迷霧(2)


急須を持ったまま硬直する私を見て、桂さんはふっと口許を緩める。
それは今まで考えていたことだったけれど、何て答えたら良いのか分からなかった。

「困らせてしまったようだね」
「あ、いえ…その…」

淹れ終えた湯呑みをお盆に置いた私は、足許に視線を落としながらぽつりと呟いた。

「武市さんは…私のことなんて何とも思ってないと思います。きっと、手が掛かる子どもくらいにしか」
「…そう」

自分の気持ちを知られたくなくて、私はにこりと笑顔を作る。
だけど本当は、自分が口にした一言一言が胸に突き刺さるようだった。

「それなら、小娘さん」
「はい…?」
「急な話なんだが…―」


緋色と橙色が混ざり合った空が、徐々に辺りを宵闇へと誘(いざな)う。
それはいつもと何ら変わらない景色なのに、なぜか今日は胸が締め付けられるように痛かった。

「そうか。桂さんが…」
「…はい」

急遽、長州へ帰らなければならなくなった桂さんに、一緒に来て欲しいと言われたのは数刻前のこと。
それは、私にとって思いも寄らない申し出だったけれど、考える時間はあまり残されていなかった。

「明日、京都を発たれるそうです。なので朝までに返事が欲しいと…仰ってました」

私の荷物といえば、スクバと皆が買ってくれた着物や小物が少しあるだけ。だから、もし行くことになったとしても、荷造りをする必要はほとんどなかった。

(だけど…私、は…)

明日長州へ行ったとしても、桂さんはまたすぐに京都に戻ってくると話していた。
けれど、それでも彼を選んだら、二度と寺田屋には戻って来られないような気がする。

「小娘さんは、桂さんのことをどう思っているんだい?」
「私…ですか…?」

私の瞳をまっすぐ見つめる武市さんの表情は、この部屋に来たときからずっと変わっていない。彼が今何を考えているのか分からず、私はぽつぽつと素直な言葉を口にした。

「桂さんは知的で冷静で…すごく頼りになる方だと思います。まるでお兄さんみたいで…安心します」

『だけど、貴方に対する想いとは違うんです―』
思わず言ってしまいそうになった言葉を飲み込み、私は口を閉じる。桂さんはとても素敵な人だけれど、この気持ちは恋じゃない。

「それだけで十分なんじゃないかな」
「…え…?」

ふと腰を上げた武市さんは、かたんと障子を開ける。漆黒に染まった空には、気が付けば黄金色の月がぽっかりと顔を出していた。

「長州はここよりもずっと安全だ。それに、桂さんなら君のことを危険な目に合わせることもないだろう」
「武市さん…でも、」
「これで僕も安心できる。ずっと君のことが気掛かりだったからね」

そんな言葉が聞きたいんじゃない。
私はただ、貴方の傍にいたいのに―。
それなのにどうして、私の口は心とは逆に動いてしまうんだろう。

「そう…ですよね…。私…これから荷造り始めます」
「ああ。一人で大丈夫か」
「はい。武市さんはお夕飯まだですよね…?時間を取らせてしまってすみませんでした」

「失礼します」と頭を下げると、堪えていた涙が零れ落ちそうになる。それを見られないよう、私は慌てて自室へ戻った。

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