「……やけに無口ですね。キミがお喋りな人間では無い事は知っていますが」

 元の身体に戻って数時間後、青峰は火神のマンションを後にしていた。緑間と赤司はそれよりも早く解散していた為、現在青峰は黒子テツヤと共に並んで歩いている。国道は帰宅ラッシュで混雑。日常が帰って来たと言っても、いつもの光景には新鮮さも何も感じない。

「火神君、大丈夫ですかね?」

「オレに聞くな、火神に聞け」

 黒子の質問に冷たい返事をした青峰は、今日までの出来事が全て夢の中の話である気がしていた。もしかしたら自分はさっきまで長い昏睡状態で、今までの話は全て妄想の産物かもしれない。

 ……だが、入れ替わりが事実だと証明するのは簡単だ。携帯を開けば良いだけなのだから。

「本人に聞けたら、キミには聞きません」

 無表情に似た感情無い声は、中学からの友達らしいモノであった。

「それもそうだな」

 テキトウな返事を入れた青峰は、火神と自分が無事生還した事を伝えたいが為に、A子へ電話をしようとした。だが、履歴の途中で手を止める。それは、彼の頭の中にひとつの疑問が生じたからだった。

 ――何故オレが火神の彼女に連絡してやんなきゃいけねぇんだよ?

 半ば義務的にA子へ火神と自分が元に戻った事を伝えなきゃいけない気がしていたが、彼女と自分はもう"他人"なのだ。恋人の振りをする必要性も無ければ、優しくしてやる理由も無い。そう考えると、段々と面倒になって来る。彼女に対する父性に似た感情も、恐ろしいスピードで薄れ行った。

 ……そうだ。オレは、元々こういう人間なんだ。他人に興味が無く、自分が一番可愛い。ああやって火神の記憶が一部分無くなったとしても、ソレはもうオレには関係無い事柄だ。これ以上ゴタゴタに巻き込まれるのはゴメンである。

 携帯をポケットに戻した青峰は、曇って星さえ見えない夜空に視線を向けた。





 全員を見送った火神は、ベッドにダイブすると記憶の整理を始めた。全てがあやふやだ。ここ最近の記憶が断片的にしか無い。

『混乱しているだけだろう。人間のキャパシティを超えた経験をしたんだ』

 赤司の言葉を思い出して無理矢理納得させた火神は、固い髪の毛を掻く。記憶が無い事が、こんなにも不安だとは思いもしなかった。

 ……しかし、たったひとつだけ鮮明に覚えているのがB美と云う女性だ。派手な見た目に我が儘な性格。大人しい女性がタイプな自分からすれば、出来れば関わりたくない人種であったが……何故か自分は彼女を愛していた。それも、心の底から。

 理由は、確か彼女が青峰大輝へ片思いだかをしていたからだ。そんなB美に、最初は同情したのだろう。哀れみだけでセックスをして、恋人のような時間を過ごした。……これじゃ、ただの尻軽人間である。寂しい時には彼女を頼っていた気もする。遊園地に行って、塩辛い弁当も食わされた。過酷な状況に堪えられなかった肉体は熱に浮かされ、その時は動かない身体を引き摺って彼女のアパートにも向かった。

 ――以上が火神大我の持つ"ここ数ヶ月"の記憶であり、彼はソレがアベコベである事を知りもしない。彼が覚えているここ最近の記憶とは、肉体が記憶するモノだった。





「赤司。何かがおかしいとは思わんか?」

 不可解な顔を隠さず腕を組んだ緑間は、隣で足を組んで優雅に佇まう赤司にそう問う。現在、彼等はタクシーで帰宅する所だ。運転手付きの自家用車を呼べば良い癖に、赤司征十郎は何故か駅前でタクシーを呼んだのだった。

