ちいさなお客さま(3)
絶対に振り向かないことを条件に、小娘は渋々部屋まで付いてきた。きっとまた耳まで赤くしているであろう彼女の顔を思い浮かべると、自然と口許が綻んだ。
「どうして振り向いたら駄目なんだい?」
「だって…心臓が持ちません…」
もう何度も褥をともにしているというのに、彼女の反応はいつまで経っても可愛らしい。
その反応が見たいから意地悪したくなるのだとはとても言えないが。
「皆、びっくりしてましたね…」
先に弁明すべきか迷ったが、僕は彼女の続きを待つことにした。
「でも、半平太さんはそんな無責任なことをする人じゃないって分かってます。だから私、信じてます」
鉛を飲み込んだように重くなっていた心が、不意に軽くなった。言いつけを忘れて振り向いた僕に、すかさず小娘は背中を見せた。
「そ、それに、世界には自分に似ている人が三人いるって言うじゃないですか。だからきっと、あの子のお父さんが半平太さんにそっくりなんですよ」
早く前を向いて下さい、と後ろ手に帯を出す彼女を引っ張ると、小さな体躯が腕の中に収まった。
「そんな話、初めて聞いたな」
「えっ?ほんとですか?」
「うん。…ところで小娘」
顎を持ち上げ、こちらを向かせると、彼女の長い睫毛がぱちぱちと上下した。
「前に、新しく出来た団子屋に行きたがっていただろう?これから、食べに行こうか」
「えっ…!で、でも…」
「ずっと構ってあげられなかったお詫びだ。僕が君と行きたいんだ」
「半平太さん……」
「ぼくも、おだんごたべたい!」
親指が彼女の唇に触れたとき、僕らの肩が同時に跳ねた。両手いっぱいに菓子を抱えたその子は、僕と小娘の中に割って入り、不敵な笑みを見せた。
ーこの子は、間違いなく僕に敵意を持っている。
ここに来るまでも、長椅子に座っている今も、まるで僕と小娘に話す隙を与えたくないかのようだ。
「お待っとうさん。熱いさかい、気を付けておくれやす」
「わあ、おいしそう!みたらしと粒餡、どっちがいい?」
「つぶあん!」
「ふふ。粒餡が好きなんだ。半平太さんと同じですね」
蚊帳の外にいた僕に微笑みかけると、彼女がどうぞと差し出す。大粒の餡がたっぷりと乗った団子は評判通りで、彼女も幸せそうな顔でみたらし団子を頬張っていた。
(また…。仕方ないな)
懐紙を取り出し、口許を拭ってやろうとすると
「小娘、たれがついてるよ」
「ん!ほんと!?」
「ほら、ちゃんとふいて」
またもや先を越されてしまった。それにしても、これでは小娘とこの子の逢引に僕がついて来てしまったようではないか。
「ほう。本当に武市君がもうひとりいるな」
憔悴しきった僕に止めを刺すかのように、いつの間にか目の前には大久保さんが立っていた。
「こんにちは」
「ちゃんと挨拶が出来るのか。偉いぞ。どこぞの小娘より礼儀が身についているな」
「それって私のことですかっ…て、大久保さんもお団子を食べに来たんですか?」
「お前と一緒にするな。私は、武市君にそっくりだという子どもを見に来ただけだ」
そう言って僕らを見下ろしながら、大久保さんは「ふん」とつまらなそうな声を出した。
「こうして見るとまるで親子だな。母親が少々頼りなげだが」
「ですから、この子は僕の子ではありません」
「ああ、分かった分かった」
適当に反論を受け流し、大久保さんは「団子をもう一皿」と店主に申しつけた。
「せいぜい、親子ごっこを楽しむんだな。では私は失礼する」
口ではああ言っていたが、彼もまだ小娘を狙っているひとりなのだ。
本当の目的は、この子ではなく、小娘の顔を見に来たのではないだろうか。あわよくば、落ち込む彼女に優しい言葉を掛け、藩邸に連れて帰る算段をしていたとも考えられる。
(やはり、食えない人だ)
だが、それならばなぜ、さっさと行ってしまったのだろう。
「大久保さん、困っちゃいますね」
そう溢した小娘の顔には、頬紅を塗ったような赤みが差していた。
「他の人からも、私たち親子に見えているんでしょうか」
困るという言葉とは裏腹に、小娘の顔は嬉しそうだった。そんな彼女を見て、この状況も悪くないと僕は心で呟いた。