夕暮れ。今日も天気は快晴で、夕方六時を過ぎても空は明るい。それでも太陽は徐々に沈もうとし、視界の遠くが黄色に染まっていた。 「オレの従妹として連れてくんだから、余計な事言うんじゃねぇぞ」 深い緑のTシャツにジーンズ、スニーカーと云うラフな格好をした青峰が、動きやすいパンツスタイルでお洒落した少女に注意をした。なまえは朝から元気が無い。原因は全て青峰大輝にあるのだが、男はソレを気に掛けたりしない。 ……そうだ。青峰もまた、精神的に未熟者なのだ。自分の事で精一杯な男は、他者を気に掛ける余裕など持ち合わせていない。 従妹は従妹らしく、男の後ろを雛鳥のように歩いた。お気に入りのミュールは長時間の歩行に向かないのだが、きっと青峰は相手の変化に気付かない。 ――二人が無言で電車に乗り指定された公園に着くと、空は暗くなりつつあった。ビルや町並みの向こう端が黄色く、上から藍色が押し潰す。電柱や電線の向こうに見えるその光景は、ノスタルジックすら感じた。木々の隙間から蝉やひぐらしが鳴き、季節感を添える。 公園奥にキャンプ広場があった。周りに数組のグループが居たのだが、後片付けを始めているようだ。夜からバーベキューだなんて、広い自然公園が無ければ只の迷惑行為だ。コンロに炭を並べ、軍手を真っ黒にした火神が滴る汗をTシャツの袖で拭い、二人に声を掛けた。 「よォ、悪ィな。何か土産持ってきたか?」 「忙しい中呼んで、手土産まで催促か」 手ぶらで来た青峰はジーンズのポケットに手を入れ、土産が無い事をアピールした。 「気が利かねぇ男だな。だからお前はモテねぇんだよ」 火神の言葉に思わず吹き出してしまったなまえは、青峰に睨まれて目線を下げる。どうやら青峰大輝は火神大我と絡むと、途端にクールじゃ無くなるらしい。 「火神君、野菜洗って来ました」 気配も無く背後から声を聞いたなまえは、悲鳴を上げた。広場隅に設置された炊事場で野菜を洗い切っていたと言う少年のような成りをした男は、少女を見て首を捻った。手にはザルを持っていて、水気が切れていない野菜が無造作に放り込まれている。 「……女の、方?」 「青峰の彼女、JKだ」 影の薄い少年は驚いたのか、少し眉を上げた。そして頭を下げ「ボクは黒子テツヤと言います」と抑揚無く挨拶をした。 「従妹だ、馬ァ鹿。変な事言うなよ」 青峰は、いい加減な事を口走った火神へ嘘を付く。勿論、少女が従妹で無いと知っている火神は、額からの汗を袖口で拭きながら青峰をからかう。 「何だよ、そういうプレイ中か? 気持ち悪ィ」 「い・と・こ・だ!」 そう噛み付きながら青峰は、黒子の手から野菜のカゴを奪い、揺すって水気を飛ばした。神経質な青峰は、こういう"どうでも良い場所"でその性格を発揮する。 黒子と青峰が互いの近状を話している間、火神はコンロに網を置きスタンバイを終えた。 「やっと食えるな!」 嬉しそうにニコリと笑った火神は、なまえへそう告げる。少女の中で【優しい人】と科した火神は、まさに理想の兄だった。 そんなほのぼのした二人へ、ある男が声を掛けた。彼は黄色髪を靡かせながら、ラインの綺麗なスタイルを魅せる。清涼感溢れる美形は、これまた清涼感溢れる声で主催に挨拶と云う名の言い訳を始めた。 「火神っち、いきなり連絡寄越すから何も用意出来なかった」 細長い手提げ袋にちょっと値が張るワインを入れ、手土産にと渡す。アルコールが手に入った火神は笑みを作る。 「若くないっスか? この子」 黄瀬がなまえを指差せば、彼女は理想の兄の背後に隠れた。男の巨体に小さな自分の身体を重ね、美形な来訪者をチラリと覗く。 「……あの、あ……よろしくお願いします」 「何でオレの後ろに隠れんだよ?」 トング片手に肉を並べ始めた火神は、何故か壁役となっていた。緊張して隠れるその"微笑ましい光景"に悪い気がしない黄瀬は、二人を笑い飛ばす。 「なつかれたモンっスね」 「へ? 何? あの人雑誌で見た?」 壁役は腰を落とし、少女の囁きに耳を傾けた。その姿は、青峰よりもよっぽど従兄らしい。