「火神君と彼女さんは?」

 炭火に消化スプレーを吹き掛けながら、黒子は青峰へ問う。頭の中が整理出来ない褐色肌の男は「従妹だ」と訂正する余裕すら無く質問に答えた。

「……帰った。片付けには来るってよ」

 すっかり白けた黄瀬は、頬を掻き解散を仄めかした。

「オレ、明日も朝から撮影なんで。スンマセン」

 そうやって得意の愛想笑いを見せ、この冷めきった会場からエスケープしようとする。片付けなんて似合わないこの芸能人を止める人間は居ない。スマホを耳に当て、黄瀬涼太は暗いキャンプ場から去っていった。残された三人は、役目を終えた炭をジッと見つめ、誰かが次の言葉を発するのに期待した。

「……青峰君、何かあったんですか?」

 その期待に答えたのは黒子テツヤで、青峰へ居なくなった火神となまえについて質問をした。その遠回しに責めるような口調に、褐色肌の男は中学時代の相棒を睨んだ。黒子も負けじと青峰を睨み、非難的な事を告げる。

「キミは言い過ぎる節が……――」

「オレのせいだって言うのかよ!!」

 諸悪の根源にされた青峰は、誰も居ない閑静なキャンプ場で大声を出す。こんな都会の真ん中じゃ、彼の声も闇に飲まれ騒音に消される。紅一点となった桃井は、二人を交互に見つめ困った顔のままポニーテールの毛先を弄る。

「……悪ィ、イライラして」

 先程から当たり散らす事しか出来ない己の性格に嫌気が差したのか、青峰は口を結んで片付けを始めた。

「……一人にしてくれ」

 青峰は桃井の背中を押し、黒子に彼女を託す。二人は困ったような顔で男を見つめるのだが、顔を上げない青峰から『シッシッ』と払い手を向けられた。

「片付けなら、オレ一人でも出来る」

 結局桃井の送迎を黒子に任せた青峰は、バーベキューの用具をトイレの裏手に隠した。火神の家まで運び、これ以上炭に手を汚すのが嫌だった。そもそも、今押し掛けたら……あの年下女が自分を見て泣くかもしれない。

「――あ……」

 炊事場で手を洗っている内に、彼はある事実に気付いた。水が蛇口から噴き出し、激しい音と共に皮膚を潤す。

 ――オレ……アイツの名前、知らねぇや。

 名も知らない他人を住まわせていた事に、青峰は肩を震わせ笑い出す。水の音だけが、彼の笑いを肯定してくれた。


――――……
――……


 自室に着くとシャワーも浴びず、煙と汗の匂いを醸す服のまま、ベッドへ巨体をダイブさせた。青峰はその広さに懐かしさを感じた。違う、広いんじゃ無い……。元々この大きさだったのだ。全てが元に戻っただけだ。一人用のシングルベッドは、一人で使うから機能を果たすのだ。誰かと共にしたら、それは無理を通すだけ……。

 胸に虚無感を抱える。未だに桃井さつきと若松孝輔が付き合っている実感が湧かない。彼があの美女と付き合えたのは幸運だったからだ。先に青峰が告白していたら、恐らく状況も変わっていただろう。それならきっと今頃、あの理想を具現化した美少女は青峰大輝の隣で笑っている筈だ。もしもの世界に浸った青峰は、広過ぎるベッドへ気分ごと沈む。

 余りの虚しさに先日駅から持ち帰った風俗情報誌を手繰り寄せ、パラパラと捲る。加工が済んだ作り物が、綺麗な笑顔で手招きする。携帯を手に取った青峰は、番号を押す途中ソレを壁にぶん投げ叩き付けた。屈強な電子機器は、開いたままに床へと落ちる。

 中学時代から何百……いや、何千何万人の頂点に立ち続けてきたオレが、何でデリバリーヘルスなんて呼ばなきゃいけねぇんだよ……!

