによると、今回のお仕事を頼んだのは大久保さんで、半平太さんは引き受ける代わりに私を預かって欲しいと言ったそう。
こうして私は薩摩藩邸のお世話になっていたのだけど、先日、半平太さんからお手紙が届いた。
そこには、お仕事が終わって、今日の14時頃帰って来ると書いてあった。
(会いたくて…いつもより早く目が覚めちゃった)
「小娘さぁ…?いけんかしもしたか?」
回想に耽っていた私は、半次郎さんの声で我に返った。
「ご、ごめんなさい!何でもないです。ところで、半次郎さんは朝からお仕事ですか?」
「いや、そうじゃなかんです。久しぶいに朝稽古をやろうと思いまして…」
「あ、そうなんですか!私もご一緒させて頂いても良いですか?」
「良かですど。それにしても、小娘さぁは剣がお好きなんなあ」
「はい!大好きです!でも、それだけじゃないんですよ」
「え?」
私が続きを話すと、半次郎さんの顔が少し赤くなったような気がした。
「あっ早く取ってきますね!」
私は竹刀を取りに自分の部屋に急いだ。