どうやらなまえは所謂芸能人を間近で見るのが初めてらしく、日本のファッション誌を賑やかす高身長のモデルに対して緊張していた。 「どうもっス」 営業スマイルでなまえに接した黄瀬は、火神の肩に手を回すとヒソリとした声でこう質問した。 「……っつーか、何で青峰っち居るんスか?」 「賑やかになるかと思って、オレが呼んだ」 中性的で綺麗な顔を歪めた黄瀬は、崩れても尚顔立ちが衰えない。しかしサラサラに流れる頭を抱えて唸り始めた。 「完ッ璧にマズい」 「は……?」 "マズい"の理由はすぐに判った。彼等の背後、キャンプ広場の入り口から朗らかな女性の声が響いたのだ。 「遅れてゴメンね〜? かがみ〜ん! テツく〜ん!」 懐かしいアダ名を聞いた火神は、誰がやって来たか理解した瞬間、額を押さえ項垂れた。 桃色の髪を後ろで一つに結び、花柄のタンクトップに薄緑のパーカー、ホットパンツを履いた女性が愛想良い笑顔を振り撒きやって来た。驚く程に美少女で、化粧が薄いのか熱帯夜でも崩れを知らない。長く細い手足は白く、括れたウエストの上に大きな乳が窮屈そうに乗っている。彼女が近付くと、風呂上がりのような清潔感溢れる香りがした。 そんな誰もが羨む"絵に描いたようなヒロイン"は、褐色肌の男を見た瞬間立ち止まり、困った顔を隠さず挨拶をした。 「大ちゃ……――青峰君、久しぶりだね」 「……あぁ」 あだ名を言い直された青峰は、フイと横を向いて桃井を拒絶する。胸に当てた手を握り、笑顔のまま俯いた彼女は影を含んでも美しい。 「何で呼んだんだよ……」 皆に聞こえぬようボソリと文句を言った火神は、黄瀬の脇腹を肘で叩いた。 「男ばっかじゃむさ苦しいんスよ」 「居んだろ、JK」 汗だくでむさ苦しいの代表格になっている火神が、トングでなまえを差す。少女の属性を知った黄瀬は、裏返った声で略称をオウム返しにした。 「ジェーケィ!?」 「そして、青峰の彼女だ」 すっかり信じてしまった黄瀬は、飛び出しそうな位に目を広げた。どうやら驚きが限界値を突破したようだ。『彼女』と紹介されたなまえは、否定もせずに持っていた紙コップを更に強く握った。 「ロリコンっスか!? あの人!!」 黄瀬の叫びに重なり、「殺すぞ!!」と物騒な低い声が飛んだ。 「桃井さん、帰り道大丈夫ですか? 送りましょうか?」 横に立った黒子が桃井にそう言うと、火神を指差す。赤毛の男は既に瓶詰めのビールを煽っていた。その気遣いに、中学から彼に恋をしていた桃井はまたしても胸を撃たれた。しかし、彼女には既に彼氏が居る。それは、高校時代の先輩だった。 「大丈夫! 迎えに来て貰えるから」 「アイツ、若松の野郎は……元気か?」 ホットパンツからスラリと伸びた足をジロジロ眺めながら、青峰は桃井に問い掛ける。美女の足は虫刺されのひとつも無い。大体二ヶ所は刺されていた青毛の男は、その刺されぬメカニズムを知りたいと思った。 「元気過ぎて、うるさい位だよ」 目敏く見付けてしまった首筋の赤い印に胸が痛んだ青峰は、生々しい妄想が脳内で開演する前に皮肉で誤魔化す。 「今日も動物園でお留守番か? 飼育も大変だろ」 「あ、青峰君のお守りよりは……マシだよ」 「…………あっそ」 青峰の冷たい返しに、桃井の雰囲気は暗くなった。最悪な二人を引き合わせてしまった黄瀬は、ウンザリした顔を隠さない。火神はトングをカチカチ鳴らし、気まずい雰囲気を逃そうとした。 「……肉、焼けたけど」 火神は、端の焦げた牛肉をトングで摘まみ上げる。黒子が桃井と。なまえに箸と紙皿を渡せば、ポニーテールの美女は愛想の良い笑顔を見せた。 「ねぇ、ほら。食べよ? かがみん、お肉焼いてくれたよ?」 野外用のコンロを指差した桃井は、朗らかな声でなまえへ話し掛ける。完璧な美女は性格まで完璧だ。教わらなくとも青峰の惚れた女性が判ってしまった居候少女は、昨夜ベッドの上で男が言った"嘘"にショックを受けていた。 美人じゃん。ブスじゃないじゃん。こんなの、惚れて当たり前だよ。