 金で偽りの愛を買わなければいけない惨めさに、折り畳んだ身体が震える。ずっと、今がドン底だと思っていた。中学、高校、そして社会人になった今。ズブズブと底の無い沼へ嵌まっていく。這い上がるにも、深い深い底無し沼だ。周囲に掴めるモノは何もない。

 必死に足掻いても『欲しい、欲しい』と願うモノは、次々手からすり抜けるんだ。ヨレヨレのままのシーツを強く掴んだ青峰は、敷き布団に顔を埋め嗚咽に似た惨めな声で咆哮した。





 シャワーを浴びすっかりボディーソープの香りに包まれた火神は、ご機嫌そうに冷蔵庫から大きなホールケーキを取り出した。

「ケーキ食うか? ホールであんだよ」

「え? 何でケーキ?」

 同じ石鹸の香りがするなまえが、顔を綻ばせながら大きな洋菓子を眺める。それはまるでバースデーケーキのようだ。プレートさえあれば完璧にソレだった。

「オレ、今日誕生日なんだ」

「え?」

 少女は信じられないと云う顔をした。それが本当なら、彼の大事な日を己の軽率な行動で潰した事になる。綻んだ顔が曇るのだが、火神はそんな事気にしていないようだ。

「八月二日、21歳だ」
 男は、ホールケーキへ太いろうそく二本に、そして一本の細いろうそくを突き立てた。大雑把なのか、中央より大分左に寄っている。

「……こうやってよォ、自分から誘わなきゃ……誰も一緒に過ごしてくんねぇんだよ」

 カチ、カチとライターで火を付けた。小さな炎は揺らめいて彼の生まれた日を祝福する。

「……大人って、寂しいな? 学生時代に戻りてェ」

 溜め息で炎が揺らめく。煌々と照らす蛍光灯の元じゃ、オレンジの光は淡く潰される。

 16歳になる前、憎きライバルに『輝きが足りない』と言われたのを思い出した。きっとこのユラユラ揺れる光と自分はさして変わらないのだ。鳴らないスマートフォンがそれを証明する。

「おめでとうございます!」

 突如横から飛んできた祝福の言葉に、意識を戻した火神は微笑んだ。

「お前が居なかったら、オレ一人で歌わなきゃだったんだぜ?」

「あの……う、歌うんですか!?」

 目を丸くしたなまえが火神の無茶振りに驚愕の表情を見せた。洗い流されたのか、涙の跡はもう残っていない。

「歌えよ。誕生会だぞ!?」

「えぇー……?」

 バースデーケーキを食べるだけの誕生会は、主役が三本のろうそくを吹き消し始まった。

 ――二十分後、ケーキの前で突っ伏しフォークを握ったまま、少女は夢の世界へ旅立っていた。「太るぜ?」と呟いた火神は、眠るなまえの後頭部を撫でた。サイズの大きなTシャツ一枚を羽織る女子高生は、男へ抱きかかえられ客用の寝室へと運ばれる。それは以前アレックスがお世話になっていた部屋だ。ベッドしか無い、本当は家族の為に開けていた部屋。

 ベッドへ寝かせた火神は、起きる気配の無い客人を無表情で眺める。そのままシャツを脱ぎ、上半身を裸にする。ポジション・センターを目指すプロ選手は、身体造りに生活の全てを掛けている。身長は高校生で打ち止めになった。だから、身体に理想的な筋肉を付けるしか無い。元々群を抜いて立派な肉体を持つ火神だが、最近は通常メニューにベンチプレスも加え始めた。少しでも強固な上半身を造る為だ。