『一緒に乗るかい?』

 そう聞かれた緑間は、遠慮せずに乗り込んだ。

「上出来な結果じゃないか。大団円だ」

 賞賛拍手の代わりにフフンと鼻で笑う赤司は、指先で自身の細い顎を撫でた。人二人を仮死させたにも関わらず、どこか他人事な風格に緑間は厳しい口調で言葉を続ける。

「上出来過ぎるから言っているのだよ。二人が何事も無く生き返る確率は、恐ろしく低かった筈だ」

「奇跡でも起きたんだろう」

 彼らしくないその感想に、緑間真太郎は眼鏡の奥で目を細める。

 大きな国道は長い直線に信号が並び、赤信号の度にゆっくりと車体が停止した。その待ち時間と云うフラストレーションさえも、緑間を怒りへと招待させていく。感情を逃がす為に、緑間は眉間の皺を深くしたままに溜め息を吐いた。

「火神は何だか記憶が曖昧のようだし、不安要素が大きいのだよ」

 緑間のイライラを感覚で悟ったのか、外の世界を眺めていた赤司は口を開く。そして表情は一変し、真摯的なモノとなっていた。

「事態は、真太郎が思う以上に深刻かもしれないね」

 窓の向こうから視線を外さない赤司は、たった一言で車内の空気を瞬く間に変えた。緑間は、赤司の横顔から視線を外して前方を見つめる。

「確かに、あれだけ上手く事が運ぶとは思えない。何かを見落としている可能性もある。ボクの予想する方向に動いているとしたら、ああやって全てが上手くいったのも頷ける」

「不明確で回りくどい言い方をするのだな」

 相手の言わんとする事が朧気にしか掴めない緑間は、ストレートな批判をぶつけた。

「こう言えば察してくれるかい?」

 そう言いながら、赤司征十郎は瞳を緑間真太郎に向けた。赤司の鋭い視線が、蛇のように緑間の感覚に絡み付く。締め付けられるような苦しさから目を逸らせない男は、目を細める事しか出来なかった。

「……あの仮死状態中に起きていたのは、パーソナリティーの生存競争だと」

 "仮死状態"なんて物騒な言葉が飛び出した途端、運転手の方から息を飲むような声が聞こえた。しかし、緑間の耳にはそんな些細な音など入りもしない。驚愕な仮説に、意識全てを持っていかれたのだ。

『魂αが肉体αから離れ、人格・記憶αを引き連れていったとしても、脳αにはまだバックアップした"それら"が残っている。そこに新しい魂βが入れば、ソイツが持っていた人格・記憶βも全て脳αへと移行される。』

 以前に黒子へそう説明した緑間は、 現在あの二人を動かしているのが"バックアップ"である仮説を立て、背筋を凍らせた。

 彼等の人格・記憶のオリジナルは、生存競争に負けて消滅してしまったのだ。互いの肉体の中で……。今の青峰や火神を動かしているパーソナリティーは、複製でしか無い。例えオリジナルとほぼ同一だとしても、どこか不安定な要素を持ち合わせている可能性もあるだろう。

「入れ替わって元に戻った訳じゃ無い。互いの肉体が、"不要物"を消滅させただけだ」

「……火神の記憶が無いのも、そのせいか。肉体に精神が戻っていないのだからな」

 現在の状況が一種の証拠になっている。そのエビデンスは、弱いながらも不安を煽ってくるのだ。

「確証は無い。もしかしたら、本当に上手く全てが戻った可能性だってある」

 僅かな希望に掛けるしかない緑間だが、焦った彼は携帯を取り出して通話を始めようとしていた。火神大我へ現在の様子を確認する為に……。

 その手を赤司が止める。強く頼り甲斐のある眼差しで、緑間の行動を戒めた。

「黙っていた方が良い。混乱は、問題しか生み出さない」

「だからって……確かめもしないのか?」

 そう言いながらも、眼鏡の男は相手に止められた事に安堵していた。実際火神に電話を掛けた所で、どう説明するかも判らない。最悪は、切り出し方すら考えていないのだ。

「現状、何の不都合も無いんだ。引っ掻き回すのが利口なやり方だと、ボクは思わない」

 緑間が携帯をポケットへ戻したタイミングで、赤司はまた窓の向こうに視線を流した。しばらく無言の時間が続いたのだが、緑間が口を開こうとした瞬間、先制するように赤司がこう言葉を投げる。

「真太郎。あの二人を助けたいと思うのなら、確認すれば良い。そうなったら、また"仮死状態"にすれば良いだけだ」


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