――きっと今の自分の笑顔は、くすんで醜いだろう。なまえは自信の無い笑顔で美女と並んだ。――気分は、最悪だ。 気まずいムードも、酒も入れば少しは軽くなる。辺りはすっかり暗闇に飲まれ、キャンプ広場は彼等が用意した明かり以外は何も無い。 青峰は、桃井さつきの後ろで結んだ髪束を摘まんでパラパラと落とす。その仕草は乱暴に見えるのだが、本当は愛しさに溢れていた。 「お前さぁ、こんな纏め方じゃ髪燃えんぞ?」 「良いの! 燃えないよ!」 男に髪を触られていると云うのに、美女はそんなの気にせず青峰にむすくれた顔を向けた。幼い頃から美女の一番近くに居た青峰はハサミを持ち、女の綺麗な髪を掴んだ。 「切ってやる」 「止めてよ! サイテーだよ!!」 桃井が甲高い声で悲鳴を上げると、周りの信号機色した三人組が笑う。綺麗な人の周りには、美形な人間が集うとは本当のようだ。スタイル良く整った彼等が騒ぐと、まるでテレビ越しに見るドラマの世界だった。平凡で子供な自分が混ざったら、きっと場違い過ぎて浮いてしまう。だから少女はこうやって遠くから眺める事しか出来ない。 「……賑やかですね」 ヒッ……! と驚いて悲鳴を飲み込んだ少女は、いつの間にか隣に立ち野菜を食べている黒子テツヤにおずおずと声を掛けた。 「黒子さん、でしたっけ?」 「賑やかな場所に居ると、疲れます」 黒子はそう言って、お茶の缶をチビリと飲んだ。その至って普通の風貌した男に安心したなまえは、本音を漏らした。 「皆、綺麗だし格好良いし……私、邪魔にしかならない」 「疎外感ですか? 自分は、あの場が似合わないと?」 平均身長より低めな黒子は、少女の不安そうな顔を覗く。何の感情も読み取れないのに、何故か黒子テツヤは信用出来る。 「キミがそうなら、ボクもです」 そう告げた黒子は向こうから「テツく〜ん!」と呼ばれ、静かに賑やかな方へ向かう。彼の表情は全く変わらないのだが、何処か寂しげにも見えた。 また一人きりになってしまったなまえは、氷が溶けぬるくなった紙コップを眺めた。圧倒的な壁を作り出しているのは他でも無いなまえ自身だ。少し歩を進め、明るい方へ向かえばきっと彼等は歓迎してくれる。 ――でも、それが出来ないのは幼い為りに意地を張っているからだ。誰かが声を掛けてくれるのをこうやって待っている。 居たたまれなくなったなまえは、座っていたレジャーシートの上にすっかりふやけた紙コップだけを置くと、その場をトボトボと離れた。 後を追う者は、誰も居ない。背中に笑い声を受けるだけ。こんな不純物を気に掛ける人間は、きっと誰も居ない。 コンロから大分離れた場所にある炊事場に来たなまえは、並んだ蛇口の一番手前に立ち竦む。ここなら明るいし、誰かが来てもすぐ判る。 しばらくしてコンクリートにペタリと腰掛け、体育座りのままにウトウトする。……向こうの暗闇は不気味だし、生温い大気が不快だったが、アチラに戻り疎外感を感じるよりはマシだ。罪悪感を持ちながらも、少女は半ばヤケクソ気味に、傍に居た睡魔を迎え入れた。 ――――…… ――…… 「――……なぁ、大丈夫か?」 どの位寝ていたのか、肩を揺すられ少女は目を覚ました。パチパチと瞬きをして目の乾燥を防ぐと、しゃがんだ男が自分を覗いていた。 「火神さん?」 ピタリと揺するのを止めた火神は、少女が何を思ってココに居たのかを問い詰めず、何時もの調子で柔らかい表情を見せた。 「探したんだぜ? 丁度良い所に居た。暑くて死にそうだ」 男は傍の蛇口に頭を入れると勢い良く捻り、頭髪を水で濡らした。固い髪の毛は、毛先に付着した水滴で垂れ下がる。バシャバシャと周囲へ飛び散った水は、なまえの腕にも飛んで来た。 「――青峰とは、上手く行ってんのか?」 思う存分水浴びをした火神は、蛇口を捻り止める。 「出てけって、言われてます」 「なら、オレん家に来るか?」 顔を両手で拭った火神は、そう提案をした。 「…………」 その意外な提案に、居候身分は驚いて火神を見る。 