 そんな努力の塊は、寝息を立てる少女の上に巨体を覆い被せた。ベッドが火神の負荷に耐えられずギシリと軋むのだが、相手はそれでも起きない。

 汗で貼り付いた髪を避け、首筋に噛み付こうとした男をエントランスホールが呼び出した。夜中にも関わらず遠慮の無い来訪者が誰なのか、予測を立てる。

 火神は視線だけを部屋の入り口に設置したモニターへ流し、カメラに映った人物を確認した。

「……荷物、持って来てやった」

 エントランスキーを開けてから五分後に青峰大輝がやって来た。今度は手ぶらでは無く、可愛らしい色したキャリーバッグを引いてきたのだった。

「オレは別に良いぜ? アッチが良ければ」

「…………あっそ」

 ドンッとキャリーバッグを玄関に置いた青峰大輝は、キョロキョロと何かを探しているようだ。それが"物"とは限らない。探し物に心当たりがある火神は、寝室を差した。

「後から返せって言っても、返さねぇからな?」

「"モノ"みてぇな言い方だな」

 青峰はズカズカと上がり込み、上半身裸の火神を追い越しリビングへ向かった。廊下の途中、丁度青峰が少女が眠る寝室の前を通った瞬間、火神は低い声で唸った。

「駄々っ子の玩具にすんのは、やめろ」

「随分な言い草だ」

 言葉の意味を的確に捉えた青峰が、鼻で笑い余裕を見せる。先程まで己の感情に負け、情けなく呻いていた事を誰にも知られぬよう、男は虚栄心を見せる。

「どうだ? 無駄に年取った感想は」

 遠回しに誕生日を祝った青峰が時計を確認すれば、短針は数字の十一を指していた。まだこの時間なら、火神は"お誕生日様"で居られる。

「ケーキが不味かった」

 お誕生日様は、そう感想を述べた。リビング奥に鎮座するサイドテーブルには、二人が食い散らかしたケーキの残骸が見える。

「食い意地ばっか張ってんじゃねぇよ、馬ァ鹿」

 リビングの入り口で立ち止まった青峰は、火神の破壊的な食欲を野次る。聞いちゃいないのか、火神は声色を変え気さくに声を掛ける。

「泊まってくか? お前も」

「はァ? ソファーしか空いてねぇだろ?」

 部屋の入り口に凭れた火神は、自分の寝室を親指で差した。

「オレのベッドで寝ろよ」

 青峰はその提案に「お前はどこに寝……」とまで言葉を発した瞬間、火神が何を考えているかを悟る。青峰はそれが思い過ごしであるよう願いながら、火神に最悪を想定した質問を投げた。

「…………相手はガキだぜ?」

「――関係ねぇな、穴さえ開いてりゃ」

 筋肉質な男がご自慢の腕を組み、青峰へ最悪な答えを述べた。

「……退け、火神」

 青峰は火神を押し退け、なまえを起こそうと寝室へ向かう気だ。それを筋肉質な火神が阻止する。火神の鍛えた太い腕が、廊下への入口を塞ぐ。

「また泣かせるだけなら、オレの傍に居た方が幸せだ」

「お前が決める事じゃ……ねぇ」

 両者が睨み合い、どちらも怯まない。顎を上げて青峰を見下した火神は、厚い唇を開く。

「あの可愛い幼馴染みの代わりにすんなよ」

「そんな事言ってねぇだろ!!」

 青峰の低い怒鳴り声が、短い廊下に響いた。アイツを、さつきの代わりにだなんて――……。男は全力でソレを拒否をした。幾らなんでも、青峰大輝はそこまで惨めな男では無いようだ。

 カチャリと客室が開き、タイミング良くなまえが出て来た。そして目を擦りながら、リビング入り口に立つ家主の方を見る。

「…………あの、トイレ」

「帰るぞ! 支度しろ!」

 赤毛の男の前には、先程自分を突き放した人物が立っていた。しかも彼は、自分を迎えに来たようだ。こちらへ手を伸ばしている。

 そんな仕草をされても、どうせまた突き放される。今となっては火神の近くに居たい。――そうなまえは思い始めていた。兄のように優しい火神大我の傍なら、きっと惨めに泣かなくて済む。地元に残した彼氏を振りきってまでも経験したい【大人の世界】が待っている。

「何してんだよ! 早くし……――」

「今日は! ココに泊まります!!」

 利己的になってしまったなまえは、青峰の命令に初めて背いた。予想外の答えに、青峰大輝は少女へと伸ばしていた手を下げる。そのまま拳を握り、怒鳴る。

「迎えに来てやったんだから、言う事聞けよ!! ……ッ! なぁ!!」

 少女の名前も知らない青峰は、言葉に詰まる。ここで力強く名前を呼んだら、何かが変わったのだろうか……? 後手後手の予測は、虚しいだけだ。

「ヤダ! 一人で帰って!!」

「何だよ、ソレ! お前、オレが良いって言ってただろ!! 心配してやってんだよ!!」

「嫌だ!! 出てけって言ったのは、青峰さんでしょ!?」

 目を見開いた青峰は、今更ながらに自分の言動を振り返ってしまった。それは振れ幅が大きく、言う事が二転三転する子供に似た行動だ。

 ――あぁそうだ。確かにお前を邪険にしたのはオレだ。

 さつきへの苛立ちを八つ当たりのように丸め、怒鳴ったのもオレだ。

 自分に向けられた好意のベクトルを、迷惑だと曲げたのも……オレだ。

 でもソレを認め、謝罪するのはプライドが拒否した。そこまでしてこの小娘に固執する理由も無い。

 ――でも、寂しさは独りでは埋められない。孤独には慣れている。青峰が怖いのは、誰にも必要とされない事だ……。

「おまっ……お前みたいな……アバズレ女ッ、コッチから願い下げだ、馬ァ鹿……」

 青峰は手が震え、目が泳いだ。独りぼっちになった男は尚も負け惜しみを告げる。惨めな来客を鼻で笑った火神が、大人になりきれない男へ止めを刺す。

「電車賃位は出してやるか?」

「いらねぇよ!!!」

 全てが桃井さつきの二の舞になってしまった。意地ばっか張って、寄って来る相手へ『必要ない・邪魔だ』と酷い台詞をぶつける。そして孤独になってから、恋しくなる。

 火神を突き飛ばした青峰は恐い顔のままに真っ直ぐ廊下を歩いた。孤独への悲観がプライドを擽る前に、この場を去りたいのだ。途中、寝室へ逃げたなまえを視界の端に捉えたが幻覚だと思う事にした。