「別に、オンナ居候させんの初めてじゃねぇし」 頭を振り水気を飛ばした赤毛の男は、過去に"師匠"を住まわせてやった話を持ち出すのだが、過去や事情を知らないなまえには酷く卑猥に聞こえた。 「裸でリビングうろつくのだけは、勘弁してくれよな?」 口を尖らせ更に卑猥な事を言い出した火神は、水に濡れているのも合わさって、突然"大人の男"に見えてしまった。 「あと、お前の保護者がカンカンだったぜ? ゲンコツ食らうかもな」 「保護者?」 「何も言わずに居なくなってたら、青峰も怒んだろ。皆心配してる」 心配と云う言葉に胸が痛くなる。彼等を勝手に悪人に仕立て上げた罪悪感に、胸が裂けそうだ。こんな卑劣で子供な自分が、あんなキラキラと輝く場所に戻るのはこの上無く嫌だ。 「戻りたくない」 「ゲンコツは冗談だ」 努めて空気を明るくしたいのか、男はハハハ……と笑うのだが、なまえは尚も悲しそうなままだ。 「ココに、居たい。……アッチは嫌」 「肉無くなるぜ? フルーツもあるし」 食に関して貪欲な火神は、相手の気を惹くのにこんな発想しか出来ない。勿論、肉やフルーツ所じゃないなまえは頭を振って拒否し続ける。 火神が毛髪から流れる水をTシャツで拭いながら、『さてどうしたモノか』と考えているその時だった。炊事場の入り口から怒号が飛んだ。 「テメェ勝手に居なくなんじゃねぇよ!!」 ビクリと肩を震わせたなまえがソチラを見ると、肩を上下する程に興奮した青峰が居る。彼は眉と目を吊り上げ、二人の元へ近寄った。余りの剣幕に、火神は青峰を抑えようと前に出た。 「青峰、怒んな。無事だっ……――」 宥めようとする火神を突き飛ばし、青峰は怒りのままに大声で説教を始めた。 「心配掛けさせて何様のつもりなんだよ! 皆楽しんでるのに水差すんじゃねぇ!!」 「……ごめんな、さい」 真っ青な顔を下げたまま、なまえは謝る。自分がした事が周りの楽しい時間を邪魔し、挙げ句迷惑を掛けていたのだと、ようやく気付いた。 「オレだけに謝ったって仕方ねぇだろ! 他の奴等にも迷惑掛けたんだぜ!? ワガママ言いたいだけなら、最初から来るんじゃねぇよ!!」 「青峰! 言い過ぎだ!」 後ろから火神が肩を掴み、青峰を叱る。そして目の前の少女を指差す。そこには音も立てずに泣き始めたなまえが、目から涙を落としていた。 「ホラ、泣いちまっただろ? 大人になれよ」 その台詞にカッとなった青峰は肩に置かれた手を振り払うと、唾の代わりに嫌味を吐いた。 「ガキのワガママに耐えるのが、大人なのか? くっだらねぇ……。泣けば良いから楽だよな? 女は」 今度は火神が青峰を突き飛ばし、涙止まらないなまえへ歩み寄る。情けなくも自力で涙を止められなくなった少女はしゃくり上げながら、懸命に泣くのを堪えようとする。 「コイツ、オレん家まで送ってく」 泣きじゃくる女子高生の肩を抱いた火神が青峰にそう言えば、その男は少女を鼻摘み者にした。 「ついでに泊めてやれば? 肌だけは最高だぜ?」 そんな最悪な台詞を無視した火神は、青峰と擦れ違う瞬間逆三角の目で軽蔑した視線を送る。宙を睨んだ青峰は、自分が悪役になった気分になり胸糞が悪い。 ――今日は厄日か? ……いや、違う。あの年下女が来てから良い事が無い。毎日毎日、怒ってばかりだ。 「パーティーはお開きか?」 青峰が男の背中にそう聞けば、火神は振り返る事無く質問への回答を告げる。 「……続けてろ。片付けまでには戻るから」 ――青峰を置いてきぼりに、暗闇を二人で歩いた。肩に腕を回した火神は、崩れそうに泣き続けるなまえの謝罪をずっと聞いている。 「ごめんなさい、ごめんなさい……私……っ、ごめんなさい……」 「分かったから、泣くなよ」 隣を歩く火神は少しだけ汗臭い。逞しい身体だって、本当は苦手だ。怖い顔も、乱暴な口振りも、股がユルそうな発言も――。でも、居てくれると安心する。彼が自分の兄だったら……きっとブラコンになるに違いない。 大きな手が頭を掴み、優しく揺する。 「オレがお前位の頃は、もっとガキだった」 男は、そう告げて笑った。 |