 護身の為に生やしたトゲは、やがて全身を覆う。青峰大輝は、サボテンのようにギリギリまで肉体の渇きに気付かない人間だ。枯れ果てる為に生まれたのなら、なんて酷い人生だろう。

 火神の部屋を退室した男は、ドアに凭れてズルズルと座り込んだ。歩く気力も無い。背後から鍵が閉まる音はしない。部屋に戻って、なまえを強引に連れ出しても良い。閉まるまでなら道は二つある。このまま孤独になるか、プライドを捨てるか……――。

「……最ッ低なクソ野郎だな、青峰お前は」

 短い前髪を指先で撫でた男は、自分を客観視し、そう野次った。





「……火神さん?」

 お手洗いから戻ったなまえは、客室の入り口で立ち止まる。何故か自身の寝室へは行かず、火神大我はこちらのベッドに腰掛けていた。

 少女は男に問う。遠回しに『ココで何をしているの?』と聞きたくて……――。

「あの、私……部屋間違えましたか?」

「いや?」

 一言そう告げた男はベッドに腰掛けたまま、ハーフパンツを脱いだ。下着一枚になるとボクサー型のソレは中央が膨らみ、内部で太く円柱状のモノがテントを張る。初めて見る光景になまえは固まり動けなくなった。

 ――纏う雰囲気が違う。青峰が帰ってからの数分で、"優しいお兄さん"は瞳のギラ付いた"野獣"に変化していた。野獣は素足のままペタリ……ペタリ……と獲物へと歩み寄る。

「オレさ、ひとつ困った性癖があってよォ……」

 いきなりに大きな手のひらでなまえの口元を塞いだ火神は、自身の口角を上げて笑う。逆光で影を含むその笑みが不気味で、悲鳴も篭る少女は目を見開く。

「……嫌がる相手じゃねぇと、興奮しねぇんだよ」

 嗄れた声がそう呟く。腰に手を回され、口が解放された瞬間大声で叫んだ。手足を乱暴に動かしても、軽々と持ち上げられた女子高生に勝ち目は無い。

「やめて! やだ!! 待って、お願い!!」

「人の話、聞いてたか?」

 至って平常そうに台詞を吐くのだが、それとは裏腹に少女が悲鳴を上げる度、男は興奮を昂らせる。

 小さな女をベッドに寝そべらせ、その上から大きな裸体で覆い被さる。貸したTシャツから太ももを露にした少女の内股は白く、色気を感じさせない黄色い下着が覗いている。

 ――何でこんなんなっちまったんだろうな?

 優しく誠意ある男は、気付いた時には食虫植物のようになっていた。表面の自分が優しく相手を誘い込み、信じきった所で裏面の自分が捕食する。甘い香りに誘われた虫は、消化液に溶け始めてから後悔をする。

 間違えていけないのは、そのタイミングと接し方だ。下手に恋心を持たれては萎えてしまうのだ。絶妙なタイミングで、信用させた相手のまだ準備出来ていない身体を無理矢理犯すのが――この上なく興奮する。


 異常だ、
 歪んでいる。
 知っている。
 でも癖になる。


「やだ! ほんとやだ!! やめて!!」

 クシャクシャの顔で泣かれる度、突き刺して身体を揺さぶりたくなる。そうすれば、痛みと異物感にもっと泣き叫ぶだろう。あぁ……考えただけで射精しそうだ。

「青峰にくっ付いてった方が、まだ幸せだったかもな……?」

 そんな残酷な言葉で退路を絶つ。反り勃った愚息を未だ侵入許さない秘部に当てれば、布一枚で隔てた距離をサッサと埋めたくなる。

 勿論、恐怖で女性器が濡れる筈も無い。無理矢理にぶち込めば、お互いが痛い思いをするだろう。なまえは身体を捩り逃げようとするのだがベッドが軋むだけで、掴まれた腰から下は固定されたまま動かない。